大橋むつおのブログ

思いつくままに、日々の思いを。出来た作品のテスト配信などをやっています。

誤訳怪訳日本の神話・31『あの鏑矢を拾ってこい』

2021-03-23 09:12:49 | 評論

訳日本の神話・31
『あの鏑矢を拾ってこい』    

 

 

 スサノオの意地悪も三回目になります。

 最初の二回はオオナムチを岩屋に閉じ込め、蛇やらムカデの大群に襲わせようしますが、スセリヒメが身にまとっていた領巾(ひれ)を貸してくれて蛇もムカデも追い払うことができて難を逃れることができました。

 身にまとっているものが妖を追い払う力があるというのは、イザナギが黄泉の国でイザナミの手下である黄泉醜女(よもつしこめ)の追撃をかわす時にも使っています。機会があれば、どこかで触れ直してみようと思いますが、取りあえずは先に進みます。

「おい、オオナムチ、今度はこれだぞ」

 スサノオは自慢の弓を取り出し、弓弦に鏑矢(かぶらや)をつがえて、ヒョーーーっと放ちます。

 鏑矢とは、矢じりの根元にイチジクの実ほどの木のパーツが付いているものです。

 このパーツには二カ所ほど穴が開いていて、弓が飛翔している間、空気が吹き込んで笛のような音がします。その音が、ヒョーーーって感じになります。見かけは、お正月の破魔矢に似ています。

 昔の戦には作法がありました。

 敵味方、数千数万の軍勢が対峙すると、いつ戦闘が始まるか分かりません。

 それで、大将の命令で代表が敵の前面に出て、互いに戦闘開始の宣言をします。

 この宣言が終わると、次に双方の陣から撃ち込まれるのが鏑矢という訳です。

 まあ、試合開始のホイッスルですなあ。

 鏑矢が鳴り響きますと、我も我もと郎党を引き連れた騎馬武者が走り出し、戦場のあちこちで個人戦が始まります。

「やあやあ、遠からん者は音にも聞け、近くば寄って目にも見よ、我こそは……」

 堂々名乗りを上げてから戦います。

 まあ、鎌倉時代いっぱいまでくらいの美しい習慣でした。

 ちゃんと名乗って手柄を認めてもらわないと、あとの論功行賞で手柄の証明ができないという理由もありますが、なんともフェアプレイの精神ではあります。

 このフェアプレイの精神が1274年の元寇で裏目に出てしまいます。

 名乗りを上げると、元の方から数十人が飛び出してきて、いっぺんに絡めて討ち取ってしまいます。

 鏑矢が、ヒョーーーーっと音を立てて飛んでくると、アハハハと笑われてしまいます。

 元軍の戦いに作法などはありません、勝てばいいので、一騎打ちもしませんし、鉄砲(のちの鉄砲ではありません)の音で脅かすし、毒矢だって撃ってきます。

 日本の武士も学習しました。

 こいつらにルールは通用しないと思うと、もっぱら夜襲をかけるようになります。

 元軍は夜襲が苦手です。元軍は舞台単位の集団戦闘です。暗闇でやると収拾がつかないので、一般に夜戦はやりません。

 その常識外れの夜戦に元軍は恐慌をきたし、たいていメチャクチャに負けてしまいます。

 そこで、元軍は、陽が落ちると沖の軍船に戻って兵力の損耗を回避します。

 大ざっぱに言いますと、そうして船に戻ったところに神風(台風)がやってきて二度の日本遠征に失敗したということでしょう。

 夜襲は、日本のお家芸になり、旧日本軍も夜襲を得意としました。

 余談の余談になりますが、戦後三千人近い日本兵が復員せず、東南アジアの各地に残りました。

 ベトナムやインドネシアが宗主国に抵抗し、この旧日本兵たちは教官として招かれ、現地の軍隊を鍛え、しばしば夜襲を仕掛けて、宗主国軍を壊滅させました。

 実に、日本武士の夜襲はアジア諸国の独立にまで貢献したわけです。

 あ、脱線しすぎました(;^_^A

 スサノオが射ったのは、そういう夜戦が主力になる以前の麗しき鏑矢なのですが、射ったあとにオオナムチに命じます。

「おい、オオナムチ、あの鏑矢を拾ってこい」

 簡単な命令ですが、そこにはスサノオの腹黒い仕打ちが秘められていたのでありました……。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

