著者の安岡正篤氏は東洋思想研究家ですが、研究者としてよりもむしろ、東洋宰相学・帝王学に立脚した人間学を説く政治家・財界人の精神的指導者としての活動が有名です。
本書は、氏の昭和30年から50年代にかけての氏の論講の中から数編を選び出し採録したものです。
説かれている内容は、実践を重視する陽明学の思想が底流にあるように感じられます。中国・日本を中心とする東洋の古典から「かくあるべき」との箴言が語られているのですが、正直なところ、特に目新しい気づきは少なかったというのが実感です。
これは、もちろん、読む私側の素養にも拠るところが大きいのですが・・・
そういった中でから、安岡氏の思想の基本的姿勢にかかわる点で、私の興味をひいたフレーズをご紹介します。
まずは、安岡氏の「国際関係観」についてです。
(p92より引用) 本当の意味の世界的発展というものは、やはりその中に限りなき多様性・進化性、いわゆるヴァラィエティ variety とかディヴァーシティ diversity とかいうものを持たなければならない。それでなければ本当の意味の造化にならない。活世界にならない。
著者は、行き過ぎたナショナリズムは否定していますが、国際社会における「個」としてのナショナリティ・国民性・民族性は尊重すべきとの考えです。
もうひとつ、氏の主張する「政治リーダー」の在り様についてです。
(p135より引用) 現代の悩みの究極は果たして偉大な道徳的人物が排出し得るかということであり、そういう人物が乏しくないとしても、いかにしてそれらを有力な政治的地位に配置し得るかということである。哲人政治というものが新たな世界の最大の政治的課題であると信ずる
優れた政治家が一般大衆を率いていくという社会の姿を前提にしている考えのようです。
「政治」という世界がある以上、ある意味当然の考え方だとも思いますが、政治はやはり市民が付託した営みであるべきでしょう。古今の書物に学んだ哲人政治家を望むのは、今日、ちょっと無理な注文です。
最後に、本書の中で毛色の変わったコメントをひとつ。
(p191より引用) 理屈なんていうものは枝葉末節のものに過ぎない、さびしいものである。
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