サンデル教授によると、カントの思想は「正義を自由と結びつける」アプローチだと言います。それはカントの著作「道徳形而上学言論」で説かれているとのことですが、このあたりの解説は私にはさすがに難解でした。
ということで、自分で理解できていないという前提で、いくつかのフレーズを覚えとして記していきます。
(p143より引用) カントの考える自由な行動とは、自律的に行動することだ。自律的な行動とは、自然の命令や社会的な因習ではなく、自分が定めた法則に従って行動することである。
この「自律」の概念はひとつのポイントです。
(p170より引用) 逆説的だが、カントの自律の概念は、われわれが自分自身を扱う方法に一定の制約を課す。自律とは、自分が定めた法則に従うことだ・・・自分を含めたあらゆる人格を、単なる手段としてではなく、それ自体を究極目的として尊重することを求める。カントにとって、自律的な行動とは自分自身を尊重し、物扱いしないことだ。自分の肉体だからと言って、好き勝手にはできないのである。
従ってカントは、自殺や売春を認めません。カントは、すべての人に平等に備わっている理性的能力への尊敬を説きます。他者を尊重することは人間の義務だとの考えです。
(p160より引用) カントにとっては、自尊心も他者を尊重する気持ちもまったく同じ原理から生じる。
このあたりの考え方は、夏目漱石の「私の個人主義」のなかにも同種のものが見受けられました。
さて、こういったカントの道徳哲学の思想のなかでもうひとつ私の興味を惹いたのが「嘘」に関するカントの考え方です。
(p172より引用) カントは嘘をつくという行為に非常に厳しい。『道徳形而上学言論』では、嘘は不道徳な行為の最たるものとしてやり玉に挙げられている。・・・「真実を述べることは、相手が誰であっても適用される正式の義務だ。たとえそれが本人や他者に対して、著しく不利な状況をもたらそうとも」
・・・嘘はどんなものであっても、「正しいことの根源を傷つける。・・・したがってつねに真実を語ること(正直であること)は、いかなる都合も認めず、つねに例外なく適用される神聖な理性の法則なのだ」。
カントは「真実を告げる」という義務を重視します。したがって、「嘘と誤解を招く真実とのあいだには道徳的な違いがある」というのがカントの考えです。
(p178より引用) カントの道徳論では、重要なのは意図、すなわち動機なのである。・・・念入りにこしらえた言い逃れは、真実を告げるという義務に敬意を払っている。だが、真っ赤な嘘は違う。単純な嘘をつけば用が足りるのに、わざわざ誤解は招くが厳密には嘘ではない表現を使う人は、遠回しであっても、道徳法則に敬意を示しているのだ。
「真実ではあっても誤解を招く言い様」は、結構身近でもお目にかかります。私自身も正直なところ心当たりがあります。詭弁的な言い方は、越えてはならない最後の一線への正直さの現われでもあるのでしょう。
最後に、「功利主義」に対するカントの姿勢をメモしておきます。
(p180より引用) カントは功利主義を個人の道徳のよりどころとしてはもちろん、法則のよりどころとしても認めていない。・・・効用は正義と権利の基盤とはなりえない。・・・権利の根拠を効用に求めると、社会は特定の幸福観を、ほかの幸福観よりも支持したり、後押ししたりすることになるからだ。・・・「何人も自分の考える幸福観に従って幸せになることを私に強いることはできない。なぜなら他者の自由を侵害しないかぎり、人間はみな自分に合った幸福を探すことができるからだ。
カントは、人々がそれぞれに持つ多様な価値観を重視します。特定の価値観の押付けには断固として反対するのです。
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