雪景色ばかりを立て続けにご紹介するより、少し違った作品を織り交ぜたほうがご覧になっていらして愉しいかなと思い、今回は図書室のご案内をさせていただくことに致しました。
作品は、二種類、三点ございます。
福井は中学生のころから画家になることを夢み、大学卒業後はすぐにでも油彩画を描いて生計を立てられるようにしたいと考えていたようですが、在学中に太平洋戦争が勃発、大学も繰り上げ卒業となり、家族と共には母がたの実家である岩手に疎開をします。一関で三年間ほど中学校に勤務、その際同僚に謄写版の高い技術を習得した教師がいたことから、ガリ版制作に興味を持ち始めたようです。
終戦後教師を辞めて上京、母の美容学校の助手であった恭子さんと結婚し、その縁から義兄の経営する謄写版印刷所の手伝いを始めたことも孔版画制作への探求を深めるきっかっけとなりました。
1959年、かつての美校の同級生であった児島徹郎(児島善三郎の子息)が経営をする日本橋画廊で初の個展を開催すると、アメリカをはじめ在日外国人の強い支持をうけ、その後の個展、国際版画展への出品と活躍の場をひろげていきます。
福井が版画制作に打ち込んだのは、1955年~64年ころの十年間ほどですが、その間に制作された作品は300点に上り、その後油彩画制作のみに没頭した福井が〝本質的な意味で版画も油も僕にとって同じ〟と述べているように、福井の孔版画には、レベルの高い印刷技術とそれをフルに駆使し表現された深い思想性が宿っているように感じられます。
寧ろ晩年の一流作家としての立場を盤石なものにしたころの作品よりも、感受性の強い青年期の作品の方に、生死への哲学的思惟、芸術への情熱が勢いよくほとばしり、見る者に強い印象を残すことがあるかもしれません。
「愛(異性)」
1957年 119×119mm 紙・孔版画 限定部数150
岩手県立美術館 高崎市美術館 福井良之助孔版画集第一集 ◇
※同じ作品が二点ございますが、作家サイン、額装に違いがございます。
「木々」
1962年頃 321×214mm 紙・孔版画 限定部数10
1962年 日本橋画廊個展 ◇
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