大橋むつおのブログ

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らいと古典・わたしの徒然草・7『第二十六段 亡き人の別れよりもまさりても……』

2021-02-16 06:53:38 | 自己紹介

わたしの徒然草・6

『第二十六段 亡き人の別れよりもまさりても……』  




 徒然草というのは、矛盾やブレが多いようです。

 第八段では「色欲は身を滅ぼす!」と宣言し。かと思えば、直後の九段では、最後の一節でこそ、取って付けたように異性への惑いをいさめてはいますが、全編「女は髪のめでたからんこそ……」と、女性の魅力を髪に象徴して、そのメロメロさを披露しています。

 この矛盾やブレは、徒然草が何十年の長きにわたって書かれたものであるというあかしであると同時に、兼好というオッサンのおもしろさを現していると思います。

 五十路以上の方ならご存じかもと思うのですが『桃尻娘』をお書きになった、橋本治さん(「とめてくれるな、おっかさん。背中の銀杏が泣いている。男東大どこへいく」のコピーで有名)が、『絵本 徒然草』でこう述べられている。この二十五段から、三十二段あたりが変わり目であると。なんの変わり目かというと、青年と大人の変わり目。二百四十三段の終わりまで、この兼好というオッサンには、青年らしい、心のゆらめきやら、矛盾やらが同居しているのですが。その中でも、このあたりに、なにやら折り返し点があるようである……ということのようです。

 この第二十六段が書かれたのは、兼好三十路の初めごろ。まだ坊主になって何年もたっていない。もとより兼好のオッサンは、仏道修行に精をだすために坊主になったのではなく、南北朝の時代、カタチばかりになった貴族社会。その中でも、あまりぱっとしない五位の位(まあ、傾いた伝統企業の課長級)。それでも後二条天皇の里代裏(さとだいり。この時代は内裏が焼けてしまって、天皇さんの母方の実家を内裏にしていた)の堀川家の諸太夫(第一秘書みたいなもの)をやっていたころは、まだ、いい目をみるチャンスもあったのですが、後二条天皇の崩御(死ぬこと)や、その御子である邦良親王にまで死なれ「やってられるか!」という、やけっぱちで俗気たっぷりの早期退職のような出家……わかりますなあ……かくいうわたしも五十五歳で「やってられるか!」で、早期退職した口であります。だから、兼好のオッサンは法名も俗名の兼好(かねよし)を音読みしただけのずぼらさ。だから、そこらへんの一見マジメな坊主とちがって、俗世間に、死ぬまで関心をもってござらっしゃった。で、まだ坊主になって何年もたたないころに書かれた、この第二十六段などは、じつに俗! いや、俗を悪いとは毛ほどにも思っていないわたしでありますが。今も昔も坊主というのは世の人が思うほど、その多くは聖人ではありません(私自身、坊主の孫でして、実態は良く承知している)社会人野球のチームで、いちばんガラが悪いのは坊主のチームだとも言われています。わたしが尊敬してやまない郷土の悪たれ坊主の今東光和尚も、行きつけの散髪屋の屋号を「美人館」とつけたり、美人のグラビアに目を細めたり、「嫁さんにするんやったらS高校(わたしの、初任校であります)の娘がええなあ」と、のたもうておられます。東光和尚の法名は春聴といい(なんか……ですな。落語家に字こそちがうがシュンチョウさんがおられます)仏弟子である瀬戸内寂聴さんの法名は、なんと、この東光和尚がつけておられるのです。寂聴尼もなかなかなお方ではありますが……また、機会があれば寂聴尼についても語りたいと思います。

 以上、長々とした前説で恐縮です(^_^;)。

 本題は……そうそう『亡き人の別れよりもまさりて……』です。なにがかというと、生きている人との別れというのは辛いなあということであって。この生きている人というのは、定年をむかえた先輩でもなく。卒業式の日のクラスメートでもない。この段に堂々と引用してある堀川院におくられた和歌「昔見し妹が垣根は荒れにけり、つばなまじりの菫のみして」ええと、意味は……「昔つきあってた娘(こ)の家の垣根は荒れちまって、雑草が茂ちまってスミレだけがポツンと咲いているんだよな……これが」。つまり男というのはこういうもんなんだということであります。
 

