せやさかい・419
はんげしょう。
音からだけだと半化粧、薄化粧と同じ意味だと思った。
リビングでテイ兄さんが新聞を読んでいて、そこだけ口に出して言った。
「あ、ああ、七月二日を『半夏生』て云うんやて」
そう言って新聞を示してくれる。
「ああ、これで『はんげしょう』って読むんですね」
「留美ちゃんでも知らんかった?」
「二十四節気はなんとなくわかるんですけど、七十二候は知らなかった。テイ兄さん偉いです!」
「いや、僕も知らんかった。ええ言葉やねえ、半分くらい夏が生えてきた……そんな感じ?」
「プ、夏が生えるんですか( ´艸`)」
「夏が生まれる?」
「なるほど」
「いえいえ、生えるの方が言葉が生きてます」
「そう(^▽^)」
二人でコラムを読む。
「……そうか、この日までには田植えを済ませておけって、そういう意味があるんですねえ。季節の変わり目」
日本語には春夏秋冬の他にも、季節を表す言葉がたくさんある。新聞のコラムにも『昨日まで蒼空を映していた田んぼが田植えを終えて青々としている』という意味の俳句が添えてある。やっぱりプロの文章はすごいと思った。
もう令和五年も半分済んでしまった。
中学に入ってさくらと同級になったのは、まだ平成だった。
入学式、教頭先生が「ただ今より、平成三十一年度入学式を行います」と宣言したのを昨日のことのように思い出す。
コミュ障のわたしは、中学でうまくやっていけるだろうかって不安でいっぱいだった。だから、教頭先生の開式宣言は、まるで死刑宣告みたいに聞こえた。
酒井さくら、榊原留美、共通点は苗字の頭文字が『さ』ってことだけ。
でも、クラスの女子で苗字に『さ』が付くのは、さくらとわたしだけ。
だから、出席番号順の座席で前と後ろになった。
あけすけで、はっきりものを言うさくらに、最初は尻込みしてたけど、いつの間にか友だちになった。
さくらは、お父さんの失踪宣告があって、不安をいっぱい抱えてお母さんの実家に転がり込んできたところだった。
それが分かったのはもっと後になってから。
そんな感じは微塵もなくって、明るく毎日を過ごして、時どきは口癖の「せやさかい!」で、わたしを叱ったり、誘ってくれたり。さくらが居なければ文芸部にも入っていなくて、頼子さんに出会うことも無かった。
頼子さんは、ハーフなんだけど外形的な遺伝子はお父さんから受け継いでいて、見てくれは金髪碧眼の王女さま。
今は、ヤマセンブルグで本物の王女さまになってしまった。
すごいよね。
さくらが居なければ、きっと口もきけずに文芸部にも入れなかった。
お母さんが亡くなって、いろいろいきさつがあって、今ではさくらの家である如来寺で姉妹同然に暮らしている。
今日は、さくらはアニメの収録で東京に行っている。
さくらは八月には終わるとか言ってたけど、アニメがスケジュール通りにできるわけはない。まして、江戸川アニメ、監督は宗武真、今までスケジュール通りにできたためしがない監督。ヘタをしたら、年内いっぱい。
それに、あのイキイキした様子を見ていると、この先も声優の仕事を続けるような気がする。そうなってもならなくても、わたしの親友、どこまでも応援するけどね。
わたしも、三年足らずで二十歳だ。
これまでの五年があっと言う間だったから、そんなの直ぐにやって来る。
詩(ことは)さんも、いろいろ悩んで、今はヤマセンブルグに留学中。
女王さまを庇って階段から落ちて、今は車いすだけど、おばさんが看病に行って、今はメキメキ回復中。
ほんとうに、さくらと関わりのある人たちは、元気で前向きだ。
「さくらのやつ、このごろ巻き舌の発作みたいになっとるやろ、壊れた電話みたいに」
「ルルルルルル……て、やつですね?」
「お、留美ちゃんも伝染ったんか!?」
「違いますよ、発声練習」
「巻き舌がかぁ?」
「はい、他にも、唇を震わせて、プルルルル……というのもあります」
「へえ、うまいもんやなあ」
「つきあわされましたから」
「あ、想像つく。あいつは、なんでも人を巻き込みよるさかいなあ」
「ほんとは、一から訓練とかしたそうなんだけど、監督も『さくらは、そのままでいい』って。でも、負けず嫌いでしょ。真鈴先輩から『じゃあ、ルルルとプルルだけやっとけ』って」
「ああ、あの賑やかなやつ」
「フフフ」
「え、なんか可笑しい?」
「いいえ」
ほんとは可笑しい。
頼子さんと真鈴先輩は、わたしの中では同じカテゴリーに入っている。
明るく積極的で、人や物を見る目が真っ直ぐ。そしてチャーミング。
違い……違いは、真鈴先輩は最初から売れっ子の高校生声優として出現したこと。わたしたちにとっては有能でアグレッシブな生徒会長でもあったけど。
頼子さんは、さくらや妹の詩さんと同じ安泰中学の生徒としてテイ兄さんの前に現れた。
取っつきやすかった……と言ったら怒られるかもだけど、テイ兄さん自身安泰中学のOBだし、そうなんだと思う。
権力や権威に楯突いてきた堺の町衆の心意気、信長や秀吉にも屈しなかった千利休。
ちょっとこじつけだけど、そんな風に見てみるのも面白いかも。
