愉しむ漢詩

漢詩をあるテーマ、例えば、”お酒”で切って読んでいく。又は作るのに挑戦する。”愉しむ漢詩”を目指します。

閑話休題346 金槐和歌集  君が代に 猶ながらえて 鎌倉右大臣 源実朝

2023-07-10 09:12:08 | 漢詩を読む

『金塊集』(定家所伝本)末尾に並ぶ一首である。掲歌の主旨は、「長生きして、君のお陰を蒙り、よき生涯を送りたい」ということで、その [詞書]から推して自らの長生を“慶賀する”歌と読める。関東のトップ・将軍とは言え、いかにも不遜なさまに見える。この点、後で触れます。 

 

ooooooooo 

  [歌題] 慶賀の歌 

君が代に 猶ながらえて 月きよみ 

  秋のみ空の かげをまたなむ  (金塊集 660) 

 (大意) 君の世に なお一層長生きして 月の輝く秋空の下 君のお陰を蒙り

  つゝ よきこの世を送っていきたいものである。  

  註] 〇猶ながらえて:一層長生きして; 〇月きよみ:月きよき; ○かげ

  をまつ:“君のお陰を蒙って”よき世を送りたい という気持ちを

  含めている。 

xxxxxxxxxx 

<漢詩> 

   著懐         懐(オモイ)を著(アラワ)す   [上平声四支韻] 

君代福所綏, 君が代 福の綏(ヤス)んずる所, 

曰余增鬢絲。 曰(ココ)に余(ワレ) 鬢絲(ビンシ)を增(マ)さん。 

皎皎月秋宙, 皎皎(コウコウ)として月が輝く秋の宙(ソラ), 

欲活蒙受斯。 斯(コレ)のお陰を蒙受(コウム)り 活(イキ)ていかんと欲(ホ)っす。 

 註] 〇綏:やわらげ治める、安定させる; 〇曰:ここ-に:語気を強める助

  詞; 〇鬢絲:鬢の毛が薄く、白くなること; 〇皎皎:白く光り輝く

   さま、清く明らかなさま; 〇宙:天空、そら、無限の時間; 

   〇蒙受:こうむる; 〇斯:これ、ここでは前の句で述べられたこと。

 ※ 転句の“皎皎月秋宙”は “君”、すなわち“後鳥羽帝”を意味する。 

<現代語訳> 

  想いを述べる 

君が代は よく治まる、安寧の世、 

此処にわたしは 鬢の白さがさらに増すまで生き長らえよう。

月が皎皎と清く輝く秋の空、

その恩恵を受けつゝ よきこの世を送っていきたいものである。

<簡体字およびピンイン> 

   著怀         Zhù huái 

君代福所绥, Jūn dài fú suǒ suī

曰余增鬓丝。 yuē yú zēng bìn .   

皎皎月秋宙, Jiǎojiǎo yuè qiū zhòu,  

欲活蒙受斯。 Yù huó méng shòu .  

ooooooooo  

 

鎌倉右大臣 源実朝の「不遜なさま」か? 否! この混乱は、『金塊集』伝本間の編集上の齟齬(?)によると推察されます。

 

伝本には、「定家所伝本」(編集者:実朝または定家、以下“定家本”)と、後の「貞享四年本」または「柳営亜槐本」(編集者:定説なし、以下“貞享本”)と呼ばれる2系統の伝本があり、その部立てや付番など、編集の面で違いがあります(閑話休題311:歌人・実朝の誕生-6 参照)。

 

掲歌は、定家本中、付番“660”で“雑”部に属しており、その[歌題]は「述懐歌」であり、“賀”ではありません。一方、貞享本では、付番“672”で、“雑”部中、[歌題]は上記のように“慶賀の歌”である。問題の発端はここにあるようである。

 

貞享本で“慶賀の歌”として括られた歌は6首あり、その2番目が掲歌で、1番目の歌は、付番“671”の次の歌である。これは定家本中、“賀”部、付番“353”の歌である(この歌の詳細および漢詩化については 閑話休題326 参照)。 

 

千々の春 万(ヨロズ)の秋に ながらえて 

  月と花とを 君ぞ見るべき 

      (金槐集 賀・353; 玉葉集 巻七1049) 

 (大意) 千年も万年も生き永らえて 君は月と花とを数え切れぬほど何回も

  見るであろう。

 

この歌は、明らかに“君”・‘後鳥羽上皇の長寿、また上皇の治世が千載も続くことを願い、慶賀する歌’であり、“慶賀の歌”のトップに相応しい歌と言える。

 

さて振り返って、掲歌は、本来、定家本・“雑”部、“660”番の歌であり、勿論、“自らの長生を慶賀する”主旨の歌ではなく、“君のお陰を蒙りたい” とする立ち位置の歌である。定家本では、後鳥羽院に関わる歌4首の中の一首として、纏めて置かれていた。

 

以上を勘案し、貞享本の編集者の意図を酌むに、“雑”部で“慶賀”に最も相応しい歌として、先ず定家本“353”番を選び筆頭に置いた。次いで、2番目に“君”・後鳥羽院を尊仰する実朝の想いが最も強く表現されていると思われる歌“660”番を配した と。

 

すなわち、掲歌は、単独で読むべき歌ではなく、先行歌と合わせて読んで初めて、その奥行きが理解でき、さらに先行歌での“君”を慶賀する想いが一層強調されるように思われる。貞享本の編集者の意図は、そこにあったのではなかろうか。

 

話は変わって、掲歌の参考歌として次の歌が挙げられている。

 

相生の 小塩の山の 小松原 

  今より千代の 陰を待たなむ (大弐三位 『新古今集』 巻七・賀・727) 

  (大意) 二つ並んで生えている小塩山の小松原の小松が、これ以後千年までも

   栄え茂る、その影を待つとしよう。

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