 女性の読者からお叱りをうけるかもしれませんが、男と女というのは根本的に違うところがあるのではないでしょうか。

 例えば、女性は家の中のちょっとしたものの位置が変わっていても目ざとく見つけられるもので、ヘソクリを見つけられて泣きの涙を見るのは、たいがい亭主のほうであります。ついこないだも、うちの息子が、運動会でいる手ぬぐいを学校カバンの横に置いていて、うっかり持っていくのを忘れたことがありました。リビングの端っこに、その手ぬぐいはポツネンと放置されていたのですが、わたしはいっこうに気づきません。

 朝「手ぬぐい忘れんように、カバンの横に置いといたから」「うん、わかった」という会話を聞いていたにもかかわらず。カミサンは帰宅するやいなや「あ、忘れよった!」。で、わたしは初めて手ぬぐいの存在に気が付きました。したがってわたしのささやかなヘソクリなどとうにご存じで、いくらか抜かれていても気が付きません。鬱がはげしく、ひょっとして……と、自分の実存に自信がなかったころ、「おれの実印、ここにあるから」と指し示したところ、まるで脱ぎ散らしたスリッパの位置を承知しているがごとく「うん、知ってる」 あな恐ろしきは、女の観察眼であると思いました。

 しかし、うちのカミサンは、地図がまるでだめなのです。息子の学校に提出する書類に、地図を描くのはいつもわたしの係り。ともだちのオバハン同士で、スマップだかのコンサートにいくとき、ネットで地図を検索したのはいいものの、「これ、どこやのん?」と、カミサン。「そこにナンタラいう駅があるやろな、その前の道を南に歩いて、三本目の筋をまがったとこ」「そやかて、どっちが南……?」と、こんなあんばい。

 また、本論からずれそうです。

 一般論ですが、男と女とでは恋心の持ちように違いがあります。

 浅田次郎氏が、どこかのエッセーでこう述べられおられます「女の恋は流れ去るが、男の恋は積み重なる」 言い得て妙であると思いました。わたしは、今のカミサンを含めると四回婚約をしています。有り体に言えば三回マンモス級のフラレ方をしているのであります(^_^;)。ニアミス程度の付き合いは、両手ではすまない(カミサンにもすまない……って、カミサンと出会う前のことであるのだが……)。

 今でも折に触れて「ああ、あの娘はどないしてんねやろか……」と嘆息することがあります。

 友人が経営するイタメシ屋で、かつて、わたしを手ひどくフッてくれた元彼女と出くわしたことがあります。最初に気づいたのはわたしのほうでした。「あ、えらいこっちゃ……」彼女との在りし日の様々なことが頭をよぎり、気もそぞろ「はよ、店出ならあかん」手に汗を感じながら、伝票に手を伸ばすと「あ、大橋君やないの!?」チュニックの背中が、ラフなサイドポニーテールをひきまわして振り返った。カウンターのペンダントライトの下の笑顔には、なんのクッタクもなかった。まるで初夏のビールのコマーシャルのように、陽気でフレンドリーでありました。その陽気なフレンドリーさに、足をからめとられ、小一時間昔の思い出や、共通の友人の話に花が咲きました。

 いや、咲いた花の古傷に疼痛を感じながら見とれていました。

 彼女にとってのわたしは、とっくに整理のついた引き出しの中の「思い出の品」にすぎず。しばらくながめれば、元の引き出しの定位置におさめればすむものなのです。わたしの過去のそれは、まだ取り散らかされ、整理がつかぬまま堆積した古新聞のごときもの。いつか片づけなければと思いつつ、整理どころか、収めるべき引き出しそのものが、思い出の山にさえぎられて開けることさえできなません。実際わたしの部屋……リビングの一角でしかないのですが、読みかけの本や、読みっぱなし、書きっぱなしで、秋の落ち葉のごとく散華した手紙やメモ、各種家電のコントローラーやケーブル。ほかの家内の領域はつねに整然と収まっており、わたしがわずかでも家内の領域にモノをはみ出させようものなら、某国の国境警備隊員と化したカミサンから「:*!?*#@&%*・・・¥*%$¥!!」と、言葉の実弾射撃(威嚇射撃ではない)をくらいます。

 兼好法師のオッサンが堀川院の「昔見し妹が垣根は荒れにけり、つばなまじりの菫のみして」を、例に引き出しているのは、男の見栄ではあるまいか。荒れていたのは、兼好法師の心にぞあらめ……と思うのは、七百年後のオッサンの心貧しいヒガミであるかも……

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