あるきメデス

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熊野古道 伊勢路を歩く② <馬越峠・八鬼山越えコース>

2008-08-23 13:30:15 | 熊野古道を歩く
 今日は、夏が過ぎて行く「処暑」とのこと。昨日からすっか
り涼しくなり、今夜はカントリーウオークの仲間で暑気払いを
するのですが、その必要もないくらいの気温です。

 5年前に歩いた熊野古道伊勢路のレポートの2日目です。

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 2003年10月16(木) 第2日  
 馬越峠・八鬼山越え  =熊野古道一の難所越え=


 
 尾鷲(おわせ)市街地の北端、三重県尾鷲庁舎前のバス停
から国道42号を、8時1分発の南紀特急バスで昨日の方向
に一駅戻り、海山(みやま)町の鷲下(わしげ)バス停で下りる。

 今日は、NAさんの弟さん、Yさんが、荷物を次の宿まで運
んで下さるというので預け、皆、軽装である。

 参加者は、NAさんの高校の同級生、Sさんが加わり20人。
国道横のわずかな広場で体操をして出発する。

 バス停からすぐに馬越(まごせ)峠への山道。大きくて滑ら
かな石畳がヒノキや杉木立の下に続いている。


 石室のような祠(ほこら)の中にある夜泣き地蔵を過ぎると、
石畳は2、3人並べるくらいの広さ。紀州藩の駕籠(かご)に合
わせて1間半(2.7m)の幅をとったのだという。

 一里塚跡もあったようだが気付かずに通過し、1時間足らず
で海山町と尾鷲市との境、馬越峠(325m)に着いた。



 丸木造りの避難小屋や、自然石に彫られた江戸末期の俳
人、可涼園桃乙(かりょうえんとういつ)の句碑(上)、熊野古道
の説明板などがあるが、一帯は杉木立に覆われ展望は全く
利かない。

 小休止だけで下りにかかる。

 上りに比べると小さめの石畳道をどんどん下る。途中、レン
ガ造りの地蔵堂に入った桜地蔵があった。

 説明板によれば、旅人の安全を祈って奉納されたもので、
以前は石積みの祠(ほこら)だったとか。

 同じ説明板に、「熊野古道の石畳は、全国有数の多雨地帯
なので、大雨による路面の流失や崩壊を防ぎ、夏草やシダ類
などの繁茂を押さえて道筋を確保するためであった」とも記さ
れていた。

 広葉樹が増え、明るくなった道を下って行くと桜並木となり、
行者堂のそばに馬越公園がある。桜も多く、今は萩が見ごろ
である。

 ススキや野菊などの咲く道、眼下の尾鷲市街に向かって下
り、北浦町の住宅地に入る。新しい野口雨情の歌碑があり、
そばのコスモスが咲き乱れていた。



 ゆるい傾斜地に続く墓地の間を下ってゆくと、江戸後期の
念仏行者、徳本上人(とくほんしょうにん)名号碑がある。

 晩年は、江戸小石川の伝通院一世になった人とか。

 その先、民家の軒先で売っていた採り立てのミカンをEさん
などが買い求め、分けていただいた。

 尾鷲の市街地に入り、朝日町から林町辺りには、黒焼きし
た板を壁に張った古い家があちこちに見られた。Nさんご夫
妻の新婚当時のお住まいがこの地だったとのこと。

 水量豊かな中川を越え、火力発電所の高い煙突が左手に
近づく。正面には八鬼山(やきやま)の山塊が大きく迫って
きた。

 円いタンクの並ぶ東邦石油横から矢の川を渡り、川沿いに
対岸の東邦石油の東端まで進む。

 その三差路に「ままになるなら あの八鬼山を 鍬でならし
て通わせる」と八鬼山道を歌った尾鷲節の歌碑が立っていた。


 折り返して東邦石油の南側山すそ、桜並木の道を少しずつ
上ると、越えてきた馬越峠方面の展望が利いてきた。


 山頂近くの八鬼山荒神道を遙拝するという献灯所の近くに
トイレがあったので小休止する。       (続く)




コメント
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