あなた
お久し振りです。何となく元気がなく身体が「カッタルク」な~んにもしたくなかった。
そんな私を気遣ってか?Yさんきてくれたよ・・・嬉しかった。昨夜は薬をのんで早々と寝てしまいました。後は其方であ
なたが見ていてくれると・・・信じて
今日は昨日と全く違って、春らしくピカピカとはいかないけれど、どこかに春の匂いが漂って~ゆったりとし天気。
昨日、あなたをよく知ってらっしゃる方が、あなたが其方へ逝ったことの証明が必要とのことで、市役所まで車で送り迎
えしていただきました。私は初めてお目にかかりましたが、あなたのこと、ポツリポツリと、話して下さった。
逝った人への褒め言葉と判っても、胸の奥の方がキリキリと刺されるようで・・・つらかったです。
年齢とともに涙腺が弱くなり、一寸したことでも泪が邪魔します・・・
よもすがら 契りしことを 忘れずは 恋ひん涙の いろぞゆかしき 知る人も なき別れ路に 今はとて 心細くも 急
ぎたつかな 煙とも 雲ともならぬ 身なりとも 草葉の露を それと眺めよ (中宮定子)
一条天皇皇后定子は、3人目の御子を懐妊、お産が近づくにつれ今までのお産とは、ちがう体の変調に気づいた。彼女
の死後、帳の紐にこの歌が結び付けられているのが発見され宮中は、新たな悲しみにつつまれた
長保2年(1000)の暮れ、定子の棺をのせた牛車は、雪の降りしきる中、鳥辺野に静かに向かい始めた。
伊周兄弟や叔父などたくさんの人が、定子の亡がらに供していたが、生前の定子の明るく朗らかな性格と藤原道隆家
最後の希望であった定子が逝った今、側近の人々は皆、悲しみの境地に胸も張り裂けんばかりであった。この行幸の
中には、涙をも凍りつかせるほど落胆し、顔面蒼白になった清少納言の弱々しい姿が尚いっそう、人々の涙と降雪をさ
そっていた。
定子を心から尊敬していた清少納言です。どれ程哀しかったことか・・・(気持ちわかります)
あなた又ね・・・kei元気で頑張る・・・ 哀しいのは私だけではないもね・・・