与えられた仕事もおわり、天気もよい・・・昨日から古い本を読んでます。
難しいほんを読んだ後、何となく手にするのが「むか~しむかし」で始まる日本昔話、そしてその地に語り継がれる民話などです。その中から今日は京都の社寺の昔ばなし・・・で少し頭を休めてみました。
田植え地蔵(醍醐寺)
もう750年も昔の事、宇治の笠取というところに、働き者の父親と息子が住んでおった。母親は、息子が九つの時、病気で死んでしもうたが、親子は悲しみに負けず一生懸命になって働いておった。
ある日息子は、醍醐寺という寺につづく道端に、一体のお地蔵さんを見つけて立ち止まった。そのやさしい顔立ちが、息子には死んだ母親そっくりに見えるんじゃ、その日から息子は、毎日そのお地蔵さんにお参りするようになったそうな。
やがてあくる年の六月、明日は田植えと言う日、父親と息子は田に水を引き、用意を整えて家に帰った。ところがその晩のこと、急に父親が高い熱を出して苦しみ始めたんじゃ。
山の中の田は、一日でも田植えを遅らせると収穫が少なくなってしまう、と言っても息子一人の力ではどうにもならん。息子は夢中で家を飛び出すと、あの優しい顔のお地蔵さんの所へ行き、一心に祈り続けるのじゃった。
そうして次の朝、家を出て田んぼまでやってきた息子は、あっと声をあげた。不思議なことに田んぼには、青々とした苗が一面に植えられ、そよそよと風になびいているではないか。
「一体誰が・・・」
息子は狐につままれたような気持ちでキョロキョロあたりを見回した。
すると、あぜの青草にいっぱい泥がついておってな、大きな足跡が道の上に、点々とついておるんじゃと、不思議に思うてその足跡をたどってみると、どうしたわけか足跡は、お地蔵さんのところまで続いておる。
そうしてなぁ、良く見ると、なんとそのお地蔵さんの足が、田んぼの泥ですっかり汚れておるではないか。
息子はもう、言葉も出ず、ただお地蔵さんに向って、いつまでも手を合わせておったそうな。
この噂は、たちまち村人の間に広まっていった。そしてお地蔵さんは、いつしか”田植え地蔵”と呼ばれ、今では醍醐寺に、靜かに立っておるという。
お終い・・・
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