どうしてこの作品のご紹介を最後までとっておいたのか?はお通いくださいますお客様には少しお話させていただきました。
山口薫は佐橋の大好きな画家でした。
今回の展覧会を開かせていただくにあたり、私と息子にとって一番幸せであると思えたことは、他の山口薫作品と佐橋の選んだ当店の薫作品を見比べて観ることができたということでした。
家族というのは、立場で出来上がっている面が大きく、夫はどんな人であったか?父親はどんな人であったか?を普段の生活で知ることはあまりありません。
「おやじさんは、おやじさんらしく、きちんと作品を見て選んでいたのだなぁ〜」と画商ではありませんが、絵を描くことが好きな息子がそう言ってくれて私は嬉しくなりました。
佐橋が薫の作品の中で一番好きだったのは、サラサラ粉雪ふる
と、実際の作品は見た事がありませんでしたが、画集で作品と詩を見てからはこの「つたの塀と鉄の門」でした。
ですから、この展覧会に先立ち弥栄画廊さんが作ってくださったリストを見た時には大変驚きました。
初めはみなさまにご紹介する前に、私が買わせていただこう!と思いました。けれど、ふと迷いはじめました。
展覧会直前まで悩んで、ブログでのご紹介も先延ばしにして考えようと思いました。
いざ展覧会を開いてみると、私が説明申し上げなければ、みなさま「マリモ」「たわわの柿」の方をご覧になり、この作品を案外素通りされることが多くありました。そういう意味で薫らしくない作品なのかもしれません。
結局、佐橋が居れば必ずこの作品を自分達のものにするだろうけれど、今の独りの私に、思い出してしまう事が多すぎてこの作品は辛いだろうという結論に至りました。
庶民の責任と意志は尊いと思う
僕は大変なロマンチストに生まれ落ちたのかもしれない
親が私にさずけたもの
そうとより考えられない
然し私には西欧のあの楽しいボヘミアンの生活があったであろうか
ロマンチストのセンチメンタル
笑って貰って結構です
笑われる資格は充分にある
けれども私は自分のさがの故に生きて来た
こういうことは
一つの人生哲学といえるだろうか
これが真の俺の姿なのだ
はかばがそこにある
それで私個人はよいのだ
この門はどこに繋がる入口なのでしょうか?
佐橋はとっくにこの門を通り抜けていってしまったのでしょうか?
そして、庶民のわたしたちのそれぞれの心のうちの愛は、どこへ向かおうとしてるのでしょうか。
「はかばがそこにある。それで私個人はよいのだ」
つたや美しい草花に囲まれた鉄の門の前に佇み、独り幸せそうに絵を描いている山口薫の姿が佐橋には見えていたのかもしれません。
「庶民の責任と意志は尊いとおもう」は、生きている毎日に「墓場=死」を常に意識できている人にしか口にできない、重く、美しい言葉の吐露であると感じています。
「つたの塀と鉄の門」は山口薫らしくない、けれどもっとも薫らしい作品だと思っています。
「つたの塀と鉄の門」 油彩 8F 1965年 東美鑑 画集掲載 ⨝
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