REオフステージ (惣堀高校演劇部)
149・シカゴに戻った ミリー
助手席から見える風景に気持ちが萎えた。
伯父さんが運転する車は、子どもの頃と同じなんだけども……速い。速い割には時間がかかっている。
「……道が違うようだけど」
「ああ、ワシントンパーク周辺を避けてるからね」
「あ、そうなんだ……」
シカゴは急速に治安が悪くなっている。その速度はSNSとかで知っていた状況を超えている。
「民主党大会のころは最悪だった」
「そうなんだ……」
去年、来日した時の伯父さん(031・マシュー・オーエン)とは別人のように表情が固い。
「実はテキサスに引っ越そうと思ってるんだ」
「テキサス……」
「マイクも同じ」
「お父さんも?」
「ああ……」
去年行ったサンフランシスコよりも状況は悪いみたい。
その後は、家に着くまで、わたしも伯父さんも無言だった。
「なんだ、思ったより元気そうじゃない!」
そう言うつもりだった。
でも、自分の親よりも先に会いに行った田中さんのお婆ちゃんは、様態が悪かった。
「お婆ちゃん……」
呼びかけてみたんだけど、酸素マスクのシューシューいう音だけしか返ってこない。
「でも、少し血色がよくなってきたみたいよ」
懐かしい声がしたかと思うと、ミチコさんだ。
ミチコさんはおばあちゃんの一人娘。東京タワーができた年に生まれた。
父親似で、見かけはほとんどアメリカ人なんだけど、まだわたしが子どもだったころとちっとも変わらないのは、お婆ちゃんの血なのかもしれない。
気が付くと、お母さんもそばに居て――こっち来て――と目配せした。
「ごめん、お母さん。まっすぐこっちに来てしまって」
「いいのよ、さあ、リビングへ」
お婆ちゃんの家はリビングが広い。
近所づきあいを大事にしたお婆ちゃんは、ミチコさんが生まれた年に増改築してリビングを広くしたんだ。
ダグ(お婆ちゃんの旦那)は朝鮮戦争の時に日本にやって来てお婆ちゃんと知り合い、双方の反対を押し切って、戦後にシカゴにお婆ちゃんを連れて帰った。
ダグが亡くなったあとも、お婆ちゃんは家業の製粉会社と、この家を守って、わたしが生まれたころには、この町では大文字のグランマと言えばお婆ちゃんのことだった。お婆ちゃんは芳子という日本名で呼ばれるよりも、帰化した時に付けた洗礼名と同じアグネスという名前を大事にしていた。
「おお、ミリー!」「お帰りミリー」「よく帰ってきたね」「待ってたわアグネスの孫娘」「夢みたい!」「間に合ったんだミリー!」
懐かしい声がリビングに入るなり、わたしに浴びせられた。
「あ、ごめんなさい、わたし、お婆ちゃんの部屋に真っ直ぐ行ったもんだから(^_^;)」
「わたしたちもそうだよ。みんな、真っ直ぐグランマの顔を見て、ここに集まってるんだよ」
「やあ、久しぶりぃ」
「さあ、ここに座って」
「いま、お茶を淹れるわね」
矢継ぎ早に掛けられる挨拶や言葉はとても懐かしい。
でもね、この明るさは、お婆ちゃんが重篤だっていうことの証明でもあるんだ。みんな、ここで帰ったら、その間にお婆ちゃんが神に召されるんじゃないかと立ち去れないんだ。
小さいころに、司祭さんが重篤になった時も、司祭館に見舞いに行った人たちは帰ろうとしなかった。
「あの時、祖父さんは息を吹き返したしね(^_^;)」
わたしの気持ちを代弁するように言うのは、司祭さんの孫のクラーク。三つ年上なだけなんだけども、イッチョマエに司祭服を着ている。
淹れてもらったお茶を飲みながら気が付いた。
シカゴに着いてからの自問自答というかモノローグが英語に戻っている。
☆彡 主な登場人物とあれこれ
- 小山内啓介 演劇部部長
- 沢村千歳 車いすの一年生
- 沢村留美 千歳の姉
- ミリー 交換留学生 渡辺家に下宿
- 松井須磨 停学6年目の留年生 甲府の旧家にルーツがある
- 瀬戸内美春 生徒会副会長
- ミッキー・ドナルド サンフランシスコの高校生
- シンディ― サンフランシスコの高校生
- 生徒たち セーヤン(情報部) トラヤン 生徒会長 谷口 織田信中 伊藤香里菜
- 先生たち 姫ちゃん 八重桜(敷島) 松平(生徒会顧問) 朝倉美乃梨(須磨の元同級生) 大久保(生指部長)
- 惣堀商店街 ハイス薬局(ハゲの店主と女房のエリヨ) ケメコ(そうほり屋の娘)