おかげさまで明日、義母が退院できることになりました。昨日は幸いお客様も少なかったので病院と施設、退院のお世話をしてくれる義弟との連絡を済ませ、今日はほっと一安心させていただいているところです。
昨夜も店を閉めてから病院に寄りました。母は同じことを何度も繰り返し言ったりしますが、短時間のことですので私も愛想良くそのお話に付き合っていると、途中にこやかに歌い出したり、私のご飯のことを心配したり、帰りのお天気のことを気にしたり、それなりに母らしいところが感じられ、今いる母の世界は現実的ではないかもしれないけれど、私が思うほど辛い世界ではないのかもしれないなぁと思えました。
山口薫の世界も一見、いかにも悲しい、そして華岳の作品や芥川龍之介の「蜘蛛の糸」をたぐるような儚いものを連想させますが、
よく感じてみると製作中の薫の幸福感や家族への愛情など、確かで温かいものが滲み出てくるように思います。
人は人が思うほど、幸せでもなく、また不幸でもない。
薫作品に囲まれてこの1ヶ月近くを過ごさせていただき、私はそんなことを今感じています。
ただ、ただですね。
薫はあまりにも照れ屋さんで(きっと森芳雄の数倍もです)ぶっきらぼうで、女性としてはじれったい。
私のことはどう思っているの?と女性はですね、幾つになってもそれを確認したいものです。
それが、韓国ドラマの流行る理由です😊
けれど、薫はきっとそばにいる人に、たとえ家族であってもそれを伝えなかったのではないかなと思います。
だからこそ、完璧な素晴らしい絵が描けたわけでしょうけれど、普通の生活を望みながら、同じものばかりを描いているような単なる絵描きには決して終われなかったのが山口薫のように感じます。
展示作品のご紹介も残りわずかになりました。
昨日ショーウィンドウの作品とギャラリー内の作品の交換をいたしました。
この3Fの栗については制作年代が今のところ分かりません。
ですが、作品からそう晩年の作品ではないと思っています。
50年後半から60年初頭??
とっつきにくい作品かと思っていましたが、そばで眺めてみるとなかなか優しい、きちんと描かれた作品だとわかってきます。しばらく毎日眺めて楽しもうと思います。
3F 「栗」 東美鑑 ▢
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