日差しが出た今日の所沢市、昼前後、市内を歩きましたが、今年最高
かと思われる暑さ。それもそのはず、夜のニュースでは最高気温34.9
℃で、全国2位の高温だったと伝えていました。
何年前かの今ごろ歩いた、塩の道・千国街道を紹介していますが、今日
は、6年前のコース、千国街道の北端です。
写真は、フィルムカメラの一眼レフで撮ったものです。プリントが少し色
あせてしまったものもありますが、記録として紹介します。
===============================
2003年7月28日(月)
=松本~穂高町南部(柏矢町)=
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8時に松本のビジネスホテルを出た。今日は、昨年(2002年)7月の
2日間に大町市南部から白馬駅まで歩いた塩の道の、南側半分だけを
歩く予定である。
コース地図は、昨年、初日に一緒に歩いたKさんに後から頂いた「古道
案内 塩の道千国街道」の、2万5分の1地形図上に詳細にポイントを記
してある地図を、拡大コピーして用意してきた。
まずコースの出発点となる松本城に向かう。市の繁華街、中央二丁目
の交差点で「ぜん光寺道」と記された御影石の道標に気づく。明治26年
(1892)6月のものだが、ピカピカに磨き上げられていた。
国宝松本城は、均衡のとれた姿を静かな堀に写していた。朝なので観
光客の姿はほとんどない。
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塩の道は、松本城から隣の豊科(とよしな)町に向かって、「飯田道」、
「養老坂道」、「真々部道」と名付けられた2本の道筋がある。今回は、標
高差はあるが展望のよさそうな養老坂道を行くことにした。
一旦東に向かい、500m近く進んで国道143号に出る。朝の通勤時刻
なので車の交通量が多い。城東一、二丁目を過ぎ、豊栄寺の前で西に入
る。「この通りは北国西往還(旧善光寺街道)です」という表示があった。
2本目の路地を北に向かうはずが、先まで進んでしまい、逆コの字形に
回り道して、桐一丁目の学校の横から塩の道に戻る。道はゆるい上りとな
り郊外の住宅地を西北に向かう。
沢村三丁目を過ぎると家並みが途切れ、リンゴ畑が現れた。リンゴは大
きくなっているが、赤みはほんの少しだけ。
徐々に高度が上がり、田んぼのかんがい用水の水源、塩倉池辺りまで
来ると、東側の展望が開けてきた。
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好天ならば美ヶ原などが見えそうだが、池に影を映すのは近くの山並
みと周辺の丘陵である。
池のすぐ上に見えた海福寺は、上杉が武田に塩を送ったおり、塩荷を
一時庭に置いたといい、「塩倉」の地名もそれに由来するようだ。
塩倉に残る、元治元年(1864)銘などの石仏群。
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道は塩倉集落の西を上がる。ししおどしの「ズドン」という音が間近に聞
こえてビックリ。リンゴ畑の間を進んでゆくと少し右に回り込み、小さい沼
の下に出た。
気づかぬ分岐で道を間違えたようだ。沼の下にある棚田のあぜを下って
車道に出て、老根田の小集落を抜ける塩の道に戻った。
リンゴ畑の間を上がり、畑が終わった辺りから林間を下る山道にかかる。
入口に「松本市城山遊歩道」の道標があった。
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「ようろう坂コース」の矢印に従って下り始めたら、草が伸びて道をふさ
いでいる。
しかしそれはわずかの間で、赤松林から広葉樹林になった。
右にカーブしてゆくと少しだけ樹林が開け、西側の梓川やその先、安曇
野の展望が広がる。
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しかし、あと2~300mほどで泣坂に下る車道に出るという辺りで、ツタ
や瓜類の葉のような木が一面を覆い、道が分からなくなった。
