2003年10月17日(金) 第3日
甫母峠、二木島峠、逢神坂峠、大吹峠、松本峠、鬼ヶ城
=五つの峠を越える=
今日も、Y山本さんが不要な荷物を運んでいただけるとの
こと。民宿嬉志野の前からバスに乗り賀田(かた)湾沿いに回
って、JR賀田駅の南、賀田バス停で下りた。
左手に、賀田湾や大クスノキなどの森に囲まれた飛鳥神社
を見ながら国道311号を1㎞ほど南下し、曽根町の町はずれ
から甫母(ほぼ)峠への上りにかかった。
上り口にある、コンクリートの祠に入った古い六地蔵が、わ
れわれの安全を見送ってくれているようだ。
民家の間から急な石段を上がってゆくと、真珠貝の養殖イ
カダなどの並ぶ賀田湾の展望がよい。
鏡のように静かな海面に周辺の山並みを映し、すがすがし
い眺めだ。
ヒノキの木立の下に古い石垣が目につく。猪垣(ししがき)と
呼び、猪から畑の農作物を守るために作られたもの。
巡礼供養塔の上あたりで、再び賀田湾の展望が広がる。
わずかな盛り上がりからそれと知れる曽根一里塚跡を過ぎ、
幅広い石畳を上がって甫母峠(305m)に着く。
薄暗い杉やヒノキの木立の中に休憩舎がある。傍らに、Y
さんの友人、Oさんが待っておられた。Oさんも伊能ウオーク
で熊野古道のガイドをされた方。
甫母峠は、曽根次郎坂・太郎坂とも呼ばれ、ここが紀伊と
志摩の国境で自領、他領がなまったものとか、古道の石畳
や猪垣のことなどを話していただいた。
峠には、古いお地蔵さんも鎮座していた。
10分ほど先に、大川さんお勧めの楯見ヶ丘と呼ぶ展望の
良い場所があり休憩。木のベンチもあり海からの風が気持ち
よい。
Oさんから、手作りの熊野古道の木札、つきたての栃餅と
草餅をいただく。餅はやわらかでおいしかった。
この先、二木島(にぎしま)までの熊野古道は、平成4年の
19号台風による被害で歩けなくなったが、大川さんが一人
で風倒木を整理して復興されたとのこと。そのお陰で私たち
も今日歩けるのだと思うと、そのご尽力に深く感謝する。
尾根上を進む古道は、適度に落ち葉が積もった歩きやすい
土の道。この稜線にもウラジロが多い。ところどころに木の
階段も設けられていた。
下るにつれて苔むした猪垣が増え、城壁かと思われるよう
な立派なものもある。
説明板によれば、寛保元年(1741)から1年で築いたのだ
という。そばに「猪落とし」と呼ぶ落とし穴もあった。
山道が終わり、国道311号バイパスの西の谷橋に下りた。
二木島湾の最奥部と、それを囲むわずかな民家を眼下に見
下ろす好展望の場所。ここでOさんと別れる。
ミカン畑の横から急階段を上り下りして、新逢川橋を渡った
ところで休憩した。JR二木島駅はすぐ先の高台にある。近く
の路上でミカンを売っていた。
JRの鉄橋下を抜け、背後に山の迫った相川の民家の間か
ら階段を上がって駅北側の高台に出る。廃屋の屋敷の庭先
を抜け、石の祠に鎮座するキリシタン灯篭(下)の前を進んで
二木島湾を見下ろす国道に出た。
少し先、コンクリートの壁面に急階段があり、熊野古道の
表示に従いその階段を上がる。再び山道となり、良く手入れ
された真っ直ぐな杉木立が並んでいる。
苔むす谷間の石畳を上がって二木島峠(240m)に出た。
ここも展望はないので小休止で通過。緩やかな下り坂は日
が差し込み、草の生えた土の道が多い。
水場のある沢を横切ると小さめの石畳道。間伐され比較的
明るい杉林をゆるやかに上り、三つ目の峠、逢神坂(おおか
みざか)峠(290m)に着く。やはり杉木立で見晴らしはない。
下りは背の高い杉木立の下、緑に苔むした立派な石畳が目
につく。再び猪垣が現れ、右手に石積みの棚田も見えてきた。
橋間集落の民家の間を通過し、湊川を越えて新鹿(あたしか)
