ローマは、紀元前8世紀初代ローマ王ロムルスの建国から紀元後5世紀の西ローマ帝国滅亡まで、統治形態を変えつつも長期にわたりヨーロッパの主要国であり続けました。
その間、幾多の敗北がありました。
(p31より引用) 勝者はけっして最初から勝者であったのではない。無数の敗北や失敗を乗り越えてきたからこそ、彼らは勝ち残れた・・・
塩野氏によると、ローマの長寿の秘訣は政策決定の柔軟性にあったと言います。
(p289より引用) 国家に限らず、どのような組織であれ、前任者が定めた方針を廃棄するのはむずかしい。ましてや、その前任者が創業者であれば、なおさらのことです。
ところがティベリウスは、「神君」アウグストゥスの政策でさえも、思い切りよく転換した。こうした軌道修正がしばしば行なわれたところに、ローマ帝国が長続きした理由があると私は考えるのです。
ローマの場合、改革の対象はしばしば「元老院」でした。
元老院は、しばしば機能不全を起こしました。
(p174より引用) 内向きのメンタリティと、強烈な自負心が複合してしまえば、そこに生れるのは現状維持の発想でしかありません。
そうは言っても共和政の肝は、やはり元老院です。さらに根源的には、政治を司る人材です。有能な人材は貴族のみから輩出されるわけではありません。
(p108より引用) ローマ人の政治改革は、元老院という“聖域”にも大胆に踏み込むことになりました。
それまでローマの元老院は、まさに貴族たちの牙城とも言うべきものでした。・・・
その元老院の議席を、重要な公職に就いた経験のある者であれば平民にも与えて、「新たに加わった者たち」として迎えることとしたのです。・・・
この元老院改革によって、ローマは真の意味での「寡頭政体」へと移行したと言えるでしょう。・・・
・・・貴族のみならず平民からも広く人材を募ってこそ、はじめて元老院は「人材のプール」としての機能を果たせるようになるからです。・・・
共和政のカギはやはり、元老院にあるのです。
ただ、そういう幾多の改革も、成功に導くための深謀遠慮がありました。
改革は新手の手段のみではないのです。
(p295より引用) ともすれば改革とは、古きを否定し、新しきを打ち立てることだと思われがちですが、けっしてそうではない。
成功した改革とは、自分たちの現在の姿を見つめ直し、その中で有効なものを取り出していき、それが最大限の効果を上げるよう再構築していく作業なのではないか。ローマの歴史を見ていると、そう思わざるをえないのです。
カエサルの言葉として1500年ぶりにマキアヴェッリ発掘した名言です。
(p296より引用) 「どんなに悪い事例とされていることでも、それが始められたそもそものきっかけは立派なものであった」
かつての改革が今となっては悪癖となる、これは多くの場合、その政策自体の問題ではなく、その政策が時代を経ることにより内部環境・外部環境との間にズレが発生したことによります。
したがって、それを是正するためには、当然ですが、単純に過去の政策の逆をやればいいということにはなりません。現在の環境等諸条件の見極めが重要になります。
(p298より引用) 古い統治システムを全否定してしまうのでは、かえって問題の本質が分からなくなる。
大切なのはまず自分たちが置かれている状況を正確に把握した上で、次に現在のシステムのどこが現状に適合しなくなっているのかを見る。そうしていく中ではじめて「捨てるべきカード」と「残すべきカード」が見えてくるのではないかと、私は考えるのです。
継続する地盤があるゆえに、新たな建物が建てられるのです。
ローマは、王政・共和政・帝政と変遷しましたが、その基には常に「ローマ市民」がいたのです。
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