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地図と見比べ、前方のヘヤピンカーブの曲がったところに出ればよいと
考え、葉の上をはうようにして進む。一瞬足を踏み外して転倒したが柔ら
かい葉の上なのでケガはない。眼鏡が外れたので探したらすぐに見つか
りひと安心。
アシが増えたので、湿地だとマズイと思ったが水気はなく、やぶこぎも
10分前後でなんとか車道に出た。
その先も山道を少し下って国道254号を越えるのだが、分からないの
で車道を回り、松本トンネルの料金所下に出て国道に合する。
国道下を横切る人道トンネルを西に抜け、島内の民家入口のりっぱな松
の木の下で休憩。
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昔の塩の道はこの先、泣坂を下ってJR篠ノ井線沿いに進み、川手番所
跡から熊倉の渡しで犀川を越えたが、渡しは現在は廃止されているので
南側の平瀬橋へ迂回(うかい)する。
西側が開けた斜面を篠ノ井線の西に出て、国道の橋脚下から斜張橋の
平瀬橋に出た。橋脚下の田の横に、オミナエシやヒャクニチソウがきれい
な花を開いていた。
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草や木に覆われた自然堤防の間に豊富な流れを見せる奈良井川は、少
し下流の熊倉の渡し跡付近で左からの梓川と合して犀川となる。
その奈良井川と犀川の間には、芝生と植栽の広がる平瀬公園と、松本
市の清掃センターがあり、その余熱を利用したラーラ松本と呼ぶ温水プー
ルやレストランなどの新しい遊興施設もあった。
奈良井川に比べ3倍以上も川幅があるが、水量が少なく砂利ばかり目に
つく梓川は、自転車道、あづみの橋を渡る。
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橋の中ほどで、向こうからご夫妻のウオーカーが来た。お二人はいつも
自分達で計画したウオーキングを楽しみ、米国グランドキャニオンも歩いた
とか。
旗を持ってぞろぞろ歩くウオーキング団体の歩きを毛嫌いしていたが、そ
んな歩きにも参加している私は、ちょっと気をそがれた。
奈良井川から取水した拾ケ堰(じっかぜき)と呼ぶ流れが、橋のそばで梓
川をくぐるサイフォンになっていた。
文化13年(1816)に約3ヶ月の突貫工事で完成したというが、当時として
は極めて高度な技術力を駆使し、その豊富な流れは今も安曇野の田園を
潤している。橋の西側に出た流れはきれいで、緑の藻をゆらしていた。
その流れに沿った自転車道が塩の道の一筋、飯田道になっているので、
そのまま進めばよかったのだが、熊倉の渡し跡へ出るには、梓川左岸沿い
を進んだ方が近いと見て未舗装の車道に入った。
先方に砂利を積んだダンプが見えたので怪しいと思ったが、川沿いに川
砂利のたい積場があり、それを運搬する大型ダンプが通過するたびに、道
路一杯に土ほこりが舞い上がる。数台に遭遇してたちまち、ホコリ高き男
になった。
1㎞余りでダンプ街道は終わり、さらに進んで林が途切れたところで西側
の田んぼに抜け、宮下集落の南に出た。昼食に戻る農家の奥さんに場所
を確認、背の高い赤松が数十本並ぶ、近くの春日神社に入り、松の下で昼
食にした。

神社裏手には「ぶたい保存庫と熊倉の渡し舟」という標石が立っていて、
そばに熊倉の渡しで使われた十数人乗りの木の舟が屋根付きで保存され
ていた。
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渡しは、昭和35年(1960)頃まで利用されていたらしい。
少し進むと仏法寺の百体観音の標識があり、寺の参道両側に古い石の
観音像が並んでいた。

寺の東正面が、松本藩百ヶ村あまりを結ぶ交通の要衝だった熊倉の渡
し跡である。
渡し舟を形取った新しい「熊倉の渡し跡」碑が、犀川の清流に面して出
来ていた。
川原田の集落を抜けると、道は次第に西に向きを変える。トンビが「ピー
ヒョロロ」と泣く田園地帯となり、日差しが暑く汗が増える。
