銀河太平記・164
心肺停止!?
長年、幾百幾千と人の死に立ち会ってきたので一瞬で分かる。
熊が小鹿に担がれるようにしてプールサイドに引き上げられる。熊を下ろすと、直ぐに小鹿は熊に馬乗りになって蘇生措置を施す。
熊は劉宏大統領、小鹿は大統領秘書官の王春華。
春華の蘇生措置が冷静なので、森の小鹿が寝坊の熊親父を優しく起こしているように見える。
有能なレスキューは、沈着だが、けして周囲をパニックに陥らせない。
士官と学生と救急係りの看護師が同時にAEDを持ってきたが、士官と学生には待機を指示し救急係りのを使用する。
救急係りのAEDが最新でメンテナンスも行き届いているせいなのか、後々、救急係りが要らぬ責任追及をさせられないためか、あるいはその両方か。
そして、人工呼吸の間に女性下士官に呉麗花を保護するように目配せする。
まだ小学六年生の呉麗花は、まるで自分が心肺停止にしてしまったように怯えて口に手を当てたまま動けないでいる。
会場の全員が瀕死の大統領から目を離せない状況の中、よく気づくものだ。
女性下士官が抱きしめて、その場から出そうとするが、責任感からなのだろう、麗花は震えながらも大統領の蘇生を祈っている。
AEDが三回試され、蘇生措置は10分を超えた。
心臓マッサージを続けながらも、王春華は会場の救護担当の医師と、来賓で来ていた軍医総監を呼んで、二言三言言葉を交わす。
医師は軍医総監の表情を窺ってから、首を縦に振り、軍医総監は王春華の肩をたたくことで同意の意思を示した。
春華は両手で大統領のこめかみを挟んだ。
PI(パーフェクトインストール)をやるんだ!
小文字のpiも大文字のPIも、その施術姿勢は変わらないが緊張感が違う。
劉宏と王春華は度々PIをやっている。北大街大酒店での日漢秘密会談で確信した。
漢明の技術が進んでいるのか、劉宏が並外れた耐性を持っているのか、これまでも幾度か繰り返されていると、わたしは読んだ。しかし、それは、何時間かの後に再び劉宏のソウルを劉宏の身体に戻すことが前提だった。いわば、鍵穴一つ残したPIで、危険とは言え復帰前提のPIだったはずだ。
二十余年前、マンチュリアの丘でJQにやらせたことを思い出す。
いま、王春華がやろうとしているのは、その鍵穴さえもサルベージしてしまう、史上二番目、究極のPIだ。
瞬間、劉宏の身体が、ほんの皮一枚分縮んだように見えて、同時に王春華が劉宏の胸に崩折れた。
失敗か!?
会場に居る全員が息をするのを忘れて固唾をのんだ。成功例は二十余年前のわたしとJQの例しかないのだ!
数秒後、数回瞬きをして王春華がゆっくりと立ち上がった。
「会場の諸君、中継を見ている全国、全世界のみなさん。たった今、劉宏は史上二番目のパーフェクトインストールを成し遂げました!」
オオオオオオオオオオオ!
どよめきを制止て、王春華、いや劉宏は続ける。
「医師団の尽力によりほぼ体力と健康を取り戻したと思い、少し無茶をし過ぎたようです。古い体を失ったのは、あくまでわたし劉宏の勇み足によるもの、ほかの誰の責任でもありません。むろん、そこで涙を浮かべて見守ってくれている麗花のせいでもありません」
そう言うと、劉宏は笑顔で麗花を差し招いた。
「だ、大統領閣下!」
飛び込んできた麗花の髪をくしゃくしゃにして劉宏は言葉を続けた。
「アハハ、いつもの劉爺ちゃんでいいさ」
「え、あ、でも……」
あの姿かたちで「爺ちゃん」は言いにくいだろう。
「公務以外では春華姉ちゃんでもいいか」
「はい」
「じゃあ、古い体を見送らなくちゃ。いっしょに付いて来てくれるかい?」
「はい!」
学生たちが持ってきたストレッチャーにさっきまで劉宏だった体を載せると、春華の体の劉宏と麗花は手を繋いで会場を出ようとした。
「おっと、ドンケツ大会は始まったばかり、大いに励んでくれたまえ!」
ウオオオオオオオオ!
割れんばかりの歓声が上がって、劉宏は公明正大に、そして、今まで以上の信頼を勝ち得た。
士官食堂で中継を観ていた、こちらの兵たちも、ほとんどが胸を熱くしている。
恐るべし劉宏。
☆彡この章の主な登場人物
- 大石 一 (おおいし いち) 扶桑第三高校二年、一をダッシュと呼ばれることが多い
- 穴山 彦 (あなやま ひこ) 扶桑第三高校二年、 扶桑政府若年寄穴山新右衛門の息子
- 緒方 未来(おがた みく) 扶桑第三高校二年、 一の幼なじみ、祖父は扶桑政府の老中を務めていた
- 平賀 照 (ひらが てる) 扶桑第三高校二年、 飛び級で高二になった十歳の天才少女
- 加藤 恵 天狗党のメンバー 緒方未来に擬態して、もとに戻らない
- 姉崎すみれ(あねざきすみれ) 扶桑第三高校の教師、四人の担任
- 扶桑 道隆 扶桑幕府将軍
- 本多 兵二(ほんだ へいじ) 将軍付小姓、彦と中学同窓
- 胡蝶 小姓頭
- 児玉元帥(児玉隆三) 地球に帰還してからは越萌マイ
- 孫 悟兵(孫大人) 児玉元帥の友人
- 森ノ宮茂仁親王 心子内親王はシゲさんと呼ぶ
- ヨイチ 児玉元帥の副官
- マーク ファルコンZ船長 他に乗員(コスモス・越萌メイ バルス ミナホ ポチ)
- アルルカン 太陽系一の賞金首
- 氷室(氷室 睦仁) 西ノ島 氷室カンパニー社長(部下=シゲ、ハナ、ニッパチ、お岩、及川軍平)
- 村長(マヌエリト) 西ノ島 ナバホ村村長
- 主席(周 温雷) 西ノ島 フートンの代表者
- 及川 軍平 西之島市市長
- 須磨宮心子内親王(ココちゃん) 今上陛下の妹宮の娘
- 劉 宏 漢明国大統領 満漢戦争の英雄的指揮官
- 王 春華 漢明国大統領付き通訳兼秘書
※ 事項
- 扶桑政府 火星のアルカディア平原に作られた日本の植民地、独立後は扶桑政府、あるいは扶桑幕府と呼ばれる
- カサギ 扶桑の辺境にあるアルルカンのアジトの一つ
- グノーシス侵略 百年前に起こった正体不明の敵、グノーシスによる侵略
- 扶桑通信 修学旅行期間後、ヒコが始めたブログ通信
- 西ノ島 硫黄島近くの火山島 パルス鉱石の産地
- パルス鉱 23世紀の主要エネルギー源(パルス パルスラ パルスガ パルスギ)
- 氷室神社 シゲがカンパニーの南端に作った神社 御祭神=秋宮空子内親王