2009年7月1日(水)
今日は、6月20日(土)から全国でロードショーを開始した映画
「剣岳 点の記」を、入間市のシネコンで観覧してきました。

この映画は、新田次郎の同名の作品を映画化したものです。
日露戦争後の明治40年(1907)、国防のために日本地図の完
成を急ぐ陸軍は、参謀本部陸地測量部の測量手・芝崎芳太郎など
7人を(北アルプス)剣岳へと送り込みました。
そこは、まだ誰も足跡を残していない国内最後の未踏地。その剣岳
に登頂して三角点を設置するのが、柴崎らの使命でした。
一方、小島烏水(こじまうすい)率いる、発足間もない日本山岳会も、
初登庁を狙っていました。
剣・立山連峰の美しいが厳しい自然を舞台に交錯する両者の信念。
そして最初に山頂に立ったものが見たものは……。というものです。

2年間、のべ200日を超える撮影を行い、オール現地ロケにこだわ
ったという作品です。
雄大な北アルプスの眺望とともに、猛烈な風雪や豪雨にさらされ、
つねに生命の危険を伴いながらも、歩一歩と山頂に向かい、時には
撤退して別ルートから目指すなど、困難を極めたその様子は、想像
以上の迫力でした。
私たちがいま、国土地理院の地形図を信頼して使用できるのも、
このような先人の労苦や挑戦を受け継いできたからこそと、これから
地形図を読むときには、思い出さずにはおられないでしょう。
地形図の愛用者はもとより、地図を利用する多くの方々にご覧いた
だき、地図が出来るまでにどのような苦労があるのか、その一端を
理解してもらうために、ご覧いただけばと思います。
「山と渓谷」6月号では、この映画と原作者新田次郎のこと、そして
夏の剣岳登山について特集しています。

映画「剣岳 点の記」の公式ブログは、下記をご覧下さい。
http://www.tsurugidake.jp/blog/
〈後記〉
7月3日(金)に、東京・有楽町駅東口の観光会館地下1階にある、
富山県のアンテナショップ「いきいき富山館」に立ち寄ったら、「剣岳
点の記」の写真展と測量関係品の展示をしていました。

映画のシーンを撮ったスティール写真。

背負い子に三等三角点(模造品)とわらじがくくりつけてありました。

実は剣岳にも三等三角点を設置する予定だったのですが、急峻な
地形に阻まれ、標石の設置はあきらめたのでした。
こちらは、ほんものの経緯儀(トランジット)、目標物の高度と方位を
測る器具で、昭和30年代ころまで使用されたもののようです。

このような器具で測量するシーンもありました。
後になりましたが、「点の記」とは、三角点の名前や住所、設置年月
日、設置者などを記した国土地理院の永久保存資料(当初は陸軍省の
陸地測量部で作成)で、三等三角点以上(二等、一等)の各々の三角
点ごとに1枚の記録が残っています。
今日は、6月20日(土)から全国でロードショーを開始した映画
「剣岳 点の記」を、入間市のシネコンで観覧してきました。

この映画は、新田次郎の同名の作品を映画化したものです。
日露戦争後の明治40年(1907)、国防のために日本地図の完
成を急ぐ陸軍は、参謀本部陸地測量部の測量手・芝崎芳太郎など
7人を(北アルプス)剣岳へと送り込みました。
そこは、まだ誰も足跡を残していない国内最後の未踏地。その剣岳
に登頂して三角点を設置するのが、柴崎らの使命でした。
一方、小島烏水(こじまうすい)率いる、発足間もない日本山岳会も、
初登庁を狙っていました。
剣・立山連峰の美しいが厳しい自然を舞台に交錯する両者の信念。
そして最初に山頂に立ったものが見たものは……。というものです。

2年間、のべ200日を超える撮影を行い、オール現地ロケにこだわ
ったという作品です。
雄大な北アルプスの眺望とともに、猛烈な風雪や豪雨にさらされ、
つねに生命の危険を伴いながらも、歩一歩と山頂に向かい、時には
撤退して別ルートから目指すなど、困難を極めたその様子は、想像
以上の迫力でした。
私たちがいま、国土地理院の地形図を信頼して使用できるのも、
このような先人の労苦や挑戦を受け継いできたからこそと、これから
地形図を読むときには、思い出さずにはおられないでしょう。
地形図の愛用者はもとより、地図を利用する多くの方々にご覧いた
だき、地図が出来るまでにどのような苦労があるのか、その一端を
理解してもらうために、ご覧いただけばと思います。
「山と渓谷」6月号では、この映画と原作者新田次郎のこと、そして
夏の剣岳登山について特集しています。

映画「剣岳 点の記」の公式ブログは、下記をご覧下さい。
http://www.tsurugidake.jp/blog/
〈後記〉
7月3日(金)に、東京・有楽町駅東口の観光会館地下1階にある、
富山県のアンテナショップ「いきいき富山館」に立ち寄ったら、「剣岳
点の記」の写真展と測量関係品の展示をしていました。

映画のシーンを撮ったスティール写真。

背負い子に三等三角点(模造品)とわらじがくくりつけてありました。

実は剣岳にも三等三角点を設置する予定だったのですが、急峻な
地形に阻まれ、標石の設置はあきらめたのでした。
こちらは、ほんものの経緯儀(トランジット)、目標物の高度と方位を
測る器具で、昭和30年代ころまで使用されたもののようです。

このような器具で測量するシーンもありました。
後になりましたが、「点の記」とは、三角点の名前や住所、設置年月
日、設置者などを記した国土地理院の永久保存資料(当初は陸軍省の
陸地測量部で作成)で、三等三角点以上(二等、一等)の各々の三角
点ごとに1枚の記録が残っています。