歳の暮れ、母の乳房を吸っている幼子が愚図ついている場面に出くわし、ともに泣いてしまった としています。涙を流して一緒に泣いているということではないでしょう。嬰児の泣き声についほだされて、胸が熱くなってきたということではないでしょうか。
実朝は、トップにある為政者としては珍しく(?)、庶民、弱い立場にある世人に目を向けた歌を多く遺しています。この歌も対象は庶民の親子でしょう。でなくば、“乳母”がさっさと愚図つく子を連れていき、あやして治めたことでしょうから。
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[詞書] 歳暮
乳房吸ふ まだいとけなき みどり子の
共に泣きぬる 年の暮れかな (金槐集 冬部・349)
(大意) まだあどけない 乳飲み子が 母の乳房に吸い付きながら泣いている、つい貰い泣きするこの年の暮れであるよ。
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<漢詩>
同情嬰児啼哭 嬰児が啼哭(ナク)のに同情す [上平声一東韻]
天真嬰在母懷中, 天真(アドケナ)き嬰(アカゴ) 母の懷中(カイチュウ)に在り,
吮母咂兒臉頰紅。 母の咂兒(チブサ)を吮(ス)って 臉頰(ホオ)は紅いに。
不覚為何開始哭, 為何(ナニユエ)か覚(オボエ)ず 哭(ナ)き開始(ハジメ)た,
灑同情淚此年終。 灑同情淚(モライナキ)している 此の年の終(クレ)である。
註] 〇天真:あどけない、無邪気である; 〇吮:吸う; ○咂兒:乳房;〇臉頰:ほお; 〇灑:こぼす、こぼれる。
<現代語訳>
泣いている幼子に貰い泣き
あどけない嬰児が 母の胸に抱かれて、
乳房を吸って ほっぺが紅に染まっている。
何故か知らないが、泣き出したよ、
つい貰い泣きしている この年の暮れである。
<簡体字およびピンイン>
同情婴児啼哭 Tóngqíng yīng'ér tíkū
天真婴在母怀中, Tiānzhēn yīng zài mǔ huái zhōng,
吮母咂儿脸颊红。 shǔn mǔ zā er liǎnjiá hóng.
不觉为何开始哭, Bù jué wèihé kāishǐ kū,
洒同情泪此年终。 sǎ tóngqíng lèi cǐ nián zhōng.
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藤原定家撰の『百人一首』では、渚で小舟を操る海女が主題の歌:「世の中は 常にもがもな 渚こぐ 海女の小舟の 綱手かなしも」が取り上げられていました。この歌の漢詩訳版は、すでに報告済みです。
『百人一首』については、本blogで連載してきましたが、『こころの詩(うた) 漢詩で詠む百人一首』(文芸社、2022)として、出版できました(文末参照)。特に、万葉から新古今期に至る300余年の歴史の流れの中での“歌風”の変遷についてもその概略を追ってあります。興味のある方は覗いて見てください。
歌人・源実朝の誕生 (13)
源光行の著した『蒙求和歌』とは、『蒙求』596句の中から251句を選び採り、それらの表題(例. 孫康映雪)と、その内容説明文としての【説話文】およびそれを基に詠われた【和歌】を添えた体裁の著書です。一例を示します:
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061 孫康映雪 雪
【説話文】 孫康、家マズシクシテ、油ナカリケレバ、映雪、書を読ミニケリ。少(ワカ)カリシ時、小人ニマジワリアソブ事モナク、文ニノミ心ヲソメケル。後ニ、御史大夫ニイタリニケリ。
【和歌】
ヨモスガラ スダレヲノミゾ カカゲツル フミシルニハノ ユキノトモシビ
[註] 〇ふみ:“踏み”と“文”とを掛ける。
[解説] 一晩中、簾だけをまくり上げていた。踏んでいた庭の雪を灯火として文章を読む。
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表題「孫康映雪」の頭に置いた数字は、『蒙求和歌』中の付番、冬の“雪”は、四季に分類された句について、その主題を示唆する語として付されている。【和歌】の部の[註]および[解説]は、参照した著書の読者のための記述で、実朝に渡された『蒙求和歌』中にはないものと推察します。
参考までに、『蒙求』で、「孫康映雪」との対句である「車胤聚蛍」についてみると、次のようである。【説話文】は、大略、類似しているため省略します。
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030車胤聚蛍 蛍
【和歌】
ヒトマキヲ アケモハテヌニ アケニケリ ホタルヲトモス ナツノヨノソラ
[解説]一巻を開き終わらないうちに明けてしまったのだなあ。蛍を灯火がわりにした夏の夜の空。
.............................
【説話文】と【和歌】を対照してみると、「孫康」では、冬の“雪”、“灯り”および“ふみ”、「車胤」では、夏の“蛍”および“灯す”等々、キイワードを活かして【和歌】に至る繋がり、すなわち、主題やキイワードから連想を膨らませて、新しい歌へと発展させている様子が読み取れます。
表題の付番から解るように、『蒙求』では対句として隣り合わせてあった2句が、『蒙求和歌』では遥かに離れて置かれています。それは後者では、各句をその内容に応じて、日本の勅撰八代集の分類にあわせて、春・夏・秋・冬・恋・祝・羇旅……等、14部に部立てし、その順に配列されているためです。
『蒙求』では、既述の通り、「平水韻目表」に従い纏められた8句の“塊”を一組として配列されている。ただその“塊”の配列順序は、次句の韻を決めるル-ル (?) に従い、「切韻(セツイン)によって決められた韻字」の順で配列されている と。その具体的な意味は筆者の理解の外にあり、…… (Ww!)。
いずれにせよ、『蒙求』では、あくまでも、 “文字”を基礎にした配列・構成となっている。対して『蒙求和歌』では、その内容によって分類した4字句を、四季に比重を置いた八大集の部立てに従った配列となっている。
お国柄、文字を発明した中国、対して四季により生活が大きく影響される日本。『蒙求』および『蒙求和歌』について、構成する句の配列の違いが、お国柄の違いを反映しているようで、興味をそそられます。
『蒙求和歌』も、やはり写本が“万”とあるようである。大きく片仮名書き本と平仮名書き本があり、序文(片仮名序および真名序)および跋文(バツブン、あとがき)等、書籍として整っているのは片仮名書き本であり、それが“精選本”であろうとされています。上で片仮名表記を例示した理由でもあります。
参考文献:(『「蒙求和歌」校注』 章剣 著、2012、渓水社)
付記] 最新刊の『こころの詩(うた) 漢詩で詠む百人一首』:
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