いくつかの著作で村上氏が繰り返し説いているテーマが、「日本における理科教育の弱化」の問題です。
これは、10年前の本書でも問題点として指摘され、現在もなお改善されていない課題です。むしろ、問題がより深刻化している気もします。
この点につき、村上氏は、 「理工系外の人に見られる理科的素養の欠如」と「理工系の人に見られる社会的素養の欠如」の2つの面を指摘しています。
まずは、「理工系外の人」に関してのコメントです。
(p186より引用) 理工系の外にいる大部分の社会の成員にとっても、理工系の学問や現場で行われていることに関して、それなりの知識を持たないでよいはずはない。それは、必ずしも専門家の持つ知識と同じである必要はないし、またそうであることは不可能である。しかし、理工系に関して「無知」であることだけは、許されない状況が生れているのである。
また、「理工系の人」に対する問題意識です。
昔、「科学」の駆動力は科学者の「好奇心」でした。その意味では科学は「個人的」なものでした。
村上氏によると、そういった「科学」の性格にとって大きな転機になったのは、「マンハッタン計画」だったとのことです。核兵器の開発を契機として、科学は「倫理」や「社会的責任」と深く関わるようになったのです。
(p186より引用) 他方、倫理を扱った章でも述べたように、理工系の人間といえども、自分たちの研究の成果が大きな支配力を持って影響する人間と社会に関して、充分な基礎知識を持っていなければならないことも自明であろう。彼らが専門の学問だけに専念していればよい時代はとうに過ぎている。
村上氏の「理科教育」に関する危惧は、10年たった今でも、未だ解決の方向にすら向いていないようです。
(p187より引用) 理科教育とは単に、物理学や地球科学の学理を身につけさせるためのものではなく、科学・技術と人間・社会との関係に関してしっかりした洞察の力をつけさせることが、大切になってくる。
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