一読、胸に閊(ツカ)えを覚える歌である。晩秋、錦秋の彩を添えた紅葉は散りはて、川に流れ去ることなく、川下で淀んでいる。この秋が暮れても、秋の気配は、縁(エニシ)によっていつまでも流れ去ることはないのだよ と。
「川面に敷き詰めたもみじ葉は、川の錦であるよ」と詠った能因法師(後述)とは、真逆の発想のようである。青年・実朝の胸内には、余人の計り知れない“苦悶”の重しが淀んでいたように思える。
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[題詞] 水上落葉
ながれ行く 木の葉の淀む 江にしあれば
暮れてののちも 秋は久しき (金槐集 秋・269)
(大意) 木の葉がよどんで流れぬ江であるから 秋が暮れてのちも ここには
秋が久しく残っているであろう。
註] 〇江にしあれば:“し”は強めの助詞、“江であるから”の意;
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<漢詩>
江上落葉 江上の落葉 [上平声六魚韻]
流来乱落葉, 流れ来たる乱(ラン)落葉,
行至所江淤。 行(ユキ)ゆきて至(イタ)る江の淤(ヨド)む所。
四節秋過去, 四節(シセツ) 秋 過去(ユキサ)るも,
但茲秋氣舒。 但(タダ)茲(ココ)は 秋氣 舒(ジョ)たらん。
註] 〇乱:さまざまな; 〇淤:淀む、堆積する; 〇四節:四季;
〇茲:ここに、これ; 〇舒:のびる、ゆるやか、落ち着きはらったさま。
<現代語訳>
江上落ち葉の淀んだところ
さまざまな落ち葉が流れ来って、
流れ流れて、川のさる場所で淀んでいる。
時節は変わって、間もなく秋は暮れることであろう、
だが、落ち葉の淀むこの川では、その後も、秋の気配は続くことでしょう。
<簡体字およびピンイン>
江上落叶 Jiāng shàng luò yè
流来乱落叶, Liú lái luàn luò yè,
行至所江淤。 xíng zhì suǒ jiāng yū.
四节秋过去, Sì jié qiū guòqù,
但兹秋气舒。 dàn zī qiū qì shū.
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能因法師(・988~1051?)の歌:
嵐吹く 三室(ミムロ)の山の もみぢ葉は
龍田の川の 錦なりけり (『後拾遺集』秋下・366; 百人一首69番*)
(大意) 三室の山の絢爛たる紅葉の葉は、山風で散って龍田川に集まり、川面
はまるで錦の彩である。
晩秋の頃、奈良・三室山が全山紅葉で彩鮮やかに染まっている。山風に吹かれて散った葉は、麓の竜田川に集まり、川面は錦を敷いたようで、三次元の美の世界であると詠っている。
実朝の歌の“本歌”とされる歌:
人心(ヒトゴコロ) 木の葉ふりしく えにしあれば
涙の川も 色かわりけり
(按察使兼宗 『千五百番歌合』; 『新勅撰集』 恋・)
(大意) 木の葉がしきりに落ちる川であるから、流れる水の色が変わるよう
に 人の心も盛んに言葉を交わし、縁があれば流す涙の色も変わるもの。
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