49番 御垣守(ミカキモリ) 衛士(ゑジ)の焚く火の 夜は燃え
昼は消えつつ ものをこそ思へ
大中臣能宣(オオナカオミヨシノブ)『詞花集』恋上・225
<訳> 宮中の門を警護する衛士のたくかがり火が、夜は燃え昼には消えるように、私の恋の炎も夜は激しく燃え上がり、昼は消え入るばかりに物思いに沈む日が続くことだ。(板野博行)
ooooooooooooo
夜に焚かれる宮門の篝火が昼に消えるように、我が恋の炎も夜に激しく燃え上がり、恋人に離れた昼間には思いが募るばかりで滅入ってしまう と。街灯のない時代の暗闇に、天を焦がすほどに燃え上がる炎の情景が想像されて、恋の炎の熱さが一層思われる。
作者・大中臣能宣は、伊勢神宮の祭主で、歌才にすぐれ、三十六歌仙の一人である。951年、62代村上天皇の命で“梨壷の五人”の一人として、『万葉集』の訓読や『後撰和歌集』の編纂に関わっている。家集に『能宣集』がある。
五言絶句の漢詩としました。
xxxxxxxxxxxxxxxx
<漢詩原文および読み下し文> [下平声十二侵韻]
難以控制的恋愛心 控制(コウセイ)し難き恋愛の心
衛士焚篝火, 衛士(エジ)の焚(タ)く篝火(カガリビ)は,
似人恋愛心。 人(ヒト)が恋愛(レンアイ)の心に似る。
夜燃天隠没, 夜は燃(モ)え 天(ヒル)は隠没(キエ)て,
纏綿念弥深。 纏綿(テンメン)として念(オモ)い弥(イヨ)いよ深し。
註]
難以:…しがたい。 控制:抑える。
隠没:隠れて見えなくなる。 天:昼間。
纏綿:(感情が)まつわりつく。
<現代語訳>
制御し難きは恋心
宮殿の門の衛士が焚く篝火の
人の恋する心に似ていることよ。
夜は燃えて、昼間には消えて、
我が思いは、心にまつわりついて深くなるばかりである。
<簡体字およびピンイン>
难以控制的恋爱心 Nányǐ kòngzhì de liàn'ài xīn
卫士焚篝火, Wèishì fén gōuhuǒ,
似人恋爱心。 sì rén liàn'ài xīn.
夜燃天隐没, Yè rán tiān yǐnmò,
缠绵念弥深。 chánmián niàn mí shēn.
xxxxxxxxxxxxxxxx
大中臣家は代々、伊勢神宮の祭主の家柄で、父・大中臣頼基は同祭主、神祇大副(ジンギタイフ)であった。大中臣能宣(921~991)自身、伊勢神宮祭主(973)・神祇大副となり、986年正四位下に叙位されている。
父・頼基が優れた歌人で、その影響で能宣は若いころから歌に親しみ、その才能を発揮していた。その血は能宣の孫娘・伊勢大輔(タイフ、百人一首-61番)に継がれていく。能宣は、31歳で当代歌人の代表者の一人として“梨壷の五人”(閑話休題-161)に選ばれている。
因みに“梨壷の五人”とは、各人の能力や立場に応じて選ばれ、能宣と清原元輔(百人一首-42番、閑話休題-139)が歌人の代表者、源順(シタゴウ)は和漢にわたる学識者、紀時文は能筆者、また坂上望城(モチキ)は御書所の図書責任者等から成る。
能宣は、三十六歌仙の一人に選ばれており、『拾遺和歌集』(59首)以下の勅撰和歌集に124首が入集されている。家集に『能宣集』がある。かの有名な「天徳四年内裏歌合」(960、閑話休題-132)はじめ多くの歌合せに出詠している。
実は、上掲の歌「御垣守」は、能宣の作品ではないのでは と疑問が呈されている。まず家集である『能宣集』に集載されていない。一方、私撰集の『古今和歌六帖』(970~984頃成立)に“詠み人知らず”として次の歌がある と。
御垣守 衛士の焚く火の 昼はたえ
夜は燃えつつ ものをこそ思へ(詠み人知らず)
とは言え、能宣の歌才に疑問符が付くわけではない。当時、能宣は、権門の求めに応じて屏風歌や行事和歌の専門歌人として清原元輔と双璧をなしていたようである。行事和歌に関連して次のような逸話が伝わっている。
59代宇多天皇(在位887~897)の第八皇子・敦実(アツミ、893~967)親王家の“子(ネ)の日遊び”に招かれて、次のような歌(下記)を献じた。礼儀としての招待主を言祝ぐ趣旨の歌と言えよう。(註:“子の日遊び”とは、正月の子(ネ)の日に、野に出て小松を引き抜いて、千代を祝う行事。)
能宣は、よくできたと自賛して父の頼基に提示した。恐らく父の賞賛の一声を期待していたであろう。しかし頼基は何回かこの歌を吟じていたが、突然、枕を投げつけて、「帝に招かれた折、これ以上どんな歌を詠めるというのだ」と怒鳴りつけたという。
ちとせまで かぎれる松も 今日よりは
君に引かれて よろず代や経む
[松でさえ寿命は千年と限られているが、今日からは君に引きずられて万年の
寿命となるであろうよ]
昼は消えつつ ものをこそ思へ
