コッペリア・11
栞の不思議さは、ぶっ飛んでいた。
まあ、元々ぶっ飛んだ話ではあるが。
引っ越し先の前の住人が同姓同名で、亡くなった一か月後に越してきて、前の住人宛てに送られて来たドールの世話をしなくちゃならなくなった。
で、そいつが人間みたく、喋って動く。百人の人が聞いたら、百人、不思議とかあり得ねえって言うだろう。
でもって、やることなすことぶっ飛んでいるから厄介だ。
今も、ビールをこぼして、拭くと吹くを間違えて、こぼれたビールをフローリングいっぱいに吹きひろげてしまった。
「拭くっていうのは、こういう字を書いて、ダスターとか持って、こぼれたのを吸収させること。栞がやったのは、単に吹き広げてるだけなの!」
「ごめんなさい……」
「この子は、喋って動けるけど、言葉の意味と行動が結びつかないんだぜ。一から教えてやるしかねえなあ……」
大家が、半ば他人事のように言う。
「したっけ、不思議なんだけどさ。どうして、自分の名前を最初から『栞』って知ってるんだ? それに、どうして関西訛なんだ。この人形は東京の葛飾で作られたようだぜ」
不動産屋が、栞の送り状を見て、不思議を広げてしまう。
「それにさ、隣のセラちゃんとこに行ったときは、人間だと思われたんだろ?」
「ええ、その上に誤解してましたね。ボクが女の子を連れ込んだように思ってましたよ」
「ま、とにかく一から教えなくっちゃな……それに着るものなんとかしてやろうよ。こんなディスカウントのペラペラじゃあ。ちょっと栞ちゃん、立ってごらんな」
栞が気を付けをすると、大家は右手の指を尺取にして、栞のサイズを測りだした。
「大家さん手馴れてますね」
「集団就職で最初に来たのが洋裁屋だったからね……うん、孫娘のサイズでいけるな。S~XSってとこだ。見繕ってきてやるよ」
「ちょっと実験してみるな……」
パシャ
不動産屋が、スマホを出して栞の写真を撮った。
「こりゃ、どう見ても人間だ!」
スマホの画面に写っていたのは、十五・六の小柄な女の子だ、寂しさと好奇心が同居したような、見ようによっては今時珍しい、媚も開き直りも無い無垢な姿ではあった。
「こりゃ、どうやら他人様には人間に見えるんだ。訳知りの三人だけが、本来のドールの姿に見えるらしいな。だからセラちゃんは、あんなこと言ったんだぜ」
「大家さん、下着も用意してやった方がいいぜ。安物のコスプレ衣装だから、座ると丸見えだし、生地が薄いから透けて見えるよ」
「分かった、なんとかするよ」
「すみません」
と、言いながら、なんでボクが謝らなければならないのかと思った。
どうやら、先代の立風颯太氏には、完全な妹としての栞のイメージがあったようだが、ドール本体が届いて躾ける前に亡くなってしまった。それがあとからやってきた颯太に憑りついたというか、託されたというか、一応いのちを吹き込み、ある程度喋ったり動いたりできるようにはなったようだが、所詮は同姓同名だけのよしみ。大半の事は颯太が教えてやらなければならないようだ。
箸の上げ下ろしから教えなければならなかった。
だが、産業用ロボットのように、手を取って一度動きを教えてやると、一発で覚えた。
立ち居振る舞いは、颯太の動きを見て覚える……のはいいが、当然のごとく男の動きになる。
「困ったなあ……」
「困ったなあ……」
栞は関西訛の言葉で、同じように腕を組む。颯太は無意識に胡坐をかいてしまうので、栞も胡坐である。短いスカートの中が丸見えになってしまう。
颯太は、いいことを思いついた。パソコンで自分が好きなAKPの矢藤萌絵の画像を見せた。萌絵はAKPの選抜のセンターなので、テレビ番組の他、プライベート映像も沢山ネットで流れている。颯太自身、非常勤講師採用のための健康診断に行かなければならなかったので、半日パソコンで矢藤萌絵の画像を見ておくように言った。
「ただいまあ」
「おかえりなさい」という声が返ってきた。
立ち居振る舞いも矢藤萌絵のようになってきている。ただ言葉は関西訛がとれなかった。
まあ、本来のオーナーは大阪の人なんだから仕方ないかと思い直した。
そこに、大家がトートバッグをぶら下げて、うかない顔でやってきた。
「ほら、お古だけど、衣装だ。下着はネットで注文しといたから、明日には届くよ」
「すみません、ご面倒おかけして」
「それはいいんだけどよ、こんなものが来ちまった」
大家が差し出したのは、大家気付にはなっているが、栞の神楽坂高校への転入許可書であった……。