今日は、年1度の人間ドックで、東京・池袋まで行って来ました。
検査は午前中で終わり、午後の面接では特に異常はないと言われ、安心しました。
以下、昨日のレポートの後半です。
06年4月9日(日)(続き)
桜井駅行きバスを聖林寺(しょうりんじ)バス停で下車し、南側にある聖林寺に
行く。
聖林寺は、8世紀の初め、藤原鎌足の子・定慧(じょうえ)が、父の菩提を弔う
ために開山、のちに兵火に会い、鎌倉時代に再建された。
寺は北向き斜面の高台にあり、北に三輪山が望まれる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/f6/6a93b08ae23af874e1c64d09a28b9aaf.jpg)
本尊の子安延命地蔵尊(下の写真)は、大和最大の石地蔵とか。近在では安産
祈願のお地蔵さんとして知られているという。こんな大きなお地蔵さんは見たこと
がない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/90/084ad3e3d8b7a3ec45c4a8c54c36209d.jpg)
観音堂に上がり、国宝の十一面観音菩薩を拝観する。760年代に東大寺造仏所
で造られたとする説が有力という。豊かな顔立ちや量感のある上半身など、ミロの
ビーナスとも比較されるというが、確かに仏像彫刻の優作というのがうなずける。
近くの下集落には、数戸の杉玉が下がった造り酒屋など、古い民家が残っていた。
メスリ山古墳の下や、幾つかの製材所の横を通過し、国史跡の安倍寺(あべ
でら)跡へ。
安倍寺は、大化改新時の左大臣、安倍倉梯麻呂(あべくらはしまろ)の建立と
伝えられ、一帯は安倍氏一族の本拠地だったという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/95/ab0ce4f36715153f0d9c79e3696cea7e.jpg)
寺の範囲は約200m四方で、東に金堂、西に塔を配し、北に講堂という法隆
寺式あるいは川原寺式に近かったようだ。写真の基壇は、塔跡らしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/c5/e2a55b43cbf21501e66eaf9bde0755a3.jpg)
東側に、りっぱな民家があった。中西家で、近くに同姓の家もあったので、
この地の旧家かと思われる。
その通を北に進むと、境内を満開の桜に彩られた安倍文殊院(あべもんじゅ
いん)が見えてきた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/b6/431d95fe50184aad6c25b966345236de.jpg)
17時を過ぎていたので入れないかと思ったが、桜並木の参道を進んだら、
まだ参観している人がいたので入る。
安倍文殊院は、日本三文殊の一つで、先ほど寄った安倍寺の後身といわれる。
安倍氏の氏寺として、安倍仲麻呂や平安時代の陰陽師・安倍晴明ゆかりの地と
しても知られている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/d7/f88db9dd1fdc6eb3838b20cfcdf6138e.jpg)
文殊様だけあり、東京の湯島天神と同様、本堂前に合格祈願の絵馬がたくさん
下がっていた。
本堂には、国重文で鎌倉初期の巨匠・快慶の作による、わが国最大の文殊像
「文殊菩薩騎獅像」があるというが、時刻も遅いので拝観は省略した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/f3/ea95b0827eb42b8f58a67ef3a29cf346.jpg)
境内には、国特別史跡の文殊院西古墳など、3つの古墳もある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/ca/8b2d90ec7f21a108d727eedd66ec856f.jpg)
大きな池には金閣浮御堂があり、池の周辺は満開のソメイヨシノが咲き競って
いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/8e/8fbc996c84170a0fae46cec07f96cb07.jpg)
ほかに、広い境内には、葛の葉稲荷、縁結び大神の白山堂、奈良や京都を米軍
の空襲から救ったウオーナー博士の報恩塔、安倍晴明公の晴明堂など、幾つもの
堂塔があった。
17時40分文殊院を出て桜井駅に向かう。桜井市は木材の町とか、途中、幾つ
もの木材業者が並んでいた。
18時5分に桜井駅に着き、18時12分発近鉄電車で、京都に向かった。
なお、この日、関西の歩きのグループ・野楽路(のらくろ)の皆さんも、明日香村
の甘樫丘(あまかしのおか)から高家(たいえ)を経て、聖林寺から安倍文殊院へ
と歩いたとのこと。私たちはその後を追ったことになる。
(歩行距離 7㎞、地図(1/2万5千) 畝傍山、桜井、歩行地 奈良県桜井市)