大中臣能宣(オオナカオミヨシノブ)『詞花集』恋上・225
<訳> 宮中の門を警護する衛士のたくかがり火が、夜は燃え昼には消えるように、私の恋の炎も夜は激しく燃え上がり、昼は消え入るばかりに物思いに沈む日が続くことだ。(板野博行)
ooooooooooooo
夜に焚かれる宮門の篝火が昼に消えるように、我が恋の炎も夜に激しく燃え上がり、恋人に離れた昼間には思いが募るばかりで滅入ってしまう と。街灯のない時代の暗闇に、天を焦がすほどに燃え上がる炎の情景が想像されて、恋の炎の熱さが一層思われる。
作者・大中臣能宣は、伊勢神宮の祭主で、歌才にすぐれ、三十六歌仙の一人である。951年、62代村上天皇の命で“梨壷の五人”の一人として、『万葉集』の訓読や『後撰和歌集』の編纂に関わっている。家集に『能宣集』がある。
五言絶句の漢詩としました。
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<漢詩原文および読み下し文> [下平声十二侵韻]
難以控制的恋愛心 控制(コウセイ)し難き恋愛の心
衛士焚篝火, 衛士(エジ)の焚(タ)く篝火(カガリビ)は,
似人恋愛心。 人(ヒト)が恋愛(レンアイ)の心に似る。
夜燃天隠没, 夜は燃(モ)え 天(ヒル)は隠没(キエ)て,
纏綿念弥深。 纏綿(テンメン)として念(オモ)い弥(イヨ)いよ深し。
註]
難以:…しがたい。 控制:抑える。
隠没:隠れて見えなくなる。 天:昼間。
纏綿:(感情が)まつわりつく。
<現代語訳>
制御し難きは恋心
宮殿の門の衛士が焚く篝火の
人の恋する心に似ていることよ。
夜は燃えて、昼間には消えて、
我が思いは、心にまつわりついて深くなるばかりである。
<簡体字およびピンイン>
难以控制的恋爱心 Nányǐ kòngzhì de liàn'ài xīn
卫士焚篝火, Wèishì fén gōuhuǒ,
似人恋爱心。 sì rén liàn'ài xīn.
夜燃天隐没, Yè rán tiān yǐnmò,
缠绵念弥深。 chánmián niàn mí shēn.
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大中臣家は代々、伊勢神宮の祭主の家柄で、父・大中臣頼基は同祭主、神祇大副(ジンギタイフ)であった。大中臣能宣(921~991)自身、伊勢神宮祭主(973)・神祇大副となり、986年正四位下に叙位されている。
父・頼基が優れた歌人で、その影響で能宣は若いころから歌に親しみ、その才能を発揮していた。その血は能宣の孫娘・伊勢大輔(タイフ、百人一首-61番)に継がれていく。能宣は、31歳で当代歌人の代表者の一人として“梨壷の五人”(閑話休題-161)に選ばれている。
因みに“梨壷の五人”とは、各人の能力や立場に応じて選ばれ、能宣と清原元輔(百人一首-42番、閑話休題-139)が歌人の代表者、源順(シタゴウ)は和漢にわたる学識者、紀時文は能筆者、また坂上望城(モチキ)は御書所の図書責任者等から成る。
能宣は、三十六歌仙の一人に選ばれており、『拾遺和歌集』(59首)以下の勅撰和歌集に124首が入集されている。家集に『能宣集』がある。かの有名な「天徳四年内裏歌合」(960、閑話休題-132)はじめ多くの歌合せに出詠している。
実は、上掲の歌「御垣守」は、能宣の作品ではないのでは と疑問が呈されている。まず家集である『能宣集』に集載されていない。一方、私撰集の『古今和歌六帖』(970~984頃成立)に“詠み人知らず”として次の歌がある と。
御垣守 衛士の焚く火の 昼はたえ
夜は燃えつつ ものをこそ思へ(詠み人知らず)
とは言え、能宣の歌才に疑問符が付くわけではない。当時、能宣は、権門の求めに応じて屏風歌や行事和歌の専門歌人として清原元輔と双璧をなしていたようである。行事和歌に関連して次のような逸話が伝わっている。
59代宇多天皇(在位887~897)の第八皇子・敦実(アツミ、893~967)親王家の“子(ネ)の日遊び”に招かれて、次のような歌(下記)を献じた。礼儀としての招待主を言祝ぐ趣旨の歌と言えよう。(註:“子の日遊び”とは、正月の子(ネ)の日に、野に出て小松を引き抜いて、千代を祝う行事。)
能宣は、よくできたと自賛して父の頼基に提示した。恐らく父の賞賛の一声を期待していたであろう。しかし頼基は何回かこの歌を吟じていたが、突然、枕を投げつけて、「帝に招かれた折、これ以上どんな歌を詠めるというのだ」と怒鳴りつけたという。
ちとせまで かぎれる松も 今日よりは
君に引かれて よろず代や経む
[松でさえ寿命は千年と限られているが、今日からは君に引きずられて万年の
寿命となるであろうよ]