本書で、小田島氏は、ゲーテやトルストイのシェイクスピア評を紹介しています。
これがなかなか面白いものです。
ゲーテは、シェイクスピアを非常に高く評価しています。
(p78より引用) 「人間のモティーフというモティーフを、彼は一つ残らず描き、表現しつくしている。しかも、すべてが、なんと言う軽やかさ、何という自由さに満ちていることだろう!」
小田島氏も、ゲーテのシェイクスピアの理解に対して、その指摘の的確さに賛辞を送っています。
他方、トルストイです。
彼は19世紀リアリズムの立場からシェイクスピアを評価します。それは、明らかに否定的評価です。
(p89より引用) 「人物が全く随意に置かれているこれらの立場はあまり不自然なので、読者や観客はそれらの人物の苦しみに同情することができないばかりでなく、読んでいる物、見ている物に対して興味も起こすことさえできなくなる。・・・」
トルストイのシェイクスピア批判はさらに続きます。
(p90より引用) この悲劇でもシェークスピヤの他の悲劇でもすべての人物が全く時と場所にふさわしくないような生き方、考え方、言い方、動き方をしているということである。
これに対して、シェイクスピアのセールスマンを自任する小田島氏は、こう反論しています。
(p90より引用) 私に言わせると、トルストイの批判は、絵に描いた餅を見て、「これは食えない」と文句をつけているのと同じような気がします。芝居は歴史の教科書ではないのだから、作者が「随意」に人物を配置するのは当然だし、古代ブリテンに王とか貴族とかが出てきて近代英語・・・をしゃべるのはおかしい、と言うほうがおかしいのではないでしょうか。
ゲーテもこう言っています。
(p84より引用) 「シェークスピアの人物もまたシェークスピアの魂の何らかの意味での分身なのだ。これは正しいことだし、またそうしなければいけない。それどころか、シェークスピアは、さらに筆をすすめて、ローマ人をイギリス人に仕立ててしまっているが、これもまた正しいのだ。というのも、そうしなければ、国民は彼を理解しなかっただろう」
小田島氏の本の中では、どうもトルストイは分が悪いようです。
シェイクスピアの人間学 価格:¥ 1,575(税込) 発売日:2007-04 |