らいと古典『わたしの徒然草・52 仁和寺の法師』

2021-03-23 06:44:56 | 自己紹介

わたしの然草・52
『仁和寺の法師』   



 徒然草 第五十二段

 仁和寺にある法師、年寄るまで岩清水を拝まざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、ただひとり、徒歩より詣でけり。極楽寺・高良などを拝みて、かばかりかと心得て帰りにけり。
 さて、かたへの人にあひて、「年比思ひつること、果たし侍りぬ。聞きしに過ぎて尊くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ず」とぞ言ひける。
 少しのことにも、先達はあらまほしき事なり。


 徒然草と言えば、仁和寺の法師と言われるぐらいに有名な段で、教科書で習う『徒然草』には、ほとんどと言っていいほど、この五十二段が出てきます。

 京都の仁和寺の坊さんが、かねてから都の南方にある石清水八幡にお参りに行きたいと思っていたが、ようやく念願を果たした。

 で、この坊さん、兼好法師にこう言いました。

「いや、兼好さん、わたしはお参りしたんですけどね。なんやら、その奥の山の方まで行かはる人が大勢いたはったんですけどね。わたしは石清水さんをお参りすることが、目的やったさかいに、その山の上までは行きませんでしたわ」
 これ、わたしのようなボンクラに例えれば、パリのシテ(中之島)に行って、自由の女神のミニチュアを発見し、言うであろう感想に似ています。

「フランス人はミミッチイなあ、こんな小さい自由の女神のコピー作って喜んどる」

 実は、自由の女神というのは、こっちが本物。

 アメリカが独立百周年の千八百七十六年に、お祝いに巨大な自由の女神像を送ることになり、そのために作った原形なのです。日本的に言えばご本尊。アメリカのニューヨークにあるものはこれをもとに拡大して作られたものであり。いわば巨大な写し(レプリカ)なのですねえ。それを日本人は、こう思う。
「日本にあるパチンコ屋のモニュメントの方が大きいし、カッコいい!」
 ことのついでに申し上げておきますが、アメリカの独立二百周年記念に日本は「平和の女神像をプレゼントしたい!」と、アメリカに申し入れ、低調に断られています。一国の安全保障をアメリカ頼みにしている脳天気な日本から、憲法九条の権化のような女神像を頂くなど、アメリカ人には笑止千万だったのでしょう。

 あの誇り高いフランスが作り、プライドの高いアメリカが大感激して頂戴し、アメリカの玄関先であるニューヨーク港に飾っているのは、アメリカの独立革命とフランス革命が密接に関係していて、世界中の市民革命のお手本になっているからでしょう。

 まあ、本題に戻ります。

 仁和寺の坊さんは石清水の麓の寺社を見て、それを石清水八幡だと思いこんでしまったのであります。
 石清水八幡というのは、その山の上にこそあったのです。
 何事につけ、経験のある先達(経験のあるガイド)というのは必要なものだなあ……という感想が、この段のテーマであります。

 わたしは、この段には○と×の両方の感想があります。

 ○の方から。日本人は、大きな意味で先達から学びました。いやDNAとして刷り込まれた弥生時代からの百姓根性です。米作りは、田植えや治水、稲刈りなど、集団としての秩序感覚が無ければできません。この秩序感覚は、古くは戦後の奇跡的な復興と経済成長。近くは阪神大震災、東日本大震災で見せた日本人の力や忍耐力に現れています。こんな状況でパニックや暴動を、ほとんど起こさないのは日本人の美徳であると思います。

 ×は、日本人の一部の先達たちのお粗末さです。
 日本の学校の授業では、江戸時代や明治時代を否定的な傾向で教えます。
 江戸時代は、幕藩体制と士農工商の身分制度の中で、大勢の民衆が高い年貢を巻き上げられ、塗炭の苦しみを味わっていたと教えられます。
 明治時代は、薩長の藩閥政治により、殖産興業、軍事大国化が推し進められた絶対主義の時代と教えられます。こんなに自分たちの国を否定的に教える国も珍しい。
 

 こういう傾向は日本だけかと思っていたら、ちょっと世界中に広まりそうな空気があります。

 キャンセルカルチャーと言うらしいです。アメリカではワシントンやリンカーン、果てはコロンブスまで否定して、銅像を壊したり撤去したりという中国の文化大革命のようなことが起こり始めています。