「留美ちゃん、ひらり行くけどぉ」
「あ、いま行きます!」
おばさんが声をかけてくれて、ここのところお手伝いしている介護喫茶ひらりに手作りパンの配達のお手伝い。
ヤマセンブルグから戻ってから、おばさんはボランティアの仕事を増やした。
もともと、趣味のパン作りを活かして、ひらりのスタッフにパンの作り方を教えていたんだけど、このごろは家で作ったパンも売り出したりしている。車で運べば、おばさん一人で済むんだけど、自転車を使っている。
近所だということもあるんだけど、わたしに人と会うチャンスを作ってくださってるんだ。
さくらのいない土日は、部屋に籠って本を読んだりパソコンばかりやってるからね。
ハンゼイのマスターからもらったヘルメットを被って、荷台にパンの箱を載せて自転車に跨る。
せめて、オープンマインドを心がけ、眼鏡を外してコンタクトに切り替える。
おばさんは、お爺さんが檀家周りに使っていた原チャのヘルメット。
まだ三回目のわたしは、スタッフの人たちやお年寄りと挨拶以上の話ができない。
アハハと愛想笑いしたり、「はい」「いいえ」とかの返事くらいしかできない。さくらだったら、もう全員と『年の離れたお友だち』とか『みなさんの孫娘とか』になっていたと思う。
「すみません、あまりお話とかできなくて」
「いいのよ、配達ついでに羽伸ばしてるのはわたしなんだから。お天気もいいし、ちょっと散歩して帰るといいわ」
「は、はい、そうします」
「また、お寺の方にもいくからねぇ」
「あ、田中さんのお婆ちゃん!?」
婦人部のお馴染みさんがいるのにも気づかず「失礼しましたあ(;'∀')」と頭を下げただけで外に出る。
少し蒸し暑い、Tシャツの袖を肩までめくってペダルをこぐ。
中一までは、夏バテがひどくて、スーパーに行くぐらいしか外に出なかった。
それが、配達のお手伝いもできて、その帰りにプチサイクリングまでやってる。
まあ、榊原留美としては大進歩。
もう少し早ければ、メグリンやソニーと急きょ散策部の部活に早変わりするんだけど、まあ、仕方がない。
あ、堺東の駅だ?
いつもとは違う道を走ったつもりなのに、角を曲がって、いつもの堺東の駅前に出てビックリ。
我ながら生活圏が狭い。
仕方がない、反正天皇陵の裏を周って帰ろうか……そう思って信号待ち。
「ちょっといいかなぁ」
いきなり声を掛けられてビックリ。
信号の向こうから見慣れた女性警官さんが男の人を従えて近寄ってきた。
え? ええ? なにか違反した!?
「ごめんなさい、違反とか交通指導とかじゃないの」
「あ、ぼくは、大阪府警の請負で『自転車ヘルメット』の啓発ポスター用の写真を撮ってるんだけど」
「あなたの写真を使わせてもらってもいいかしらって、お願いなの」
「十枚ほど撮らせてもらったんだけど……」
グイッと出されたカメラの画面には、つい数十秒前のわたしが連写されていた。
「あ、ああ……」
「よかったら、もう何枚か撮らせてもらって、使用許可ももらえると嬉しいんだけど(^_^;)」
いつものキリキリした感じじゃなくて、いかにも場慣れしていない女性警官さんが好印象で、つい、こう応えてしまった。
「女性警官さんとのツーショットもありなら、いいです!」
「え、わたしと!?」
「はい、以前から素敵な女性警官さんだと思ってましたから!」
「え、ええ(# ゚Д゚#)!」
めちゃくちゃビックリして、頬を染める彼女は、あっぱれ民主警察の看板に相応しいと思った。
☆・・主な登場人物・・☆
- 酒井 さくら この物語の主人公 聖真理愛女学院高校二年生
- 酒井 歌 さくらの母 亭主の失踪宣告をして旧姓の酒井に戻って娘と共に実家に戻ってきた。現在行方不明。
- 酒井 諦観 さくらの祖父 如来寺の隠居
- 酒井 諦念 さくらの伯父 諦一と詩の父
- 酒井 諦一 さくらの従兄 如来寺の新米坊主 テイ兄ちゃんと呼ばれる
- 酒井 詩(ことは) さくらの従姉 聖真理愛学院大学三年生 ヤマセンブルグに留学中 妖精のバンシー、リャナンシーが友だち 愛称コットン
- 酒井 美保 さくらの義理の伯母 諦一 詩の母
- 榊原 留美 さくらと同居 中一からの同級生
- 夕陽丘頼子 さくらと留美の先輩 ヤマセンブルグの王女 愛称リッチ
- ソフィー ソフィア・ヒギンズ 頼子のガード 英国王室のメイド 陸軍少尉
- ソニー ソニア・ヒギンズ ソフィーの妹 英国王室のメイド 陸軍伍長
- 月島さやか 中二~高一までさくらの担任の先生
- 古閑 巡里(めぐり) さくらと留美のクラスメート メグリン
- 百武真鈴(田中真央) 高校生声優の生徒会長
- 女王陛下 頼子のお祖母ちゃん ヤマセンブルグの国家元首
- 江戸川アニメの関係者 宗武真(監督) 江原(作監) 武者走(脚本) 宮田(制作進行)
- 声優の人たち 花園あやめ 吉永百合子 小早川凜太郎
- さくらの周辺の人たち ハンゼイのマスター(昴・あきら) 瑞穂(マスターの奥さん) 小鳥遊先生(2年3組の担任) 田中米子(米屋のお婆ちゃん)