日中、冷たい雨となったので、予定していた外出を中止し、来週の旅行計画を
練りました。おかげで、どこかの国宝ではありませんが、「門外不出」の1日でした。
そこで今日は、一昨年秋の「関東山の辺の道」2日目の報告とします。
04年9月4日(土) 常陸太田市~瓜連町
前夜は、日立市のビジネスホテルに泊まった。朝、再びJR水郡線河合駅に
下り、9時に出発する。
車中では雨模様だったが、駅を出て間もなく止んだ。昨日の帰路を逆に戻り、
セグロセキレイやチュウサギの飛ぶたんぼ道を進んで、改めて佐竹寺へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/c8/3be0c8211df1ab5b225afadcc204b9b3.jpg)
本堂には、古い千社札が所狭しと貼ってある。坂東三十三観音札所めぐりの
バス団体客が来ていた。
西側の旧道を南西に進むと、うっそうとした杉木立の中に稲村神社があった。
日本武尊が東方征討の折、戦勝を祈願したと伝えられ、徳川光圀が社殿を修造
したという。
間坂集落を出て、土道を下って田園地帯へ。黄金田が広がり、何となく明るさ
を感じる。きれいな流れで、少年がザリガニ取りをしていた。流れをのぞくと、
10数匹のザリガニと、小魚がいっぱい泳いでいた。
常陸太田市から金砂郷町(現、常陸太田市)に入る。宮下の農家に、オミナエシ
や百日草が鮮やかな彩り。ザクロも大きな実を付けていた。
田んぼに突き出た岬のような台地に、丸山農村公園の標識があったので上がる。
桜などの木立の間から黄金田が一望できる。「御統監記念碑」があり、昭和4年
(1929)11月17日に昭和天皇が特別大演習をご覧になったことが、北側の
赤城神社に記されていた。神社には、樹齢500年というご神木の杉があった。
清水内集落を回って山田川左岸に上がり、すぐ上流の薬谷(くすりや)橋で川
を渡る。南側の浅川との間は、南北に一面の黄金田。浅川を越えて青木集落へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/ea/836043983122ae4b0753c7545f9b5e68.jpg)
古い赤レンガの蔵が残る集落西端を抜け、ゆるい切り通しを越える。
次の小集落を通過し、県道に出たら「栗原」という食堂があった。ちょうど
正午過ぎだったので入り、昼食をする。カウンターに、いまは珍しい黒電話機
(4号電話機)が置いてあった。夜は近在の人が集まる居酒屋になるようだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/ca/c00023358df4fba61d240275b1566a5e.jpg)
台組の旧道から国道293号に出て、久慈川の左岸堤防に上がり、大宮町
(現、常陸大宮市)に入る。雲が明るくなって気温が上がり、蒸し暑くなった。
田園地帯を抜け、山すその農道を北に向かう。日向神社と宇留野城跡の説明
板があった。宇留野城は、佐竹氏の一族、宇留野氏の居城跡で、久慈川低地に
突き出た台地にあり、堀や土塁も残っているという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/ec/500a5fd8bdfe787a0f51c39ac3348c65.jpg)
上宿集落には、かやぶきの平屋が残っていた。近くの民家は、改築のための
上棟式が始まろうとしており、太い丸太の梁が、その建物の大きさを想像させて
くれる。
上宿集落が尽きる辺りにあった宇留野公園に入る。桜が多く、展望所からは、
久慈川や、対岸の集落、田園地帯などが一望できる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/a6/d4a2a77902b0dd88eeaad00fb5743e34.jpg)
国道293号を越えると甲(かぶと)神社。大宮町の大宮は、甲大宮にちなんだ
ものとか。同じ境内にある素鵞(そが)神社は、疫病封じで知られているようだ。
近くの松吟寺は、佐竹義胤が建治2年(1275)に開基した寺。朱塗りの山門
は、江戸期の寺院建築様式を留めている。
部垂(へたれ)城跡の説明板がある大宮小の北には、西方寺がある。佐竹義元
の菩提寺で、本堂前に太いしだれ桜が立っていた。
常陸大宮駅前を通過、国道118号を越え、大宮二中の南にある常光寺に行く。
親鸞聖人ゆかりの二十四輩二十番霊場。急勾配の屋根の本堂と大鐘楼が目に
ついた。
水郡線に平行して進み、杉やヒノキの林を抜け、田園地帯に出る。那珂集落を
抜け、まもなく瓜連町(うりづらまち・現、那珂市)に入る。気持ちよい里山風景
が広がる。
再度針葉樹林を抜け、上組集落から東組集落へ。畑の中の小さな神社に大木が
見える。集落の人に聞くと、葛木稲荷神社のムクノキだという。県天然記念物で、
平安末期に後三年の役に向かう源義家が休憩した際、挿したむちが根づいたのだ
という。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/03/48adc676eea0c06e2fad263a4e26ff72.jpg)
帰りの列車が気になったが、近くの静神社に入り、大杉に囲まれた荘厳な神殿に
参拝。常陸二宮として古くから信仰を集め、江戸時代、水戸光圀、水戸斉昭により
再建されたとのこと。
静集落を抜けて畑の間を急ぎ、17時16分、無人の静(しず)駅についた。
17時30分発、2両のディーゼルカーで水戸経由、帰途につく。
(距離 26㎞、地図(1/2万5千) 常陸太田、常陸大宮、石塚、歩行地 常陸太田
市、金砂郷町(現、常陸太田市)、大宮町(現、常陸大宮市)、瓜連町(現、那珂市))
練りました。おかげで、どこかの国宝ではありませんが、「門外不出」の1日でした。
そこで今日は、一昨年秋の「関東山の辺の道」2日目の報告とします。
04年9月4日(土) 常陸太田市~瓜連町
前夜は、日立市のビジネスホテルに泊まった。朝、再びJR水郡線河合駅に
下り、9時に出発する。
車中では雨模様だったが、駅を出て間もなく止んだ。昨日の帰路を逆に戻り、
セグロセキレイやチュウサギの飛ぶたんぼ道を進んで、改めて佐竹寺へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/c8/3be0c8211df1ab5b225afadcc204b9b3.jpg)
本堂には、古い千社札が所狭しと貼ってある。坂東三十三観音札所めぐりの
バス団体客が来ていた。
西側の旧道を南西に進むと、うっそうとした杉木立の中に稲村神社があった。
日本武尊が東方征討の折、戦勝を祈願したと伝えられ、徳川光圀が社殿を修造
したという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/1f/189c5d96a8b9a832156b214b18ab83ee.jpg)
間坂集落を出て、土道を下って田園地帯へ。黄金田が広がり、何となく明るさ
を感じる。きれいな流れで、少年がザリガニ取りをしていた。流れをのぞくと、
10数匹のザリガニと、小魚がいっぱい泳いでいた。
常陸太田市から金砂郷町(現、常陸太田市)に入る。宮下の農家に、オミナエシ
や百日草が鮮やかな彩り。ザクロも大きな実を付けていた。
田んぼに突き出た岬のような台地に、丸山農村公園の標識があったので上がる。
桜などの木立の間から黄金田が一望できる。「御統監記念碑」があり、昭和4年
(1929)11月17日に昭和天皇が特別大演習をご覧になったことが、北側の
赤城神社に記されていた。神社には、樹齢500年というご神木の杉があった。
清水内集落を回って山田川左岸に上がり、すぐ上流の薬谷(くすりや)橋で川
を渡る。南側の浅川との間は、南北に一面の黄金田。浅川を越えて青木集落へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/ea/836043983122ae4b0753c7545f9b5e68.jpg)
古い赤レンガの蔵が残る集落西端を抜け、ゆるい切り通しを越える。
次の小集落を通過し、県道に出たら「栗原」という食堂があった。ちょうど
正午過ぎだったので入り、昼食をする。カウンターに、いまは珍しい黒電話機
(4号電話機)が置いてあった。夜は近在の人が集まる居酒屋になるようだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/ca/c00023358df4fba61d240275b1566a5e.jpg)
台組の旧道から国道293号に出て、久慈川の左岸堤防に上がり、大宮町
(現、常陸大宮市)に入る。雲が明るくなって気温が上がり、蒸し暑くなった。
田園地帯を抜け、山すその農道を北に向かう。日向神社と宇留野城跡の説明
板があった。宇留野城は、佐竹氏の一族、宇留野氏の居城跡で、久慈川低地に
突き出た台地にあり、堀や土塁も残っているという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/ec/500a5fd8bdfe787a0f51c39ac3348c65.jpg)
上宿集落には、かやぶきの平屋が残っていた。近くの民家は、改築のための
上棟式が始まろうとしており、太い丸太の梁が、その建物の大きさを想像させて
くれる。
上宿集落が尽きる辺りにあった宇留野公園に入る。桜が多く、展望所からは、
久慈川や、対岸の集落、田園地帯などが一望できる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/a6/d4a2a77902b0dd88eeaad00fb5743e34.jpg)
国道293号を越えると甲(かぶと)神社。大宮町の大宮は、甲大宮にちなんだ
ものとか。同じ境内にある素鵞(そが)神社は、疫病封じで知られているようだ。
近くの松吟寺は、佐竹義胤が建治2年(1275)に開基した寺。朱塗りの山門
は、江戸期の寺院建築様式を留めている。
部垂(へたれ)城跡の説明板がある大宮小の北には、西方寺がある。佐竹義元
の菩提寺で、本堂前に太いしだれ桜が立っていた。
常陸大宮駅前を通過、国道118号を越え、大宮二中の南にある常光寺に行く。
親鸞聖人ゆかりの二十四輩二十番霊場。急勾配の屋根の本堂と大鐘楼が目に
ついた。
水郡線に平行して進み、杉やヒノキの林を抜け、田園地帯に出る。那珂集落を
抜け、まもなく瓜連町(うりづらまち・現、那珂市)に入る。気持ちよい里山風景
が広がる。
再度針葉樹林を抜け、上組集落から東組集落へ。畑の中の小さな神社に大木が
見える。集落の人に聞くと、葛木稲荷神社のムクノキだという。県天然記念物で、
平安末期に後三年の役に向かう源義家が休憩した際、挿したむちが根づいたのだ
という。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/03/48adc676eea0c06e2fad263a4e26ff72.jpg)
帰りの列車が気になったが、近くの静神社に入り、大杉に囲まれた荘厳な神殿に
参拝。常陸二宮として古くから信仰を集め、江戸時代、水戸光圀、水戸斉昭により
再建されたとのこと。
静集落を抜けて畑の間を急ぎ、17時16分、無人の静(しず)駅についた。
17時30分発、2両のディーゼルカーで水戸経由、帰途につく。
(距離 26㎞、地図(1/2万5千) 常陸太田、常陸大宮、石塚、歩行地 常陸太田
市、金砂郷町(現、常陸太田市)、大宮町(現、常陸大宮市)、瓜連町(現、那珂市))