『夢の小筥』

再び廻り来る事のない、この刻(いま)を、そっと筥に納めてみました。

 ”滝口入道と横笛”

2008-09-02 14:34:06 | Weblog

     
    滝口寺    禊萩(みそはぎ)盆花とも言われる。

 今日は久し振りに、平家物語に挑戦です。

 滝口入道とは、内大臣・平重盛(たいらのしげもり)に仕えていた宮中警護に当たる滝口(清涼殿の東北の詰所)の武士・齊藤時頼のこと。

 横笛とは、建礼門院(重盛の妹)に仕えていた雑士女。

 時の権力者平清盛(重盛の父)が催した花見の宴で、横笛の舞をみて、その美しさに、心奪われてしまった時頼。

 その夜から横笛のことが忘れられず、思いは募るばかり、どのようにして気持ちを伝えようかと悩んだあげく、文に認め(したため)届けることにしました。

 宮中警護を勤める男性から愛を打ち明けられた横笛は、

 「この方を信じ、この愛を受け入れよう」

心に誓い、二人は愛の契りを結びました。

 これを知った時頼の父は

 「お前は名門の出、将来は平家一門に入る身なのだから、あのような身分の低い女に、思いを馳せててはいけない」

と厳しく叱りつけました。

 時頼は、主君「内大臣」の信頼に背いた己を自責し、横笛に知らせることなく、わずか19歳で嵯峨の往生院に入り出家。
時頼は、煩悩を捨て、一心に仏道修行を誓ったのでした。

 幾日も経たないうち、都の噂で時頼が(名を滝口入道とする)出家したと知った横笛は、滝口に自分の心を打ち明けようと、あちこちの寺を尋ね歩きます。

 都を出る時に着てきた着物は、見る影もなく、みすぼらしくなっていました。

 ある日の夕暮れ、嵯峨の地へやってきた横笛の耳へ、僅かながら念誦(ねんしょう)の声が聞こえました。
耳を澄ませて声の方向をみると、闇の奥の小さな庵からであった。
 横笛は、そっと近づき念誦の声に

 「この声は、お捜ししていた滝口様」。
はやる気持ちを抑え表戸を叩き
  「お願いでございます。どうか、お姿をお見せくださいませ」

 確かに声は届いたようです。先程まで聞こえていた念誦がぴたりと止み、しばらくすると一人の僧が静かに戸を開け出てきて

 「そのような者はこの僧坊にはおりません、お間違いです」

 と言って姿をけしました。

 ようやくみつけた、滝口に、追い返された横笛の落胆は、いかほどか・・・辛かったと想像できます。

 横笛は泣く泣く都へ帰るが、真の自分の気持ちを伝えたく、近くの石に
 『山深み 思い入りぬる柴の戸の まことの道に我を導け』と指を切り、その血で書き記したと言う。

 滝口入道は、横笛に住まいを知られこれからも尋ねられては修行の妨げになると、女人禁制の高野山静浄院へ移った。

 横笛はそれを知り、悲しみのあまり、大堰川(おおいがわ)に身を沈めたとも、南都(奈良)・法華寺へ出家したとも伝えられる。

 横笛の死を聞いた滝口は、ますます仏道修行に励み、その後、高野聖となり元暦元年(1184)、紀州の勝浦において、
 平惟盛の入水に立ち会っているとのことです。

 何れにしても滝口入道20歳、横笛17歳のときのお話です。

 哀しすぎます・・・。

 せめてもと、我が家の禊萩(ミソハギこんなに難しい字です)
の写真です。