 なんでも、奴隷制度などの矛盾や人種差別のアメリカを作った、あるいは、その礎を築いた奴らだから否定した破壊するんだということらしいです。例えば、ワシントンは合衆国の独立を成し遂げたけれども、彼は奴隷を所有していて、奴隷制度に反対しなかったから、批判され排除される対象なのだと言う考え方なのです。

 ちょっと難しい時代の入り口に立っているのかもしれません。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

真凡プレジデント・30《帰りの地下鉄 なつきのヨダレ》

2021-03-23 06:11:15 | 小説3

レジデント・30

《帰りの地下鉄 なつきのヨダレ》  

 

 ちょっと考えている。

 だって、部長会議が行われた社会科教室を出て校舎の一階まで下りると、伊達さん、あ、二の丸の生徒会長は伊達さんと言う。

 最初に挨拶した時に言ってくれていたんだけど、わたしもなつきも飛んでしまっていた。「あ、どうも、わたし生徒会長の田中真凡です。こちらは会計の橘なつきです……」と、挨拶はしたんだけど、初めての学校訪問、すっかり抜けていた。

 一階まで下りた時に、集まっていた部活の代表さんたちが――伊達さん――と呼んでいたので再認識。

 で、考えたというのは、みなさんの反応。

 

 みなさん、カックンにならなかった。

 

 前にも言ったけど、わたしの印象の薄さというのは、ちょっと筆舌に尽くしがたい。

 暗闇を下校中、後ろから変質者が付いて来て、これは襲われる!

 そう感じた瞬間振り返ったら、変質者は、とっても落胆した顔になって、そのまま通り過ぎて行ってしまった。

 部活に入りたいんで入部願いに担任のハンコをもらいに行ったら「それは担任に貰いに行きなさい」と言われ、「えと、先生が担任なんですけど……」。そうしたら、たいてい「あ、そうだった、ごめんごめん」なるじゃない。それが――こんなやついたかなあ?――という顔になる。

 それぐらい、印象が薄くて残念な人なんだ、わたしは。

 それが、二の丸の人たちは明るい笑顔で出迎えてくれて、そのまま中庭の藤棚の下で交流会になった。

「とっても、楽しかったねえ(^▽^)/」

 帰り道、地下鉄に乗ってもなつきは「楽しかったね!」を繰り返している。

 なつきも、いろいろ質問をされたりしたり、好意的な雰囲気にニコニコしている。中学のころのなつきはワルグループに入っていたので、肯定的な雰囲気の中で話ができたことが嬉しいんだ。

 わたしは思った。

 これは、伊達さんが、事前に友好的な情報をみんなに流して、あえて顔の見えない写真でみんなの興味をマックスまで高めてくれていたことにあると思う。プレジデントとしての有りようが違うんだとしみじみ思った。

 なつきは次の駅に着くころには、わたしの肩にもたれて居ねむりし始めた。

 その油断しきって口から涎を垂らしながらの寝息が嬉しい。友だちなんだなあ、生徒会に引き込んだことも間違ってなかったんだ……しみじみ嬉しくなる。

 でも、制服に涎を垂らされてはかなわないので次の駅では腋の下をくすぐって起こしてやる。

「ウキャ! ウキャキャキャ!」

 猿みたいな声を上げて目をパチクリ。

 最初の学校訪問は楽しく有意義に、かつ無事に終わった。

 

 だけど、そのあくる日、なつきに関するとんでもない問題が持ち上がってしまうことには思い至らなかった。

 

☆ 主な登場人物

  •  田中 真凡(生徒会長)  ブスでも美人でもなく、人の印象に残らないことを密かに気にしている高校二年生
  •  福島 みずき(副会長)  真凡たちの一組とは反対の位置にある六組
  •  橘 なつき(会計)     入学以来の友だち、勉強は苦手だが真凡のことは大好き 
  •  北白川 綾乃(書記)   モテカワ美少女の同級生 
  •  田中 美樹         真凡の姉、東大卒で美人の誉れも高き女子アナだったが三月で退職、家でゴロゴロしている。
  •  柳沢 琢磨         対立候補だった ちょっとサイコパス 
  •  橘 健二           なつきの弟
  •  藤田先生          定年間近の生徒会顧問
  •  中谷先生          若い生徒会顧問

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする