2008年8月5日(火)に訪ねた、千葉県佐倉市の国立
歴史民族博物館の常設展示室では、フラッシュを使用しな
ければ撮影可とのことだったので、当日回った第1展示室
から第3展示室の展示物の幾つかを紹介する。
コメントは展示物の前に記されていたものの一部。
【第1展示室】日本列島に人類が登場した旧石器時代から
律令国家が成立した奈良時代まで、日本文化の形成過程
を概観している。
○縄文土器の特色
およそ5500年前、縄文土器の形と文様の地域色が著し
くなり、東北・北海道、関東、西日本など地方の細かな特長
が見られるようになったので、その特長が分かるように展示
している。
○青森市三内丸山遺跡の復元家屋
縄文前・中期の6000年前~4500年前までの約1500
年間続いた大規模な村の跡。同時に立っていた竪穴住居
は20棟から数十棟に達したと見られ、中には面積200㎡
以上の大型住居もあったという。
○前方後円墳の副葬品
3世紀後半には、それ以前より飛躍的に巨大化した墳丘
墓である前方後円あるいは前方後方形の墳丘を持つ古墳
が出現し、長大な石室に多量の銅鏡を中心とする呪術的
な副葬品が埋葬された。その副葬品の一つ。
○三角縁神獣鏡(3世紀)
縁の断面が三角形で、想像上の神や獣を立体的に表現
した銅鏡を三角神獣鏡といい、日本列島製と中国鏡と考え
られるものがあるという。
○長持形石棺(5世紀)
群馬県伊勢崎市お冨士山古墳の長持形石棺で、近畿の
大王陵の古墳の石棺と全く同じ形式なので、近畿の石棺
を作った工人が東国へ来て製作したと推測されている。
○東国のムラ(6世紀中頃)
この頃の東国のムラは、竪穴住居と垣根に囲まれた複数
の平地住居、作業小屋、高床倉庫、家畜小屋を基本とする
屋敷が、3~4単位集まって共同生活を行っていたらしい。
○東国の人物埴輪
6世紀の関東の古墳の大きな特色は、人物は庭を並べた
古墳がきわめて多いことだという。人物埴輪は、大型の前
方後円墳ばかりか、小型の円墳にも立てられたようだ。
○平城京羅城門復元模型
約1300年前、奈良の平城京の入口にあった国内最大の
門。左右には羅城がのびていて、京を訪れる外国人や国内
各地の人々に都城の偉容を示すものだったという。羅城門は
東西38m、南北20m、高さ24mくらいの規模らしい。
○平城京中枢部の復元模型
平城宮を守る三重の門があったが、これはその中の中門
から内側の平城宮中枢部を復元したもの。
○薬師寺伽藍の復元模型
奈良・薬師寺の復元模型を南からみたもの。南側には堂
塔が並び、北方には寺院経営を支える政所、大炊院、修理
院などがあり、東には薬師寺宮などがおかれた別の区画が
あったようだ。
【第2展示室】平安時代から安土桃山時代までの日本の文
化と生活を、貴族や武士、庶民といった様々な階層の立場
から探って行く。
○貴族の服装
旧暦4月から9月に着用する夏装束で、女官は十二単(じ
ゅうにひとえ)と呼ぶ盛装をしている。奥左は束帯(そくたい)
という朝廷の儀式で着用された男子武官の盛装。右奥は直
衣という公家の平常服。
○阿弥陀種子板碑(13世紀)
追善や供養などの目的で中世の関東で多く作られた石製
の塔婆。緑泥片岩などを用い、種子(しゅじ)と呼ぶ梵字(ぼ
んじ)を刻み込んだ。埼玉県飯能市智観寺のもので、仁治3
年(1242)に造立したもの。
○鎌倉の地形模型
鎌倉は、自然地形を利用した城塞都市で、一方が海岸、
三方が山に囲まれ、稜線には切岸、主要道路の接点には
切通しを設けて防御を固めた。縦(南北)に走る広い道は
若宮大路。
○武士の館
鎌倉幕府を支えた武士たちは、塀に囲まれた館(やかた)
に住んでいた。これは文献、絵巻物、地理学や考古学の成
果をもとに想定復元した東国の武士の館。
(つづく)
歴史民族博物館の常設展示室では、フラッシュを使用しな
ければ撮影可とのことだったので、当日回った第1展示室
から第3展示室の展示物の幾つかを紹介する。
コメントは展示物の前に記されていたものの一部。
【第1展示室】日本列島に人類が登場した旧石器時代から
律令国家が成立した奈良時代まで、日本文化の形成過程
を概観している。
○縄文土器の特色
およそ5500年前、縄文土器の形と文様の地域色が著し
くなり、東北・北海道、関東、西日本など地方の細かな特長
が見られるようになったので、その特長が分かるように展示
している。
○青森市三内丸山遺跡の復元家屋
縄文前・中期の6000年前~4500年前までの約1500
年間続いた大規模な村の跡。同時に立っていた竪穴住居
は20棟から数十棟に達したと見られ、中には面積200㎡
以上の大型住居もあったという。
○前方後円墳の副葬品
3世紀後半には、それ以前より飛躍的に巨大化した墳丘
墓である前方後円あるいは前方後方形の墳丘を持つ古墳
が出現し、長大な石室に多量の銅鏡を中心とする呪術的
な副葬品が埋葬された。その副葬品の一つ。
○三角縁神獣鏡(3世紀)
縁の断面が三角形で、想像上の神や獣を立体的に表現
した銅鏡を三角神獣鏡といい、日本列島製と中国鏡と考え
られるものがあるという。
○長持形石棺(5世紀)
群馬県伊勢崎市お冨士山古墳の長持形石棺で、近畿の
大王陵の古墳の石棺と全く同じ形式なので、近畿の石棺
を作った工人が東国へ来て製作したと推測されている。
○東国のムラ(6世紀中頃)
この頃の東国のムラは、竪穴住居と垣根に囲まれた複数
の平地住居、作業小屋、高床倉庫、家畜小屋を基本とする
屋敷が、3~4単位集まって共同生活を行っていたらしい。
○東国の人物埴輪
6世紀の関東の古墳の大きな特色は、人物は庭を並べた
古墳がきわめて多いことだという。人物埴輪は、大型の前
方後円墳ばかりか、小型の円墳にも立てられたようだ。
○平城京羅城門復元模型
約1300年前、奈良の平城京の入口にあった国内最大の
門。左右には羅城がのびていて、京を訪れる外国人や国内
各地の人々に都城の偉容を示すものだったという。羅城門は
東西38m、南北20m、高さ24mくらいの規模らしい。
○平城京中枢部の復元模型
平城宮を守る三重の門があったが、これはその中の中門
から内側の平城宮中枢部を復元したもの。
○薬師寺伽藍の復元模型
奈良・薬師寺の復元模型を南からみたもの。南側には堂
塔が並び、北方には寺院経営を支える政所、大炊院、修理
院などがあり、東には薬師寺宮などがおかれた別の区画が
あったようだ。
【第2展示室】平安時代から安土桃山時代までの日本の文
化と生活を、貴族や武士、庶民といった様々な階層の立場
から探って行く。
○貴族の服装
旧暦4月から9月に着用する夏装束で、女官は十二単(じ
ゅうにひとえ)と呼ぶ盛装をしている。奥左は束帯(そくたい)
という朝廷の儀式で着用された男子武官の盛装。右奥は直
衣という公家の平常服。
○阿弥陀種子板碑(13世紀)
追善や供養などの目的で中世の関東で多く作られた石製
の塔婆。緑泥片岩などを用い、種子(しゅじ)と呼ぶ梵字(ぼ
んじ)を刻み込んだ。埼玉県飯能市智観寺のもので、仁治3
年(1242)に造立したもの。
○鎌倉の地形模型
鎌倉は、自然地形を利用した城塞都市で、一方が海岸、
三方が山に囲まれ、稜線には切岸、主要道路の接点には
切通しを設けて防御を固めた。縦(南北)に走る広い道は
若宮大路。
○武士の館
鎌倉幕府を支えた武士たちは、塀に囲まれた館(やかた)
に住んでいた。これは文献、絵巻物、地理学や考古学の成
果をもとに想定復元した東国の武士の館。
(つづく)