あるきメデス

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塩の道・千国街道(白池~山口関所跡~根知駅)【新潟】

2008-08-06 23:34:45 | 塩の道を歩く
 2008年7月31日(木)<続き>



 昼食をした白池からは、雨飾山や鬼が面山、駒ヶ岳など
が見えるはずだが、雲が多くてはっきりしないのが残念。
 下は、白池の北側にある休憩舎。 


 池には、小花のヒツジグサが咲いていた。休憩舎のそば
に、ぼっか宿の柱の台石などが残っていた。

 近くには、独特な形のオオウバユリが咲き出していた。


 昼食を終え、山口への下り道へ。


 ところどころに緩い木の段が設けられている。林間で
ウグイスやヒグラシが鳴く。

 林道を横切るところに、塩の道を読んだ短歌の碑が立っ
ていた。


 日向(ひなた)茶屋跡(下)あたりでは、パラパラ降って
きたが、すぐに止んだ。


 東側に岩稜の山並みを見ながら下り、庚申塔や百番供養
塔などを過ぎると山口集落に入る。

 左から駒ヶ岳(1487m)、鬼ヶ面山(1571m)、鋸岳
(1631m)である。 

 田んぼの向こうに、かやぶき屋根のりっぱな民家が見えて
きた。そばに下ると「道の駅資料館」だった。

 400円の入館料を払って入館し、内部を観覧する。

 豪雪に耐えるためのガッチリした造りで、屋根裏の3階
や2階には古い民具や農具など、1階には塩の道を往復し
た歩荷(ボッカ)や牛方たちの生活用具などが収集・展示
されていた。


 目を引いたのは、土間から2階の天井くらいもある頑丈
で重そうなそり。(下の写真は2台分)

 材木を、2本ひと組のそりの間にいっぱいに積み、雪道
を下ろすのに使ったのだという。

 集落の中心の三差路に下ると、車道の上に小さい人形
がたくさん吊してある。

 何の風習なのか知りたかったが、人気(ひとけ)が無く、
聞くことは出来なかった。

 少し南側が山口関所跡。天保年間(1830~)から明治
2年(1869)4月まで、塩の道の輸送物資の監視と、物品
に課税する「運上銀(うんじょうぎん)」の徴収が主業務で、
運上銀は藩の重要な財源だったという。

 現在は、毘沙門天を祭る小さいほこらと「関所址」の碑が
あるのみ。

 車道を北に進み、左手にスキー場を見て、民宿案内図の
ある三差路を西に入る。

 すぐ先にスキー場内の宿泊施設、ホテルホワイトクリフが
ある。そばに、「塩の道交流館歩荷(ぼっか)茶屋」もあるら
しいが見逃し、寄らずに通過した。

 次の集落、稲場との間は、地名のとおり緑の田んぼが広
がり、振りかえる山口集落の南(下の写真)や東に、特徴的
な山容の山が姿を見せる。

 真ん中に山頂付近だけ見える双耳峰のピークが、日本百
名山・雨飾山のようだ。

 このあたりの交差点には、塩の道の新しい道標が設けられ
ているので、地図と対照して迷わず進める。


 大工屋敷集落が近づくころ、日が差してきて暑くなった。
西側の山腹でヒグラシがカナカナカナカナ…と鳴く。

 和泉で車道に出たが、車の交通量は少ない。家並みの並
ぶ根小屋集落に入り、2階が鐘楼を兼ねた古い山門のある
廣傳寺前を通過する。


 根小屋会館の前の通りにも、先ほど山口にあったのと同
様な、たくさんの人形が吊されていた。

 集落を西に抜けて大糸線の踏切を越え、16時21分に
根知駅に着く。今日の行程はここまで。


 16時58分発の下り電車で糸魚川まで行き、宿泊する市
内のビジネスホテルに向かった。

(天気 曇後晴、距離 行戻り2㎞+16㎞、地図(1/2.5万)
 越後平岩、雨飾山、越後大野、小滝、歩行地 長野県
 小谷村、新潟県糸魚川市、歩数 34,300)
コメント
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