OMOI-KOMI - 我流の作法 -

For Ordinary Business People

思想の坩堝 (諸子百家―儒家・墨家・道家・法家・兵家(湯浅邦弘))

2009-06-14 13:19:41 | 本と雑誌

 諸子百家に数えられる儒家・道家以外の思想家についても、興味を覚えた点を記しておきます。

 まずは、墨家です。
 戦国の乱世を憂えた墨子は、「兼愛」「非攻」を説きました。

 
(p141より引用) 『墨子』において武力行使が肯定されるのは「誅」と「救」の場合のみ。この軍事行動だけが「義」として認められるのである。侵略戦争は他者の利益を損ねて自分の利益を図る行為であり、兼愛の理想をもっとも過激に破壊するのである。

 
 墨家は、自己の思想の根本である「兼愛」「非攻」といった「義」に忠実でした。
 しかし、その墨家の「義」は世の中に受け入れられず、にも関わらずその世情に妥協しないという姿勢が、後年、墨家を絶やしたのです。
 ただ、最近の中国では、墨家の守城技術が科学技術の先駆けとされ、墨子も「科聖」として2000年の時を隔てて再度脚光を浴びているようです。

 次に、法家
 法家の思想は、現実的な統治原理として秦の始皇帝に採用されました。

 
(p191より引用) 法による統治は、賞罰を背景として天下中に適用でき、しかも即効性がある。わざわざ賢人が現地に赴く必要はない。凡庸な君主でも、官僚体制という組織にその運営を任せ、自らはその組織の頂点に位置しているだけでよい。

 
 法治と官僚体制は現代にも通ずる統治システムです。
 しかし、法治偏重の体制は、統治される側の「人心」の軽視を招き、悲劇的な終末か制度の形骸化に至ることとなります。

 
(p208より引用) この歴史の教訓をもとに、次の漢代では、儒家が新たな統治理論を提唱した。法家が唱え、始皇帝が実践した「法治」を、皇帝の「人徳」によってコントロールしようという考え方であり、これが、漢帝国によって採用された。春秋戦国時代に見られた「徳治」と「法治」の対立が、結果的に折衷される形となったのである。法治は高く評価されたが、それはあくまで徳治を支える技術としてであった。

 
 最後は、兵家です。
 九流には含まれていませんが、中国古代思想の中では、現在最も広く知られている思想かもしれません。私も「孫子」は、以前、金谷治氏によるものと浅野裕一によるものを読んだことがあります。

 「百戦百勝は善の善なるものに非ず。戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり」との言に明確に著されているように、孫子の兵法は「戦わずして勝つ」ことを最善と考えます。
 その成否を握るのが「用間篇」で説かれている「情報」です。

 
(p246より引用) 『孫子』は、戦争が国家経済に深刻な打撃を与えると考えた。だからこそ、戦う前に敵情を充分に把握し、戦いの成否を的確に予知している必要があるという。
 ・・・『孫子』は・・・神秘と迷信をいっさい避ける。「先知」は、人間の知性によってのみ可能となる。具体的には、間諜による情報の収集活動と、それに基づく冷静な情報分析である。この合理性が、『孫子』を貫く最大の特色となっている。

 
 近年発見された多くの古代資料は、従来の定説の不確定であったところを、史実をもって埋めていきました。
 また、同時に、単線的に考えられていた思想発展の流れにも多様なバリエーションがあったことも明らかにしていきました。

 2000年から2500年も前に、これほどまでに多種多彩な思想の華が咲いていたという歴史は素晴らしいですね。
 
 

諸子百家―儒家・墨家・道家・法家・兵家 (中公新書) 諸子百家―儒家・墨家・道家・法家・兵家 (中公新書)
価格:¥ 882(税込)
発売日:2009-03

 
↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
素晴らしい すごい とても良い 良い
 
TREview
TREviewブログランキング
 
人気ブログランキングへ

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 道家 (諸子百家―儒家・墨家... | トップ | 星界の報告 他一編 (ガリレ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

本と雑誌」カテゴリの最新記事