の海岸に出る。 (続く)
甫母峠、二木島峠、逢神坂峠、大吹峠、松本峠、鬼ヶ城
=五つの峠を越える=
今日も、Y山本さんが不要な荷物を運んでいただけるとの
こと。民宿嬉志野の前からバスに乗り賀田(かた)湾沿いに回
って、JR賀田駅の南、賀田バス停で下りた。
左手に、賀田湾や大クスノキなどの森に囲まれた飛鳥神社
を見ながら国道311号を1㎞ほど南下し、曽根町の町はずれ
から甫母(ほぼ)峠への上りにかかった。
上り口にある、コンクリートの祠に入った古い六地蔵が、わ
れわれの安全を見送ってくれているようだ。
民家の間から急な石段を上がってゆくと、真珠貝の養殖イ
カダなどの並ぶ賀田湾の展望がよい。
鏡のように静かな海面に周辺の山並みを映し、すがすがし
い眺めだ。
ヒノキの木立の下に古い石垣が目につく。猪垣(ししがき)と
呼び、猪から畑の農作物を守るために作られたもの。
巡礼供養塔の上あたりで、再び賀田湾の展望が広がる。
わずかな盛り上がりからそれと知れる曽根一里塚跡を過ぎ、
幅広い石畳を上がって甫母峠(305m)に着く。
薄暗い杉やヒノキの木立の中に休憩舎がある。傍らに、Y
さんの友人、Oさんが待っておられた。Oさんも伊能ウオーク
で熊野古道のガイドをされた方。
甫母峠は、曽根次郎坂・太郎坂とも呼ばれ、ここが紀伊と
志摩の国境で自領、他領がなまったものとか、古道の石畳
や猪垣のことなどを話していただいた。
峠には、古いお地蔵さんも鎮座していた。
10分ほど先に、大川さんお勧めの楯見ヶ丘と呼ぶ展望の
良い場所があり休憩。木のベンチもあり海からの風が気持ち
よい。
Oさんから、手作りの熊野古道の木札、つきたての栃餅と
草餅をいただく。餅はやわらかでおいしかった。
この先、二木島(にぎしま)までの熊野古道は、平成4年の
19号台風による被害で歩けなくなったが、大川さんが一人
で風倒木を整理して復興されたとのこと。そのお陰で私たち
も今日歩けるのだと思うと、そのご尽力に深く感謝する。
尾根上を進む古道は、適度に落ち葉が積もった歩きやすい
土の道。この稜線にもウラジロが多い。ところどころに木の
階段も設けられていた。
下るにつれて苔むした猪垣が増え、城壁かと思われるよう
な立派なものもある。
説明板によれば、寛保元年(1741)から1年で築いたのだ
という。そばに「猪落とし」と呼ぶ落とし穴もあった。
山道が終わり、国道311号バイパスの西の谷橋に下りた。
二木島湾の最奥部と、それを囲むわずかな民家を眼下に見
下ろす好展望の場所。ここでOさんと別れる。
ミカン畑の横から急階段を上り下りして、新逢川橋を渡った
ところで休憩した。JR二木島駅はすぐ先の高台にある。近く
の路上でミカンを売っていた。
JRの鉄橋下を抜け、背後に山の迫った相川の民家の間か
ら階段を上がって駅北側の高台に出る。廃屋の屋敷の庭先
を抜け、石の祠に鎮座するキリシタン灯篭(下)の前を進んで
二木島湾を見下ろす国道に出た。
少し先、コンクリートの壁面に急階段があり、熊野古道の
表示に従いその階段を上がる。再び山道となり、良く手入れ
された真っ直ぐな杉木立が並んでいる。
苔むす谷間の石畳を上がって二木島峠(240m)に出た。
ここも展望はないので小休止で通過。緩やかな下り坂は日
が差し込み、草の生えた土の道が多い。
水場のある沢を横切ると小さめの石畳道。間伐され比較的
明るい杉林をゆるやかに上り、三つ目の峠、逢神坂(おおか
みざか)峠(290m)に着く。やはり杉木立で見晴らしはない。
下りは背の高い杉木立の下、緑に苔むした立派な石畳が目
につく。再び猪垣が現れ、右手に石積みの棚田も見えてきた。
橋間集落の民家の間を通過し、湊川を越えて新鹿(あたしか)
の海岸に出る。 (続く)