「手打ちそば処千利」の看板のある大原や長野自動車道を過ぎ、保健セ
ンターなどのあるサントピア豊科、豊科町役場前などを通過して豊科町の
中心部に入る。

飯田道、真々部道と合して1本となった塩の道は、JR大糸線に平行す
る国道147号を進む。
細萱の洲波神社の東側、国道際に古い双体道祖神が祭られていた。
国道は、歩道はあるが車が多いのでうっとうしい。暑いので、SONYの
工場近くにあったコンビニでアイスを買い、裏手の日陰に回って緑の田ん
ぼを眺めながら食べた。
コンビニの少し先に、「飯沼飛行士記念館」がある。昭和12年(1937)
4月、神風号により東京~ロンドン間を約94時間の世界新で飛んだ飯沼
正明飛行士の生家。

その時の写真や飛行機の模型などを展示していたが、入館はせずにの
ぞいただけで通過した。
安曇野の豊富な湧水を水源とする万水川(よろずいがわ)のほとりにあ
る、玄蕃(げんば)稲荷社に寄る。近くにある松本藩の群奉行などを勤めた
細萱(ほそかや)氏館跡の鬼門にあたり、厄よけの神として置かれた社だ
という。
万水川を渡ると穂高町。すぐ先のY字路で国道を右に分け、左の旧道に
入る。この辺りから北は、近年何回かカントリーウオークをしており、おなじ
みの土地だ。
大糸線上り電車にちょうどよい時刻なので、今回はここまでとし、柏矢町
(はくやちょう)駅に向かう。駅前の道路は拡張され、克彦美術館という新
しい施設も出来ていた。
駅の南側、踏切際にある道祖神など。
柏矢町駅には、14時48分に到着した。青春18きっぷ3枚目を使い、15
時発の電車に乗る。
松本で中央本線に連絡、小淵沢、甲府、高尾と乗り継ぎ、20時50分に
帰宅した。
(天気 晴、距離 19㎞、歩行地 長野県松本市、豊科町、穂高町)
〈注:歩行地名は当時のもの、豊科町、穂高町は現在は安曇野市〉
かと思われる暑さ。それもそのはず、夜のニュースでは最高気温34.9
℃で、全国2位の高温だったと伝えていました。
何年前かの今ごろ歩いた、塩の道・千国街道を紹介していますが、今日
は、6年前のコース、千国街道の北端です。
写真は、フィルムカメラの一眼レフで撮ったものです。プリントが少し色
あせてしまったものもありますが、記録として紹介します。
===============================
2003年7月28日(月)
=松本~穂高町南部(柏矢町)=
8時に松本のビジネスホテルを出た。今日は、昨年(2002年)7月の
2日間に大町市南部から白馬駅まで歩いた塩の道の、南側半分だけを
歩く予定である。
コース地図は、昨年、初日に一緒に歩いたKさんに後から頂いた「古道
案内 塩の道千国街道」の、2万5分の1地形図上に詳細にポイントを記
してある地図を、拡大コピーして用意してきた。
まずコースの出発点となる松本城に向かう。市の繁華街、中央二丁目
の交差点で「ぜん光寺道」と記された御影石の道標に気づく。明治26年
(1892)6月のものだが、ピカピカに磨き上げられていた。
国宝松本城は、均衡のとれた姿を静かな堀に写していた。朝なので観
光客の姿はほとんどない。
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塩の道は、松本城から隣の豊科(とよしな)町に向かって、「飯田道」、
「養老坂道」、「真々部道」と名付けられた2本の道筋がある。今回は、標
高差はあるが展望のよさそうな養老坂道を行くことにした。
一旦東に向かい、500m近く進んで国道143号に出る。朝の通勤時刻
なので車の交通量が多い。城東一、二丁目を過ぎ、豊栄寺の前で西に入
る。「この通りは北国西往還(旧善光寺街道)です」という表示があった。
2本目の路地を北に向かうはずが、先まで進んでしまい、逆コの字形に
回り道して、桐一丁目の学校の横から塩の道に戻る。道はゆるい上りとな
り郊外の住宅地を西北に向かう。
沢村三丁目を過ぎると家並みが途切れ、リンゴ畑が現れた。リンゴは大
きくなっているが、赤みはほんの少しだけ。
徐々に高度が上がり、田んぼのかんがい用水の水源、塩倉池辺りまで
来ると、東側の展望が開けてきた。
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好天ならば美ヶ原などが見えそうだが、池に影を映すのは近くの山並
みと周辺の丘陵である。
池のすぐ上に見えた海福寺は、上杉が武田に塩を送ったおり、塩荷を
一時庭に置いたといい、「塩倉」の地名もそれに由来するようだ。
塩倉に残る、元治元年(1864)銘などの石仏群。
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道は塩倉集落の西を上がる。ししおどしの「ズドン」という音が間近に聞
こえてビックリ。リンゴ畑の間を進んでゆくと少し右に回り込み、小さい沼
の下に出た。
気づかぬ分岐で道を間違えたようだ。沼の下にある棚田のあぜを下って
車道に出て、老根田の小集落を抜ける塩の道に戻った。
リンゴ畑の間を上がり、畑が終わった辺りから林間を下る山道にかかる。
入口に「松本市城山遊歩道」の道標があった。
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「ようろう坂コース」の矢印に従って下り始めたら、草が伸びて道をふさ
いでいる。
しかしそれはわずかの間で、赤松林から広葉樹林になった。
右にカーブしてゆくと少しだけ樹林が開け、西側の梓川やその先、安曇
野の展望が広がる。
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しかし、あと2~300mほどで泣坂に下る車道に出るという辺りで、ツタ
や瓜類の葉のような木が一面を覆い、道が分からなくなった。
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地図と見比べ、前方のヘヤピンカーブの曲がったところに出ればよいと
考え、葉の上をはうようにして進む。一瞬足を踏み外して転倒したが柔ら
かい葉の上なのでケガはない。眼鏡が外れたので探したらすぐに見つか
りひと安心。
アシが増えたので、湿地だとマズイと思ったが水気はなく、やぶこぎも
10分前後でなんとか車道に出た。
その先も山道を少し下って国道254号を越えるのだが、分からないの
で車道を回り、松本トンネルの料金所下に出て国道に合する。
国道下を横切る人道トンネルを西に抜け、島内の民家入口のりっぱな松
の木の下で休憩。
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昔の塩の道はこの先、泣坂を下ってJR篠ノ井線沿いに進み、川手番所
跡から熊倉の渡しで犀川を越えたが、渡しは現在は廃止されているので
南側の平瀬橋へ迂回(うかい)する。
西側が開けた斜面を篠ノ井線の西に出て、国道の橋脚下から斜張橋の
平瀬橋に出た。橋脚下の田の横に、オミナエシやヒャクニチソウがきれい
な花を開いていた。
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草や木に覆われた自然堤防の間に豊富な流れを見せる奈良井川は、少
し下流の熊倉の渡し跡付近で左からの梓川と合して犀川となる。
その奈良井川と犀川の間には、芝生と植栽の広がる平瀬公園と、松本
市の清掃センターがあり、その余熱を利用したラーラ松本と呼ぶ温水プー
ルやレストランなどの新しい遊興施設もあった。
奈良井川に比べ3倍以上も川幅があるが、水量が少なく砂利ばかり目に
つく梓川は、自転車道、あづみの橋を渡る。
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橋の中ほどで、向こうからご夫妻のウオーカーが来た。お二人はいつも
自分達で計画したウオーキングを楽しみ、米国グランドキャニオンも歩いた
とか。
旗を持ってぞろぞろ歩くウオーキング団体の歩きを毛嫌いしていたが、そ
んな歩きにも参加している私は、ちょっと気をそがれた。
奈良井川から取水した拾ケ堰(じっかぜき)と呼ぶ流れが、橋のそばで梓
川をくぐるサイフォンになっていた。
文化13年(1816)に約3ヶ月の突貫工事で完成したというが、当時として
は極めて高度な技術力を駆使し、その豊富な流れは今も安曇野の田園を