検査は午前中で終わり、午後の面接では特に異常はないと言われ、安心しました。
以下、昨日のレポートの後半です。
06年4月9日(日)(続き)
桜井駅行きバスを聖林寺(しょうりんじ)バス停で下車し、南側にある聖林寺に
行く。
聖林寺は、8世紀の初め、藤原鎌足の子・定慧(じょうえ)が、父の菩提を弔う
ために開山、のちに兵火に会い、鎌倉時代に再建された。
寺は北向き斜面の高台にあり、北に三輪山が望まれる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/f6/6a93b08ae23af874e1c64d09a28b9aaf.jpg)
本尊の子安延命地蔵尊(下の写真)は、大和最大の石地蔵とか。近在では安産
祈願のお地蔵さんとして知られているという。こんな大きなお地蔵さんは見たこと
がない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/90/084ad3e3d8b7a3ec45c4a8c54c36209d.jpg)
観音堂に上がり、国宝の十一面観音菩薩を拝観する。760年代に東大寺造仏所
で造られたとする説が有力という。豊かな顔立ちや量感のある上半身など、ミロの
ビーナスとも比較されるというが、確かに仏像彫刻の優作というのがうなずける。
近くの下集落には、数戸の杉玉が下がった造り酒屋など、古い民家が残っていた。
メスリ山古墳の下や、幾つかの製材所の横を通過し、国史跡の安倍寺(あべ
でら)跡へ。
安倍寺は、大化改新時の左大臣、安倍倉梯麻呂(あべくらはしまろ)の建立と
伝えられ、一帯は安倍氏一族の本拠地だったという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/95/ab0ce4f36715153f0d9c79e3696cea7e.jpg)
寺の範囲は約200m四方で、東に金堂、西に塔を配し、北に講堂という法隆
寺式あるいは川原寺式に近かったようだ。写真の基壇は、塔跡らしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/c5/e2a55b43cbf21501e66eaf9bde0755a3.jpg)
東側に、りっぱな民家があった。中西家で、近くに同姓の家もあったので、
この地の旧家かと思われる。
その通を北に進むと、境内を満開の桜に彩られた安倍文殊院(あべもんじゅ
いん)が見えてきた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/b6/431d95fe50184aad6c25b966345236de.jpg)
17時を過ぎていたので入れないかと思ったが、桜並木の参道を進んだら、
まだ参観している人がいたので入る。
安倍文殊院は、日本三文殊の一つで、先ほど寄った安倍寺の後身といわれる。
安倍氏の氏寺として、安倍仲麻呂や平安時代の陰陽師・安倍晴明ゆかりの地と
しても知られている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/d7/f88db9dd1fdc6eb3838b20cfcdf6138e.jpg)
文殊様だけあり、東京の湯島天神と同様、本堂前に合格祈願の絵馬がたくさん
下がっていた。
本堂には、国重文で鎌倉初期の巨匠・快慶の作による、わが国最大の文殊像
「文殊菩薩騎獅像」があるというが、時刻も遅いので拝観は省略した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/f3/ea95b0827eb42b8f58a67ef3a29cf346.jpg)
境内には、国特別史跡の文殊院西古墳など、3つの古墳もある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/ca/8b2d90ec7f21a108d727eedd66ec856f.jpg)
大きな池には金閣浮御堂があり、池の周辺は満開のソメイヨシノが咲き競って
いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/8e/8fbc996c84170a0fae46cec07f96cb07.jpg)
ほかに、広い境内には、葛の葉稲荷、縁結び大神の白山堂、奈良や京都を米軍
の空襲から救ったウオーナー博士の報恩塔、安倍晴明公の晴明堂など、幾つもの
堂塔があった。
17時40分文殊院を出て桜井駅に向かう。桜井市は木材の町とか、途中、幾つ
もの木材業者が並んでいた。
18時5分に桜井駅に着き、18時12分発近鉄電車で、京都に向かった。
なお、この日、関西の歩きのグループ・野楽路(のらくろ)の皆さんも、明日香村
の甘樫丘(あまかしのおか)から高家(たいえ)を経て、聖林寺から安倍文殊院へ
と歩いたとのこと。私たちはその後を追ったことになる。
(歩行距離 7㎞、地図(1/2万5千) 畝傍山、桜井、歩行地 奈良県桜井市)