秘録エロイムエッサイム・3
(助けた命 助けられなかった命・2)
朝倉真由が通うA女学院は、最寄りの駅から歩いて八分ぐらいの高台の上にある。
今朝は、この坂道に10分以上かかってしまった。
ついさっきのことが頭から離れないのである。
目の前でG高の女生徒が、特急に跳ね飛ばされ大惨事に……なったはずである。
――だめ!――と、反射的に思って目をつぶった。
そして、目を開けると、G高の女生徒は、何事もなく特急が通過したあとのホームを歩いて、真由と同じ車両の隣のシートに座った。そして、A高の一つ手前の駅で降りて行った。
坂を上って、学校が近くなり、同じA高の生徒たちの群れに混ざってしまうと、あれは夢だったんだという思いが強くなった。今朝は朝寝坊して少し寝ぼけていた。だから、駅に着いた時も、頭のどこかが眠っていて、幻を見たんだ。真由は、今朝の出来事を、そう結論付けた。そう思わせるに十分な青空が真由の上には広がっている。
学校では箕作図書館が焼けたことが少し話題になっていたが、ほとんどいつもの学校だった。真由も一時間目の英語の長ったらしい板書を写しているうちに忘れてしまった。
「朝倉さん、いらっしゃいますか?」
昼休みお弁当を食べ終わると、見知らぬ一年生が、教室の入り口でクラスの生徒に聞いていた。
「真由だったら、窓際」
そう言われて、その子は、ニコニコ笑顔で、真由たちのブロックに近づいてきた。ブロックの仲間が、一斉に、その子と真由を見比べた――知り合い?――仲間たちは、そういう顔をしていた。
「突然すみません。小野田沙耶っていいます。朝倉さんが一年のとき一緒だった小野田麻耶の妹です」
そう言えば、どことなく麻耶に似ていた。でも性格は真逆のようで、上級生の教室に入ってきても、ぜんぜん緊張していなかった。真由の知っている姉の麻耶は、教室でも目立たない子で、席が近くだったので、少しは喋るという程度の仲でしかなかった。その妹が何の用だろう。
南階段の踊り場で話をすることにした。日当たりが良くて、人目を気にせずに話ができるからである。
「今朝、G高の生徒が死にかけましたね」
真由は、ギョッとした。自分自身やっと白昼夢だと整理したばかりのことであし、誰にも喋っていない。それをこの子はなぜ知っているんだろう。真由はパニック寸前になった。
「落ち着いてください。あのG高の子は死んだんですけど。朝倉さんが助けたんです」
「あ、あたしが? どうやって? どういうこと?」
「一瞬『ダメ!』って思ったでしょ。あれで助けてしまったんです」
「そんな、あたしに魔法が使えるとでも言うの……」
「ええ、今朝から。朝起きた時におでこに血文字が浮き上がっていたでしょ?」
「あれも、本当にあったことなの?」
「夕べ、箕作図書館が焼けました。あれで魔道書の封印が解かれて、朝倉さんの頭に焼き付いたんです。朝倉さんの四代前のお婆さんはイギリスから来た人です。四代が限界なんです……魔道を受け継ぐの。正式な魔法の使い方をお教えしておきます。心の中で『エロイムエッサイム、エロイムエッサイム』と唱えてください。意味は『神よ、悪魔よ』という呼びかけ。コールサインですね。あとは念ずれば、たいていのことは叶います。叶わないのは『この世よなくなれ』と『わたしを殺せ』という内容のことだけです。別に使命を与えられたなんて、安できのラノベみたいに考えなくていいですから。あなたは、魔道継承の適任者だった。それだけですから」
「小野田さん、あなた……」
「真由さん。あなたは死ぬはずだった人間を助けてしまったんです、ただの恐怖心から。帳尻が合いません。代わりにいま喋っている、この子が死にます。でも、気に掛けないでください。この子は明日事故で死ぬはずなんです。それが一日早くなるだけですから。それじゃ」
それだけ言うと、沙耶は皮肉とも励ましともとれる笑顔を残して、階段を下りて行った。
そして、五時間目の教室移動の途中で、小野田沙耶は階段を踏み外し、首の骨を折って死んでしまった。
真由は、死ぬべき人間を助け。たった一日とは言え、生きているはずの人間を殺してしまった……。
