愉しむ漢詩

漢詩をあるテーマ、例えば、”お酒”で切って読んでいく。又は作るのに挑戦する。”愉しむ漢詩”を目指します。

閑話休題234 菅原道真『新撰万葉集』1

2021-10-25 09:53:18 | 漢詩を読む
<上巻秋1> 
秋風に ほころびぬらし 藤袴 
    つづりさせとて きりぎりすなく 
         在原棟梁(ムネヤナ) (古今集 19) 
 <訳>秋風に吹かれて藤の袴が綻(ホコロ)んだようだ、(はしたないから) 
  “綴(ツヅ)らせよ(縫い合わさせよ)”とキリギリスが鳴いているよ。 

<万葉仮名表記> 

 秋(あき)風(かぜ)丹(に)綻(ほころび)沼(ぬ)良(ら)芝(し)藤袴(ふじばかま) 
    綴(つづり)刺(さ)世(せ)砥(と)手(て)蛬(きりぎりす)鳴(なく)  
    
ooooooooooooo 
藤袴は秋の七草のひとつ。ある日、川岸で藤色の袴を穿いた可愛い少女を見かけた。翌朝、その少女が立っていた所にはきれいな花が咲いていた。その花を“藤袴”と呼ぶようになった との伝説があるようです。中国語では“蘭草”・“香草“。

菅原道真編『新撰万葉集』、上巻秋の部 一番目の歌である。季節柄 最も相応しい歌と言えようか。『新撰万葉集』では、万葉仮名表記の歌と七言絶句の漢詩(下記)が併記されています。向後、折に触れ、同書の漢詩を取りあげ、読み解き・鑑賞していくつもりです。

xxxxxxxxxxxxxxx  
<漢詩>    [下平声8庚韻] 
商颷颯颯葉軽軽、 商颷(ショウヒョウ)颯颯(サツサツ)として葉 軽軽(カルガル)し、 
壁蛬流音数処鳴。 壁 蛬(キリギリス)の流音 数処に鳴く。 
暁露鹿鳴花始発、 暁露(ギョウロ) 鹿鳴いて 花始めて発き、 
百般攀折一枝情。 百般 攀(テビ)きて折る一枝の情。
  註] 
  商颷:秋風; 颯颯:風の吹き寄せる音; 蛬:こおろぎ、キリギリス。古代に 
  “キリギリス”と言っていたのは、今日の“コオロギ”、両者は生物学的には異なる;
  百般:あれこれ; 攀:手で引く。  
<漢詩の現代語訳> 
 秋風が さアッさアッと吹きわたり 木の葉が揺れて、 
 外のあちこちでキリギリスが鳴いている。 
 朝露が降り、鹿が友を求めて鳴き、花が咲き始めた、 
 どの花と言わず、枝を引き寄せ、ひと枝手折りたくなるよ。  

<簡体字およびピンイン>  
  商颷飒飒叶轻轻, Shāng biāo sà sà yè qīng qīng. 
  壁蛬流音数处鸣。 bì qióng liú yīn shù chǔ míng.  
  暁露鹿鸣花始発、 Xiǎo lù lù míng huā shǐ fā, 
  百般攀折一枝情。 bǎibān pān zhé yīzhī qíng. 
xxxxxxxxxxxxxxxx  

歌の作者・在原棟簗(ムネヤナ/ムネハリ、850?~898)は、在原業平(百人一首17番、閑話休題135)の長男である。中古三十六歌仙の一人。古今集に4首、後撰集に2首、続後拾遺集に1首入集されていると。最終官位は従五位上・左衛門佐。

当歌について:初秋、真っ青に澄み切った空の下、日差しは肌に刺すようで痛く、まだ汗ばむ。黄昏のころになると、秋風に揺れる木の葉に合わせて、チリリリリ…チイチイ と草むらのあちこちから蟋蟀がハモル。まだ多くの虫たちの合唱は聞けない。

棟簗は、蟋蟀の鳴き声を“綴(ツヅ)らせよ(=縫い合わさせよ)”と言っているように聞きとって、“みっともなく袴が綻んでいるのだろう”と、詠んでいる。“きりぎりす”の鳴き声から人が着る “袴”、さらに秋の花“藤袴”へと想像が広がる。この歌の妙味と言えよう。ある種“遊び”であるが “袴”を掛詞として歌の物語世界を広げています。

ところで、万葉仮名表記中、“蛬”に“きりぎりす”の振り仮名が付されている。漢和辞書によれば、“蛬(キョウ)”の意は“こおろぎ”とある。同様に“蟋蟀(シッシュツ)”も“こおろぎ”の意である。万葉時代にあっては、今日の“こおろぎ”を“きりぎりす”と呼んでいた と。

中国で“こおろぎ”の別名に、秋に鳴く声が、“冬着の機織りを促すように聞こえる”ところから“促織(ソクショク)”とも呼ばれる。この意を汲めば、蛬の鳴き声から“やがて冬を迎える故、その準備に綻んだ袴をしっかり縫い整えておけよ”と謳っているように聞いたともとれる。

道真漢詩について:<現代語訳>から明らかなように、秋の情景の種々相を挙げ、咲き始めた花に感興を催し、一枝手折りたいものだとその“情”を詠っている。和歌との関連で推察するなら、“一枝手折りたい”花は藤袴であろうか。

『和名抄』に、萩の花は、雄鹿が妻を求めて鳴く頃に開き始めることから、萩を一名“鹿鳴草”という と。漢詩中、承句”鹿鸣花始発”から、“一枝手折りたい”花は、萩の花である可能性が高い。漢詩の“こころ”は、“咲き始めた萩の花”を愛でるところにあるようである。

和歌の世界では、後年、平安末・新古今調のころ、盛んに“本歌取り”の作歌法が応用され、名歌が生まれた。すなわち、古歌など既存の歌の語句や趣向を取り入れて、新しい歌を作ることである。道真漢詩は、棟梁和歌を元歌にした“本歌取り”の詩に思える。

『新撰万葉集』について:『菅家萬葉集』とも称される、菅原道真撰によるとされる私撰和歌集である。上・下の2巻からなり、上巻は893年、下巻は913年成立。各巻とも春・夏・秋・冬・恋の五部からなる。歌毎に万葉仮名表記の和歌とともに七言絶句の漢詩が添えられている。

和歌は、主に宇多朝(887~897)時の「寛平御時后宮歌合(カンピョウノオントキキサイノミヤウタアワセ)」(成立893年以前)や「是貞親王歌合(コレサダノミコノイエノウタアワセ)など大規模な歌合を資料として撰されている と。『萬葉集』以来初めての和歌の撰集とされる。

本集中、和歌と漢詩と併記されていることから、直感的に漢詩は和歌の漢訳であろうと想像れる。事実、本集のある解説書では「和歌の“訳詩”」と記載されている。筆者は、道真漢詩は、和歌で言う“本歌取り”の詩であろうとの感触を持っているが。

『新撰万葉集』には、上巻119首、下巻134首、計253首が収められています。向後、道真漢詩が“訳詩”または“本歌取り”のいずれ?の点も念頭に置きながら、『新撰万葉集』の歌・漢詩を拾い読み、鑑賞していこうと心積もりしております。

本シリーズ「菅原道真-新撰万葉集」を書き進めるに当たって、主に次の2書を参考としています。
・『新撰万葉集』 (京都大学蔵) 臨川書店、1979刊
・高野平『新撰万葉集に関する基礎的研究』風間書房、1970刊

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 閑話休題 233 飛蓬-140 コ... | トップ | 閑話休題235 菅原道真2 『... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

漢詩を読む」カテゴリの最新記事