この歌を想像させる現実の情景にやがて遭遇するのではないでしょうか。花の開いた梅の枝に雪が降りかかり、花と雪と見分けつかなくなってしまう。雪も含めて“花”と見て、自然の美の世界として愛でるか、“花”を鑑賞したいのに、と“雪”を恨むか。
漢詩の世界では、しばしば“雪”を“天花”と表現します。此処でも借用させてもらいました。[詞書]から、実朝は、屏風絵を見て歌を作っています。一枚の絵の“静”の世界から、“天花”が舞う“動”の世界へと引き込まれてしまう歌です。
ooooooooooooo
[詞書] 屏風の絵に、梅花に雪のふりかかるを
梅の花 色はそれとも 分かぬまで
風にみだれて 雪はふりつゝ
(『金槐集』巻之上・春・12;続後撰集 巻一春上・25)
(大意) 梅の花は咲き乱れている。梅の花は真っ白であり、梅の上に降る雪
もまつしろである。いづれが梅かいづれが雪かみわけもつかない。
そして雪は風に散り乱れて降りつゞくのである。
xxxxxxxxxxxxxxx
<漢詩>
分不清花雪 花と雪 分清(ミワケ)ならず [上平声十灰-四支通韻]
肯定梅枝花盛開, 肯定(カナラズヤ)梅の枝 花 盛開(セイカイ)ならん,
天花恢恢大円馳。 天花(テンカ) 恢恢(カイカイ)たる大円(ダイエン)を馳(ハ)す。
令人失法分清兩, 人を令(シ)て 兩(フタツ)の花を分清(ミワケ)る法を失わめるに,
更尙乱風下雪滋。 更尙(ナオサラ)に乱風 雪の下(フ)ること 滋(シゲ)し。
註] 〇肯定:きっと、必ずや; 〇天花:雪; 〇恢恢:非常に広大なさま; 〇大円:大空; 〇分清:はっきりと見分ける; ○兩:梅花と天花(雪); 〇滋:ふえる、増す。
<現代語訳>
梅の花と雪が見分けがつかない
きっと梅の枝には真っ白な花が満開になっているであろうが、
広大な大空には雪が舞っている。
共に真っ白な梅花と雪と見分けが付かなくなっており、
それでもなお風は乱れ吹き、降雪は酷(ヒド)くなっているよ。
<簡体字およびピンイン>
分不清花雪 Fēn bù qīng huā xuě
肯定梅枝花盛开, Kěndìng méi zhī huā shèng kāi,
天花恢恢大圆驰。 tiān huā huī huī dà yuán chí.
令人失法分清两, Lìng rén shī fǎ fēnqīng liǎng,
更尙乱风下雪滋。 gèng shàng luàn fēng xià xuě zī.
ooooooooooooo
掲題の実朝の歌は、万葉集および古今和歌集にある次の歌に影響を受けたのであろう とされています。
梅の花 枝にか散ると みるまでに
風に乱れて 雪ぞ散りける (忌部黒麻呂(イムベノクロマロ)『万葉集』 巻八)
(大意)梅の花が枝から散るのかと思えるほどに、風に乱れて雪が降ってくる。
梅の花 それともみえず 久方の
天霧(アマギ)る雪の なべてふれれば (柿本人麻呂(?)『古今和歌集』巻六)
(大意) 梅の花か雪か区別がつかない。大空を霧のようにかき曇らせる雪が
一面に降っているので。
歌人・源実朝の誕生 (12)
源光行は、1204年、13歳の実朝のために、歌の教材として『蒙求(モウギュウ)和歌』、『百詠和歌』および『楽府(ガフ)和歌』3部作を著述して用意した。残念ながら『楽府和歌』は、散逸して現存しないということである。
翌1205年には、実朝は「和歌12首を詠む」と『吾妻鏡』に記されており、DNAもさることながら、その師や教材を含めた“教育機関?”の効果は、絶大であったと思える。その教材・『蒙求和歌』および『百詠和歌』について、紐解いてみたい。和歌への理解、翻訳に参考になること大では と期待するからである。
まず、『蒙求和歌』。その基になる書物は、中国・唐代に、李瀚(リカン)によって著された『蒙求』である。“蒙求”とは、易経の中の一句「童蒙求我 (童蒙我に求む)」(“蒙”は“無知な”という意味で、童蒙とは幼い童(ワラベ)のこと)に拠る命名である と。李瀚については、ほとんど何も知られていないようである。
『蒙求』は、幼童用の教科書で、中国・上代から南北朝までの有名人の事跡や逸話を子供に解りよいように簡単に紹介し、人名と事跡を4字句・一句にまとめ、対称的な2句を対として、覚えやすいように連ねたものである。総数596句からなっている。平安時代に日本に伝わり、以後広く利用されたようである。
例を挙げると、「孫康(ソンコウ)映雪193,車胤(シャイン)聚螢(シュウケイ)194。」(肩数字は、『蒙求』中、順番を示す) 。孫康および車胤は、ともに家が貧しくて油が無く、書物を読むのに、それぞれ、灯りとして雪および蛍を利用して勉強に励み、後に大成した と。両句は「蛍雪の功」として語られる通りである。
一方、『蒙求和歌』とは、『蒙求』596句から半数少々の251句を選び、各句の内容を「説話文」として紹介したのち、その内容と何らかの関連が示唆されるような和歌を作り、添えた書物である。その詳細は改めて紐解きます。
『蒙求』の内容をいま少し覗いてみます。596句は、一塊8句の集合体(下記例)が順次繋がった形となっている。最も特徴的なことは、偶数番目の句の4文字目(赤)が、同一韻、ここでは、“下平声八青”韻で統一されていることです。
49孫康映雪193,車胤聚螢194。李充四部195,井春五經196。
50谷永筆札197,顧愷丹青198。戴逵破琴199,謝敷應星200。
[参考] 螢yíng、經 jīng、青qīng、星xīng
すなわち、『蒙求』は、ある韻で統一された対句4つからなる8句の塊が順次繋がった、596句(2,384字)からなる “ながーい長い一首の詩” である ということである。
李瀚は、如何なる意図をもって句を並べ、繋いでいったか、興味のある点である。ザッと596句通覧したとき、陶淵明に関連して、武陵桃源(ブリョウトウゲン)343(非人物)、陶潛(トウセン)歸去(キキョ)488、淵明(エンメイ)把菊(ハギク)525、そして曽祖父・陶侃(トウカン)酒限(シュゲン)574と4句も挙げられ、曽祖父が後出である点、注意を引きます。
これらの点から見て・句が年代順に羅列されたわけではない、・596人すべて異なる人物ではない、また・全句で人物が表記されているわけではない、等々、窺い知ることができます。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます