先日道新に"中空土偶国宝に”と載っていた。縄文時代も後期で(3,500年前)に作られたと推定される。で、茅部で発掘されたので茅の字をとり、”かっくう”の愛称で呼ばれる。さて、此処でじっとしていられないのが、ひとり・・・早速、縄文時代へ!・・・
色んな方法で、調べてみるが、土偶は何の為に作られたのか?やはり、人型だと思う(違う説もある)此処へきて、再び出てくるのが「古事記」此処に現れる女神はオオゲツヒメ、「日本書紀」の女神はウケモチが主役になる。大切な客神の接待に体中からご馳走を出しているところを客に見られ、殺されてしまう食物の女神の物語ですこの神は、死んだ後その体中から五穀や桑蚕牛馬を生み出し人間に与える役目を負っている。即ち穀物栽培、農業の守護神です。
生贄を捧げて豊年を願う儀礼は古くからあり、動物の犠牲や人身御供などの血なまぐさい習慣も世界各地で行われていた。この儀式の元になったのが ハイヌヴェレ型神話です。(これは、東南アジア・アメリカ大陸・広く分布している神話日本神話にもふくまれている)
栽培農業を始めた縄文人が自らが持つ伝承神話のなかに作物起源の説話を作りあげたのは当然です。身を殺して作物を与えて下さった神への信仰が生贄を殺す事で、生贄は神と同等の力を授かり豊かな実りを約束して下さると考えられたのでしょう。縄文人は神への捧げ物として人に似せて土偶を作り、それを破壊して栽培地に撒いたり埋めたりする事により、穀物の再生を祈願し、その破片の一部を住居に持ち帰り、祭っていたのが、住居跡から発見されている。
ところで、「古事記」によると オオケツヒメを殺すのが スサノオになってます、そのスサノオが出雲に降りてから、ヤマタノオロチに生贄として捧げられる筈のクシイナダヒメを助ける役目になり、クシイナダヒメがその名の通りイナダの守り神とすれば豊穣を祈ってわが身を犠牲にするオオケツヒメに変わる神でした。 殺す神から救う神へこの支配者であるスサノオの変身は人身御供の風習の名残とその残酷式が廃止された経緯をうつしている感じがする。
(吉田敦彦先生)の本から、抜粋
黄泉の国の入口と言われています。
少々疲れ気味!