潤している。橋の西側に出た流れはきれいで、緑の藻をゆらしていた。
その流れに沿った自転車道が塩の道の一筋、飯田道になっているので、
そのまま進めばよかったのだが、熊倉の渡し跡へ出るには、梓川左岸沿い
を進んだ方が近いと見て未舗装の車道に入った。
先方に砂利を積んだダンプが見えたので怪しいと思ったが、川沿いに川
砂利のたい積場があり、それを運搬する大型ダンプが通過するたびに、道
路一杯に土ほこりが舞い上がる。数台に遭遇してたちまち、ホコリ高き男
になった。
1㎞余りでダンプ街道は終わり、さらに進んで林が途切れたところで西側
の田んぼに抜け、宮下集落の南に出た。昼食に戻る農家の奥さんに場所
を確認、背の高い赤松が数十本並ぶ、近くの春日神社に入り、松の下で昼
食にした。
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神社裏手には「ぶたい保存庫と熊倉の渡し舟」という標石が立っていて、
そばに熊倉の渡しで使われた十数人乗りの木の舟が屋根付きで保存され
ていた。
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渡しは、昭和35年(1960)頃まで利用されていたらしい。
少し進むと仏法寺の百体観音の標識があり、寺の参道両側に古い石の
観音像が並んでいた。
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寺の東正面が、松本藩百ヶ村あまりを結ぶ交通の要衝だった熊倉の渡
し跡である。
渡し舟を形取った新しい「熊倉の渡し跡」碑が、犀川の清流に面して出
来ていた。
川原田の集落を抜けると、道は次第に西に向きを変える。トンビが「ピー
ヒョロロ」と泣く田園地帯となり、日差しが暑く汗が増える。
「手打ちそば処千利」の看板のある大原や長野自動車道を過ぎ、保健セ
ンターなどのあるサントピア豊科、豊科町役場前などを通過して豊科町の
中心部に入る。
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飯田道、真々部道と合して1本となった塩の道は、JR大糸線に平行す
る国道147号を進む。
細萱の洲波神社の東側、国道際に古い双体道祖神が祭られていた。
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国道は、歩道はあるが車が多いのでうっとうしい。暑いので、SONYの
工場近くにあったコンビニでアイスを買い、裏手の日陰に回って緑の田ん
ぼを眺めながら食べた。
コンビニの少し先に、「飯沼飛行士記念館」がある。昭和12年(1937)
4月、神風号により東京~ロンドン間を約94時間の世界新で飛んだ飯沼
正明飛行士の生家。
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その時の写真や飛行機の模型などを展示していたが、入館はせずにの
ぞいただけで通過した。
安曇野の豊富な湧水を水源とする万水川(よろずいがわ)のほとりにあ
る、玄蕃(げんば)稲荷社に寄る。近くにある松本藩の群奉行などを勤めた
細萱(ほそかや)氏館跡の鬼門にあたり、厄よけの神として置かれた社だ
という。
万水川を渡ると穂高町。すぐ先のY字路で国道を右に分け、左の旧道に
入る。この辺りから北は、近年何回かカントリーウオークをしており、おなじ
みの土地だ。
大糸線上り電車にちょうどよい時刻なので、今回はここまでとし、柏矢町
(はくやちょう)駅に向かう。駅前の道路は拡張され、克彦美術館という新
しい施設も出来ていた。
駅の南側、踏切際にある道祖神など。
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柏矢町駅には、14時48分に到着した。青春18きっぷ3枚目を使い、15
時発の電車に乗る。
松本で中央本線に連絡、小淵沢、甲府、高尾と乗り継ぎ、20時50分に
帰宅した。
(天気 晴、距離 19㎞、歩行地 長野県松本市、豊科町、穂高町)
〈注:歩行地名は当時のもの、豊科町、穂高町は現在は安曇野市〉