光明寺近くで遅い昼食を終え、田んぼと新興住宅地の間の間道を東に進み、
乙訓寺(おとくにでら)に行く。
乙訓寺は真言宗豊山派長谷寺の末寺で、推古天皇の勅願で聖徳太子が創建
したとされる乙訓地方最古の寺。延暦4年(785)、桓武天皇が長岡京造営の際
に、藤原種継(たねつぐ)暗殺事件に連座した皇太子の相良親王をここに幽閉
し、また、唐から帰朝した空海が、弘仁2年(811)に別当となり、ここを最澄が
訪れ、密教について語り合ったとされるという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/eb/b3cc7166233c83a29abe979cf3d4712a.jpg)
境内のいたるところに、約2千株という牡丹がある。4月下旬の花どきには、
たくさんの人が訪れると、桜を見に来た近所の奥様が話してくれた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/7f/0a5adae6008bc202cd886b80fd9c480a.jpg)
ソメイヨシノも境内あちこちにあり、やはり見ごろの花を見せていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/14/9439d7bec85271557b3c5a596246e503.jpg)
また、樹高9m、根元周囲3.55m、推定樹齢400~500年、京都府内
でも屈指というモチノキがある。昭和9年(1934)の室戸台風で幹が折れた
ようで、それ以前はもっと幹高があって、さらに見事だったろうと思われた。
寺を出た頃、一時的に風が強まったが、長くは続かなかった。しかし、雨は
やみそうにない。今里の田んぼには、タケノコと並んでこの地の特産、ナノハナ
があちこちに花を見せていた。
今里橋を渡って向日(むこう)市に入り、ちょっとした台地上にある向日神社
に東側の参道から入る。ゆるやかに上がる参道は、ソメイヨシノのトンネルと
なっていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/cc/a1ba63474510281a769e5d8ec2ad3576.jpg)
向日神社は、養老2年(718)の創建で、延喜式神明帳(えんぎしきしんめい
ちょう)に記載された式内社である。祈雨、鎮火の神として朝廷の崇敬が特に
篤(あつ)かったという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/69/656f99fbf7dfad8b905ad1775f16fdfd.jpg)
現在の本殿は、応永25年(1418)から4年の歳月をかけて建造された、
三間社流造(さんげんしゃながれづくり)という様式で、創建年代の残る室町
時代の代表的な神社建築として、国重文となっている。
参道の途中に、国家に詠(よ)まれている「さざれ石」があった。岐阜県揖斐
郡(いびぐん)春日村(現、揖斐川町)の山中にあったものだという。
長岡京市の中心街を南北に抜ける通の東に出て、国史跡・長岡宮(ながおか
きゅう)跡に行く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/46/be3d719e7e77696bbb0648de7d143a95.jpg)
長岡宮は、延暦3年(784)から13年までの10年間、日本の首都だった
ところ。現在の国会議事堂に相当する大極殿(だいごくでん)跡や、正面入口
にあたる閤門(こうもん)跡の辺りを大極殿公園として向日市で整備中だった。
南に進めば西向日駅、15時27分に着いた。
これで今日の予定のコースは終わったが、まだ時間がある。この旅の最後に
東山山麓・円山公園のしだれ桜を見てから帰ることにした。
阪急電車で終点の河原町駅まで行く。鴨川の四条大橋を渡り、八坂神社の横
を回って丸山公園へ。京都有数の桜の名所として知られているだけあり、雨にも
かかわらず観光客が多い。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/a4/8d2856cc1e96483fd12f9ec320e6cd38.jpg)
しだれ桜は見頃であったが、樹勢の弱った枝を剪定したのか、枝張りに勢い
がなく、雨の夕方ということもあり、期待したほどの花ではなかった。3日間、
あちこちで花をいっぱい見てきたからかもしれない。
宿に戻って預けた荷を受取り、京都駅18時発ひかり382号で帰途につく。
花見どきとあり、京都駅内の観光案内所には、「本日の宿は満員」と記されて
いたので、新幹線自由席も途中まで立って帰らねばならぬかと思ったが、意外
