せやさかい・384
もし、ヤマセンブルグの王位継承者になんか生まれなかったら。
寒さが続くせいか、ジッとしていると、そんなことを考えてしまう。
英語のテスト、十分で終わって五分で見直して、三十五分も余ってしまった。
答案用紙を裏がえし、神妙にしていると、つい考えてしまう。
最初は危うく思い出し笑いをしてしまうところだった。
思い出したのは、さくらが送ってきた写真。
春アニメのモデルに東京の江戸川アニメに呼ばれたさくら。
宗武監督の春アニメ『犬が西向きゃ尾は東』の主人公がさくらのイメージにぴったりだから、真鈴が引っ張って行って見本にされた。
画鋲を買いにいかされ「押しピンください」と大阪弁をかます。さくらは不器用な子で標準語では会話できないし、できないことを屁とも思っていない。そういうところが良いらしい。
「押しピン」を「虫ピン」と聞き違えた店主とのトンチンカンなやりとり。その隠し撮りしたのを、スタッフや声優の花園あやめで研究。半日おしゃべりしたのと合わせて、監督のイメージが固まって、キャラの設定変更。
そのキャラ設定の絵が送られてきて、めちゃくちゃ面白い。
つくづく宗武監督はすごいと思う。
監督は、去年の春アニメ一番人気だった『恋するマネキン』も手掛けていた。
何を隠そう、最終回に出てくる女神ノルンの声は、わたしがやっている。百武真鈴に熱烈に誘われたせいなんだけど、めちゃくちゃ楽しかった。真鈴は声優だけじゃなくてプロデューサーの才能があるのかもしれない。
その百武真鈴が、新作『犬が西向きゃ尾は東』の企画を聞いて、こんな女の子としてさくらのイメージを語った。
アンテナのいい宗武監督は、その線で絵コンテを書き進めたけど、やっぱり掴み切れないので実物を呼んだんだ。
それが、とても生き生きしていて、一部のエピソードや演出はさくらのイメージに合わせて書き直されたと真鈴の話。
「どうよ、やってみたくなったぁ?」
意地悪そうな目で真鈴は粉を振る。
予感はする。
真鈴とさくらといっしょに声優ができたら、人生楽しいだろうなあと、背中に電気が走るみたいに心が疼くよ。
だから―― 日本一の三枚目! ――とかのメールを打ちたかった。
でも、そのメール送ったら、あの愛すべきバカは、必ず返事を寄こす。
返事が来たら、それに返事を書いて、また返事が返って来て、ついには如来寺にまで行ってしまう。
如来寺のみなさんは、みんな暖かいから、つい長居をしてしまう。あの元文芸部の部室は居心地が良すぎる。
試験が終わったら、その日のうちのヤマセンブルグに飛ばなきゃならない。
だから、メールは送らなかった。
楽しかったよ、さくらたちとの四年間。
あ、あれ……涙が溢れてきた。
ちょ、ヤバイよ。
試験中、ハンカチ出すのも躊躇われる。
仕方がないので、眠いふりして右の人差し指で涙を拭う。
拭ったことが――泣いてるんだ――という気持ちを増幅してしまって、ますます涙があふれてくる。
もう、制服の袖で拭う。
ヤバイ、ソフィーがこっち見てる。監督の先生も見てる。
仕方ないので、うつ伏せて寝たふりした。
ウ、ウ、ウ……
だめだ、なんだかこみ上げてきて嗚咽してしまいそう。
「先生、頼子さんを保健室に連れて行きます」
ゲ、ソフィーのやつ!
保健室どころか、そのまま帰ることになって、領事館に着いたら東京の大使館から専門のドクターまで来ていたよ。
☆・・主な登場人物・・☆
- 酒井 さくら この物語の主人公 聖真理愛女学院高校一年生
- 酒井 歌 さくらの母 亭主の失踪宣告をして旧姓の酒井に戻って娘と共に実家に戻ってきた。現在行方不明。
- 酒井 諦観 さくらの祖父 如来寺の隠居
- 酒井 諦念 さくらの伯父 諦一と詩の父
- 酒井 諦一 さくらの従兄 如来寺の新米坊主 テイ兄ちゃんと呼ばれる
- 酒井 詩(ことは) さくらの従姉 聖真理愛学院大学二年生
- 酒井 美保 さくらの義理の伯母 諦一 詩の母
- 榊原 留美 さくらと同居 中一からの同級生
- 夕陽丘頼子 さくらと留美の先輩 ヤマセンブルグの王女 聖真理愛女学院高校三年生
- ソフィー ソフィア・ヒギンズ 頼子のガード 英国王室のメイド 陸軍少尉
- ソニー ソニア・ヒギンズ ソフィーの妹 英国王室のメイド 陸軍伍長
- 月島さやか さくらの担任の先生
- 古閑 巡里(めぐり) さくらと留美のクラスメート メグリン
- 百武真鈴(田中真央) 高校生声優の生徒会長
- 女王陛下 頼子のお祖母ちゃん ヤマセンブルグの国家元首
- 江戸川アニメの関係者 宗武真(監督) 江原(作監) 武者走(脚本) 宮田(制作進行) 花園あやめ(声優)
- さくらをとりまく人たち ハンゼイのマスター(昴・あきら) 瑞穂(マスターの奥さん)