愉しむ漢詩

漢詩をあるテーマ、例えば、”お酒”で切って読んでいく。又は作るのに挑戦する。”愉しむ漢詩”を目指します。

閑話休題 140 飛蓬-47 小倉百人一首:(紀 貫之) 人はいざ

2020-04-02 09:53:41 | 漢詩を読む
(35番) 人はいざ 心も知らず ふるさとは
  花ぞむかしの 香ににほいける
紀 貫之
<訳> あなたは、さてどうでしょうね。他人の心は分からないけれど、昔なじみのこの里では、梅の花だけがかつてと同じいい香りをただよわせていますよ(小倉山荘氏)

久しぶりに訪ねて宿を請うと、主人は「長らく見えなかったねえ、心変わりしたのでは?」と問う。「あなたこそどうでしょうか?」と問い返しながら、梅の一枝を折って、上の歌を添えて主人に手渡します[詞書(コトバガキ)から]。

宿の主人は、男性それとも女性?上の歌を漢詩化するに当たって最も難儀した一点です。問題意識は持ちつつ、ロマンを感じて、女性かな?と想像して進めました。下に漢詩を示しました、ご参照ください。

xxxxxxxxxxxxxxxx
<漢詩原文と読み下し文>  [下半声 九青韻] 
...寄久別重逢宾館主人
......序 隔了好久拜訪長谷寺後,在一座賓館借了一夜宿。主人貧嘴薄舌地説:这座賓館總是
......在站等着您,您不是变了心吗?我立刻折一柯梅花親手交给她,附上着這首詩.

住客焉知人性霊,住客(ジュウカク) 焉(イズ)くんぞ人の性霊(セイレイ)を知らんや、
蘇生旧景好音聴。旧景(キュウケイ)蘇生(ソセイ)して 好音(コウイン) 聴(キ)こゆ。
暗香満院如昔日、暗香(アンコウ) 院(イン)に満つること昔日(セキジツ)の如し、
折遺一柯当馥馨。折(タオ)って遺(オク)る一柯(イッカ) 馥馨(フクケイ)に当(ア)てて。
...註]
......久別重逢:久しぶりに再会する。   住客:宿泊客。          
......焉:どうして…だろうか。      性霊:人の心。
......好音:小鳥のきれいな鳴き声。
......暗香:どこからともなく匂ってくる香り、多く梅の香りをいう。
......柯:草木の枝や茎。
<現代語訳>
 久しぶりに再会した旅館の主人に寄す
.......序 久しぶりに初瀬・長谷(ハセ)寺に参詣した折、かつてよく利用した旅館に泊まった。
.......久しぶりに再会した(女?)主人は、いたずらっぽく私に言った:宿は昔のまま
.......変わることなく、あなたの来訪を待っていましたよ。あなたは心変わりしたのでは
.......ないですか? 私は即座に梅の花一枝を手折って、この詩を添えて、主人に手渡した。

宿泊客(私)が、人(あなた)の心など知る由もありませんが、
小鳥の囀りを聴くにつけ、昔の情景が蘇る、此処はわたしの心のふるさとです。
昔と変わらずに、庭いっぱいほのかな香りが漂っている、
香草の代わりに梅の一枝を手折って贈ります、梅の花同様、私に心変わりはありませんよ。

<簡体字およびピンイン>
...寄久別重逢宾館主人 Jì jiǔbié chóngféng bīnguǎn zhǔrén
......序 隔了好久拜訪長谷寺後,在一座賓館借了一夜宿。主人貧嘴薄舌地説: 
......这座賓館總是在站等着您,您不是变了心吗?我立刻折一柯梅花亲手交给 
......她,附上着这首诗.

住客焉知人性灵、 Zhù kè yān zhī rén xìnglíng, 
苏生旧景好音听。 sūsheng jiù jǐng hǎoyīn tīng.
暗香满院如昔日、 Ànxiāng mǎn yuàn rú xīrì,
折遺一柯当馥馨。 zhé wěi yī kē dàng fùxīn.
xxxxxxxxxxxxxxxx

上の紀貫之の歌に対して、宿の主人は次のように返歌した と:

花だにも 同じ心に 咲くものを 植えたる人の 心知らなん
.......花でさえ昔と同じ心のままに咲きますのに、ましてそれを植えた人の心を
.......覚えていてほしいものです。(板野博行)

このように即座に返歌できる宿の主人のセンスと力量も並みではないと思われます。上掲の歌の詞書(コトバガキ)に“この家の主人”とありますが、男性か女性かの情報はありません。

これらの歌の場合、歌を送る、それに対して歌を返すという遣り取りを通して、両人の“響きあう”心が感じられます。これは男性同志とは考え難い“響きあい”のように思えますが、如何でしょうか?

このように、物事を明確にすることなく、曖昧な情景を詠う。解釈は読者の感覚に任せる、読者の“読む”自由度の幅を広くする という意味では面白い技法かと思われる。“古今調の雅び”といわれる“歌風”と言えるのでしょうか。

この歌の中で、“主人”は重要な存在でありながら、一方、本質的に曖昧にするという歌風にあり、漢詩にするには難儀な歌と言えます。今回は女性と想定して訳出しをしました。このように自分の“読み/感想”で翻訳するという点、葛藤を覚えることではある。

歌の理解に役立つであろう背景、例えば季節感を表す自然現象など、を補足して詩を仕上げることは許されると思われる。今回の場合、元歌が技法の一つとして敢えて“曖昧”としてある点を“感想”を雑えて仕上げた点、検討すべき宿題とします。

作者・紀貫之(868?~945)について簡単に触れます。平安時代前~中期の歌人・貴族である。905(延喜5)年、第60代醍醐天皇(在位897~930)の命により、初の勅撰和歌集である『古今和歌集』の撰に当たった。

特筆すべきは、仮名で書かれたその序文「仮名序」の執筆である。後代の文学に多大な影響を及ぼした歴史的な歌論とされている。三十六歌仙の一人で、『古今和歌集』(101首)以下勅撰和歌集に435首収められている と。

今一つ大きな功績は、仮名による散文の『土佐日記』の執筆が挙げられる。60歳過ぎて土佐守の任を終え、帰洛する55日間の旅日記である。仮名書きだからこそできる諧謔(ダジャレの類)がよく出てくるという。例えば、「船旅なれど、“馬のはなむけす”」とか。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 閑話休題 139 飛蓬-46 小倉... | トップ | 閑話休題 141 飛蓬-48 小倉... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

漢詩を読む」カテゴリの最新記事