クララ ハイジを待ちながら
大橋むつお
※ 本作は自由に上演していただいて構いません、詳細は最終回の最後に記しておきます
5 窓を開けるクララ
時 ある日
所 クララの部屋
人物 クララ(ゼーゼマンの一人娘) シャルロッテ(新入りのメイド) ロッテンマイヤー(声のみ)
窓を開けるクララ。いつしか曲は止まって鳥のさえずりが聞こえる。
クララ:あ、ピーちゃんだ!
あれ、見える!? 見えてる!?
時々この窓辺にもやってくるのよ。鳥のことはよくわかんないけど多分インコ……おいでピーちゃん、こっちだよこっち。ほら、エサあげるから、ピーちゃん!
……行っちゃった……アルムのハイジのとこじゃ、牧場で、手をのばすだけで小鳥がやってきたものよ……うん、分かってるわ。
あのピーちゃんは「あなたの方こそ外に出てらっしゃい」って言ってるの。
……わたし、ハイジとアルムの自然のおかげで、こうやって歩けるようになった。ほら、もうスキップだってできるわ。
去年の体育祭じゃリレーだって出たのよ。フフ、信じられないでしょ。人を抜くことは、さすがにできなかったけど、順位を落とすようなことはなかったわ。持久走だってこなしたし、ランナーズハイてのも体験したわ……あれって、走り始めて三十分くらいたたないとやってこないのよね。最初の三十分までは「なんでぇ……」ってくらいきついんだけど、それ過ぎると、どこまでも、いつまでも走っていけそうな爽快感。
そのくらいにクララは回復したの……人生も同じよね、ランナーズハイがある。
アルムから帰って、三年くらいはそうだった……でも気づいたの。リレーとかで走るのは、ゴールがはっきりしている。でもでも、人生のゴールって自分で見つけなくっちゃいけないのよね。
わたしたちにはそれが無いのよ……こないだね、アンがやってきたの。
知ってる? アン・バーリー……あ、結婚する前はアン・シャーリー。そう『赤毛のアン』のアン。もう歳だけどね。わたし、娘さんのリラのほうが仲がいいの。ほら、この写真。こっちの娘さんのほうがリラ、かわいいでしょ。こっちのキリっとしてるおばさんがアン。長いこと学校の先生をやってたの。
わたしもね、学校の先生になろうって思ったことがあるのよ……だってステキじゃない。いつまでも若い子達の弾むような感性の中で泣いたり笑ったりできるなんて、それこそ永遠の青春!
わたしはハイジじゃないからね。アルプスの自然から立ち上がる力は、もらえたけど。あそこはハイジの世界。
わたしの世界は自分で見つけなくっちゃ。アンは言ってた「わたしは、いい時代に先生がやれて幸せだったって……雲が流れていくわ……アルムじゃね、あの雲はハイジを待ってくれるの……この街じゃ、あの雲はわたしを待ってはくれない。知らん顔して、流れていくだけ……え、あのハイジのブランコはどれくらいの長さがあるかしらって……フフフ、わたしも考えたわ。うん、ハイジの真似をしてみたの……ハイジって、なんでも知りたがって、くちぐせは「おしえて」だったものね……で、わたし、計算したの。振り子の周期から、あのブランコの長さは三十七・八メートルだって。で、ハイジに教えてあげたの。きっと驚くだろうって思って「わー、クララってすごい!」って言ってくれるだろうって……ハイジはなんて言ったと思う……不思議そうな顔をしてね「なんで、そんなこと計算するの?」……ハハハ……ハイジはね、ただブランコに乗ってみたかっただけなの、流れる雲の上に寝そべってみたかっただけなの。雲がハイジを待ってくれている。その感動を表したのが「おしえて」。
わたしは、その「おしえて」を勘違いしていた。
だから、いっそうハイジの「おしえて」がうらやましい……え……うん、大丈夫。なんでも聞いて。
……アハハ、遠慮してたの?……アナタって、デリカシーありすぎ。気疲れするでしょ、いつもそんなじゃ……イジメにあったことがあるかって? あなたは……あ、わたしから話さなくっちゃいけないわよね。
イジメはないわ。ハイジに会うまでは学校にもいけなかったし。ウフフ、ロッテンマイヤーさんにはしょっちゅう叱られてたけどね。あの人はただ注意してるつもりなんだけど、口調がきついのね(かすかにクシャミ聞こえる)ウフフ、根はいい人よ……学校に行ってからは……うん、あんまりお友達はできなかったな。だれもがハイジみたいに心を開いてくれるわけじゃないし、だれでもハイジに対するように心を開けるわけじゃない。でも、その代わりイジメられるようなこともなかった。
こんな言い方ダメかもしれないけど、イジメって、根本のとこでは、相手に対する興味の現れだと思う……ね、わたしのいたずらも同じよ。ロッテンマイヤーさんとかが反応してくれるからやってんの……アナタはぁ?
……いいのよ、言いたくなった時に聞かせてくれたら。
……あ、もう雲流れていっちゃった。さっきヒツジさんみたいな雲があったんだけどね……あれかなあ……トドみたいになっちゃったけど……わたしたちの心も雲みたいね。あっという間に流れて変わっちゃう。アルムの雲だって流れるんだけどね、ハイジは、雲がハイジを待ってくれてるように思えるわけ。
……あの感性にはまいっちゃう。なかなかあんなふうにはね……フフ、落ち込んでなんかいないわよ。ただ、「ちがうんだ」って思っただけ。で、わたしは、わたし自身の「おしえて」を持てばいい。そう思い直したの。
だからこれ……この本たち。まあ、大半は図書館から借りてくるんだけどね……それにしてもすごい量?
う~ん……でも二千冊くらいよ。服とかも多いから。あんまり、お部屋の中ゴチャゴチャにしときたくないの。ゴチャゴチャは、頭の中だけで十分。
……アナタの部屋って、よく見るとステキじゃない……ううん、そんなことない。ベッドの枕のほうに机があって、パソコンとかモニターとかすぐ側なんでしょ。床に一見散らかってるように見えてる服も、ベッドの足下から、キャミとか下着、ブラウスにベスト……あ、そのジャケットとると鏡なんだ。
起きたら順番に着て、最後は鏡で確認して出かけられる。機能的じゃない! あなたって、印象よりも合理的な人なんだ……あ、今なに隠したの!?……だめ、見ちゃったんだから、ちゃんと見せなさいよ。
……ステキ……それってダンスかなにかの衣装?……そうか、さっき言ってたの、そうなんだ! 言ってたじゃない、演劇部の後に入ったクラブがあるって……そうなんだ、ダンス部だったんだ!
……え、部員がみんなやめちゃってアナタ一人に……そう、それでもがんばろうとしたんだ……先生も忙しいもんね……授業と会議とパソコンばっかだもんね……え、IDカード……先生が首からぶらさげてる……わたしも、あれキライ。なんだかスーパーとかコンビニの商品の品質表示みたいでしょ……え、バーコード? ナイショだけど、ロッテンマイヤーさんの彼もバーコードよ(ロッテンマイヤーのくしゃみ)……頭じゃなくって、IDカードに……え、時々産地偽装してるみたいな先生も……アナタってウィットの感覚いいわよ。もっと本とか読んで感覚磨くと……アハハハ、わかった、わかったって。もうお説教みたいなこと言わないからさ……ね、ダンスのレパートリーどんなのがあるの?
……あ、それわたしも知ってる。ユーチューブで覚えた! ね、いっしょに踊ってみようよ……すごーいもう、コスに着替えたの!?……うん、とてもステキよ。待って、シンクロさせるから……よし、いいわよ!