(助けた命 助けられなかった命・2)
朝倉真由が通うA女学院は、最寄りの駅から歩いて八分ぐらいの高台の上にある。
今朝は、この坂道に10分以上かかってしまった。
ついさっきのことが頭から離れないのである。
目の前でG高の女生徒が、特急に跳ね飛ばされ大惨事に……なったはずである。
――だめ!――と、反射的に思って目をつぶった。
そして、目を開けると、G高の女生徒は、何事もなく特急が通過したあとのホームを歩いて、真由と同じ車両の隣のシートに座った。そして、A高の一つ手前の駅で降りて行った。
坂を上って、学校が近くなり、同じA高の生徒たちの群れに混ざってしまうと、あれは夢だったんだという思いが強くなった。今朝は朝寝坊して少し寝ぼけていた。だから、駅に着いた時も、頭のどこかが眠っていて、幻を見たんだ。真由は、今朝の出来事を、そう結論付けた。そう思わせるに十分な青空が真由の上には広がっている。
学校では箕作図書館が焼けたことが少し話題になっていたが、ほとんどいつもの学校だった。真由も一時間目の英語の長ったらしい板書を写しているうちに忘れてしまった。
「朝倉さん、いらっしゃいますか?」
昼休みお弁当を食べ終わると、見知らぬ一年生が、教室の入り口でクラスの生徒に聞いていた。
「真由だったら、窓際」
そう言われて、その子は、ニコニコ笑顔で、真由たちのブロックに近づいてきた。ブロックの仲間が、一斉に、その子と真由を見比べた――知り合い?――仲間たちは、そういう顔をしていた。
「突然すみません。小野田沙耶っていいます。朝倉さんが一年のとき一緒だった小野田麻耶の妹です」
そう言えば、どことなく麻耶に似ていた。でも性格は真逆のようで、上級生の教室に入ってきても、ぜんぜん緊張していなかった。真由の知っている姉の麻耶は、教室でも目立たない子で、席が近くだったので、少しは喋るという程度の仲でしかなかった。その妹が何の用だろう。
南階段の踊り場で話をすることにした。日当たりが良くて、人目を気にせずに話ができるからである。
「今朝、G高の生徒が死にかけましたね」
真由は、ギョッとした。自分自身やっと白昼夢だと整理したばかりのことであし、誰にも喋っていない。それをこの子はなぜ知っているんだろう。真由はパニック寸前になった。
「落ち着いてください。あのG高の子は死んだんですけど。朝倉さんが助けたんです」
「あ、あたしが? どうやって? どういうこと?」
「一瞬『ダメ!』って思ったでしょ。あれで助けてしまったんです」
「そんな、あたしに魔法が使えるとでも言うの……」
「ええ、今朝から。朝起きた時におでこに血文字が浮き上がっていたでしょ?」
「あれも、本当にあったことなの?」
「夕べ、箕作図書館が焼けました。あれで魔道書の封印が解かれて、朝倉さんの頭に焼き付いたんです。朝倉さんの四代前のお婆さんはイギリスから来た人です。四代が限界なんです……魔道を受け継ぐの。正式な魔法の使い方をお教えしておきます。心の中で『エロイムエッサイム、エロイムエッサイム』と唱えてください。意味は『神よ、悪魔よ』という呼びかけ。コールサインですね。あとは念ずれば、たいていのことは叶います。叶わないのは『この世よなくなれ』と『わたしを殺せ』という内容のことだけです。別に使命を与えられたなんて、安できのラノベみたいに考えなくていいですから。あなたは、魔道継承の適任者だった。それだけですから」
「小野田さん、あなた……」
「真由さん。あなたは死ぬはずだった人間を助けてしまったんです、ただの恐怖心から。帳尻が合いません。代わりにいま喋っている、この子が死にます。でも、気に掛けないでください。この子は明日事故で死ぬはずなんです。それが一日早くなるだけですから。それじゃ」
それだけ言うと、沙耶は皮肉とも励ましともとれる笑顔を残して、階段を下りて行った。
そして、五時間目の教室移動の途中で、小野田沙耶は階段を踏み外し、首の骨を折って死んでしまった。
真由は、死ぬべき人間を助け。たった一日とは言え、生きているはずの人間を殺してしまった……。