愉しむ漢詩

漢詩をあるテーマ、例えば、”お酒”で切って読んでいく。又は作るのに挑戦する。”愉しむ漢詩”を目指します。

閑話休題 142 飛蓬-49 小倉百人一首:(小野小町)  花の色は

2020-04-17 16:10:06 | 漢詩を読む

(9番)花の色は うつりにけりな いたづらに
わが身世にふる ながめせしまに
        小野小町『古今和歌集』春・113
<訳> 美しい桜の花の色も、春の長雨が降っていた間にすっかり色あせてしまいました。私の美貌も、物思いにふけりながら世を過ごしている間に、ずいぶん衰えてしまったものです。(板野博行)

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しとしとと春雨が降り続いている中、所在なげに戸外に眼を遣って、雨を見ながら物思いに耽っています。このところ桜の花が色あせたようだ。いや我が身も年経て、だいぶ衰えたのかな…と、恋だの世の事など、来し方に想いを巡らすのである。

音に聞く絶世の美女・小野小町の歌に挑戦しました。掛詞や縁語を上手く活かした難解な歌です。“三十一文字で多くを語る”見本の歌と言えるのではないでしょうか。七言絶句の漢詩にぴったり嵌ったように思われます(下記をご参照)。

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<漢詩原文および読み下し文>  [上平声一東韻]
 婦女有煩悩    婦女の煩悩
花彩惟徒褪色顕, 花彩(カサイ)惟(タダ)徒(イタズラ)に褪色(タイショク)顕(アキ)らかにして,
淫雨不断下来中。 淫雨(インウ) 断えず下(フ)り来(キ)たる中(ウチ)に。
予身女色略衰減, 予(ヨ)が身 女色(ジョショク)略(アラマシ)衰減(スイゲン)す,
往事沈思尚未窮。 往事(オウジ) 沈思(チンシ)すること尚(ナオ)未だ窮まらざるに。
 註」
  花彩:花の彩り。       淫雨:長雨。
  予:私。           女色:女の色香。
  衰減:次第に衰える。     沈思:深く考え込む。

<現代語訳>
 女性の悩み事
花の色はただむなしく褪色が明らかである、
春の長雨が絶えず降りしきる間に。
気がつくと、わが身の色香もほぼ衰えてしまったようだ、
来し方をあれこれと思いめぐらしているうちに。

<簡体字およびピンイン>
 妇女有烦恼    Fùnǚ yǒu fánnǎo
花彩惟徒褪色显, Huācǎi wéi tú tuìsè xiǎn,
淫雨不断下来中。 yínyǔ bùduàn xiàlái zhōng.
予身女色略衰减, Yǔ shēn nǚsè lüè shuāijiǎn,
往事沉思尚未穷。 wǎngshì chénsī shàng wèi qióng.
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百人一首の漢詩化を始めたころ、作者や歌に対する興味が最も強かった故に、先ず小野小町を選び、手掛けたのでした。しかしその内容を読み解くことが難儀で、お手上げ、遠ざけてきた“鬼門”の一首となっていました。

難儀の元は駆使された“技巧”にあります。この和歌では、長雨/眺め、降る/経る(老いる)とそれぞれ“掛詞”の関係にあり、さらに降る/経るは、それぞれ長雨/眺めの“縁語”でもある。今、やっと整理でき、上掲の七言絶句となりました。

和歌の中での“色”は、花の“色”と人の“容貌”と両者に関わる意味を含んでいます。その意を活かすため、漢詩では敢えて花の“褪色”と人の“女色”と、“色”の文字を再度用いています。本来、一文字を繰り返し用いることは“法度”なのですが。

この和歌の特徴として、結論を先ず述べ、説明的な文が後に続くという“倒置法”が採られています。この技法は、読者に訴える衝撃度がより大きいと思われる故、漢詩でも採用しました。

今一つ、漢詩について触れると、近代詩・絶句では1(起)、2(承)および4(結)句の最後の文字が韻を踏む(脚韻)という決まりがあります。上掲の漢詩では、2(承)および4(結)句は韻を踏んでいますが、1(起)句は、韻から外れています。

これは「踏み落とし」と言われ、1(起)および2(承)句が“対句”の場合許されるきまりです。花彩/淫雨(名詞)、惟徒/不断(副詞)、褪色顕/下来中(動詞・形)と,文法的に同じ働きの言葉が同じ順番で相対している場合、許されるきまりなのです。

作者・小野小町について触れます。やや伝説的存在のお人であるが、生没年不詳、また親の名前も不明で、生前の逸話もほとんど伝わっていないようである。祖先は、有力氏族であったようで、多くの偉人を輩出しています。

607年遣隋使として随に派遣された小野妹子、百人一首(11番)にも名を連ねる参議小野篁(802~852)、能書家の小野道風(894~966)等々。ただ小野篁の参議を最後に要職に就く人は出ていないようです。

小野小町 と言えば、絶世の美女の代名詞。実際にどうであったかは定かではないようです。美女とされた元は、紀貫之の『古今和歌集』の仮名序に、「小野小町はいにしえの衣通姫(ソトホリヒメ)の流なり」との記載に由来するらしい。

衣通姫は、“肌の美しさが衣を通して輝いていた”という美女であった とか。16代仁徳天皇の第4皇子、後の19代允恭天皇の后の妹。天皇が、后を差し置いて、血道を上げたという、記紀時代のお人である。..

小野小町という人物が実在したことは、実在の人物との贈答歌が残っていることから明らかであり、850年前後に活躍したと思われる。文屋康秀(?~885?)と恋仲にあって、歌の遣り取りをしたことは先に紹介しました(閑話休題127参照)。

ある日小野小町は、石上寺(イソノカミデラ)(現天理市にあった)に詣でたが、日が暮れて寺に泊まることにした。そこには僧正遍照(816~890)が居ることを知り、試してみようと歌を贈り、次のようなやり取りがあった(小倉山荘氏)。

小野小町の贈歌:
岩の上に 旅寝をすれば いと寒し 苔の衣を われにかさなむ
.........岩の上に旅寝をしているので寒くてたまりませんわ、あなたの苔の衣をわたしに
.........貸してくださいよ。[岩の上=石上、その縁語・苔から“苔の衣(僧衣)”]

僧正遍照の返歌:
世をそむく 苔の衣は ただ一重 かさねばうとし いざ二人寝む
.........出家したわたしの粗末な衣は一重しかありませんが、貸さないのも失礼ですから 
.........さあ二人で寝ましょうか。[一重と重ね/貸さね のシャレ]

いずれの歌も『後撰和歌集』収載。冗談には冗談で返す。遍照も生臭坊主の面目躍如。(僧正遍照については「閑話休題128百人一首-12番」をご参照下さい。)
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