に空いていて、京都からの乗客は全員座ることができた。(了)
乙訓寺(おとくにでら)に行く。
乙訓寺は真言宗豊山派長谷寺の末寺で、推古天皇の勅願で聖徳太子が創建
したとされる乙訓地方最古の寺。延暦4年(785)、桓武天皇が長岡京造営の際
に、藤原種継(たねつぐ)暗殺事件に連座した皇太子の相良親王をここに幽閉
し、また、唐から帰朝した空海が、弘仁2年(811)に別当となり、ここを最澄が
訪れ、密教について語り合ったとされるという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/eb/b3cc7166233c83a29abe979cf3d4712a.jpg)
境内のいたるところに、約2千株という牡丹がある。4月下旬の花どきには、
たくさんの人が訪れると、桜を見に来た近所の奥様が話してくれた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/7f/0a5adae6008bc202cd886b80fd9c480a.jpg)
ソメイヨシノも境内あちこちにあり、やはり見ごろの花を見せていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/14/9439d7bec85271557b3c5a596246e503.jpg)
また、樹高9m、根元周囲3.55m、推定樹齢400~500年、京都府内
でも屈指というモチノキがある。昭和9年(1934)の室戸台風で幹が折れた
ようで、それ以前はもっと幹高があって、さらに見事だったろうと思われた。
寺を出た頃、一時的に風が強まったが、長くは続かなかった。しかし、雨は
やみそうにない。今里の田んぼには、タケノコと並んでこの地の特産、ナノハナ
があちこちに花を見せていた。
今里橋を渡って向日(むこう)市に入り、ちょっとした台地上にある向日神社
に東側の参道から入る。ゆるやかに上がる参道は、ソメイヨシノのトンネルと
なっていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/cc/a1ba63474510281a769e5d8ec2ad3576.jpg)
向日神社は、養老2年(718)の創建で、延喜式神明帳(えんぎしきしんめい
ちょう)に記載された式内社である。祈雨、鎮火の神として朝廷の崇敬が特に
篤(あつ)かったという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/69/656f99fbf7dfad8b905ad1775f16fdfd.jpg)
現在の本殿は、応永25年(1418)から4年の歳月をかけて建造された、
三間社流造(さんげんしゃながれづくり)という様式で、創建年代の残る室町
時代の代表的な神社建築として、国重文となっている。
参道の途中に、国家に詠(よ)まれている「さざれ石」があった。岐阜県揖斐
郡(いびぐん)春日村(現、揖斐川町)の山中にあったものだという。
長岡京市の中心街を南北に抜ける通の東に出て、国史跡・長岡宮(ながおか
きゅう)跡に行く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/46/be3d719e7e77696bbb0648de7d143a95.jpg)
長岡宮は、延暦3年(784)から13年までの10年間、日本の首都だった
ところ。現在の国会議事堂に相当する大極殿(だいごくでん)跡や、正面入口
にあたる閤門(こうもん)跡の辺りを大極殿公園として向日市で整備中だった。
南に進めば西向日駅、15時27分に着いた。
これで今日の予定のコースは終わったが、まだ時間がある。この旅の最後に
東山山麓・円山公園のしだれ桜を見てから帰ることにした。
阪急電車で終点の河原町駅まで行く。鴨川の四条大橋を渡り、八坂神社の横
を回って丸山公園へ。京都有数の桜の名所として知られているだけあり、雨にも
かかわらず観光客が多い。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/a4/8d2856cc1e96483fd12f9ec320e6cd38.jpg)
しだれ桜は見頃であったが、樹勢の弱った枝を剪定したのか、枝張りに勢い
がなく、雨の夕方ということもあり、期待したほどの花ではなかった。3日間、
あちこちで花をいっぱい見てきたからかもしれない。
宿に戻って預けた荷を受取り、京都駅18時発ひかり382号で帰途につく。
花見どきとあり、京都駅内の観光案内所には、「本日の宿は満員」と記されて
いたので、新幹線自由席も途中まで立って帰らねばならぬかと思ったが、意外
に空いていて、京都からの乗客は全員座ることができた。(了)