読書案内
「JR上野駅公園口」柳美里著
哀しくて、切なくて、どうにもならない人生の孤独が、ひしひしと胸に迫ってくる。
男は昭和8年、福島の貧しい農家の長男として生まれる。
戦争が終わった時には12歳になっていた。
国民学校を卒業してすぐに出稼ぎに出かけ、家に戻ったのは60歳になってからだった。
出稼ぎの労働で肉体を酷使し、思うように体が動かなくなってしまったための帰郷であった。
長い出稼ぎの連続で、盆暮れに時々帰る男に、たとえ短い間だけでも、「幸せ」と感じる時を過ごせた時期があったのだろうか。
だが、作者は男のささやかな心の平穏には一切触れず、淡々と、「老いていく」男の生涯を記述していく。
長男の浩一が死んだ。東京のアパートの部屋で誰にも看取られずに、突然の死が浩一を襲う。
レントゲンの国家試験に合格しこれからというときの孤独な死だった。享年21歳。
結婚して37年、ずっと出稼ぎで妻の節子と一緒に暮らした日は全部合わせても一年もなかった。
貧乏の中で生きてきた家族の不幸が重くのしかかってくる。
その妻も男が帰郷してから7年後の激しく雨の降る夜に死んだ。
隣の布団に寝ていた男が、冷たくなっている妻に気づいたときにはもう死後硬直が始まっていた。
働き者で体が丈夫だったことが取り柄だった節子、享年65歳。
「なんでこんな目にばっかり遭うんだべ」、と悲憤の怒りが胸底に沈められ、もう泣くことはできなかった。
「おめえはつくづく運がねぇどなあ」、浩一が死んだときお袋が言った言葉をかみしめ、
独りぼっちになってしまった男に、孫の麻里は優しく、足しげく訪ねてくれた。
しかし、年老いて自分のためにこの可愛い21歳になったばかりの孫を縛り付けるわけにはいかない。
いつ終わるかわからない人生を生きていることが、男には怖かった。
それは、浩一と妻が、何の予告もなく眠ったまま死んでしまったための投影からくる不安でもあった。
またしても、雨の朝、男は小さなボストンバックに身の回りのものを詰め込み、家を出た。
〈突然いなくなって、すみません。おじいさんは東京へ行きます。この家にはもう戻りません。探さないでください。……〉
あまりにも悲しい書置きを残して。
家族のためにその生涯のほとんどを出稼ぎに費やし、
今また、男が最後に選んだ人生の辿る道は、JR上野駅公園口で下車することだった。
公園口を出て少し歩けば、都会の喧騒を逃れた上野の森が現れてくる。
ある人にとっては憩いの場であり、リフレッシュの場でもある。
しかし、男にとっては、上野の森に散開するホームレスへの人生最後の転落への哀しく辛い最後の旅となる。
家族のためにひたすら働き続け、
不器用にしか生きられなかった男の最後の選択がホームレスだなんてあまりに切なく悲しい。
『成りたくてホームレスになったものなんかいない。この公園で暮らしている大半は、もう誰かのために稼ぐ必要のない者だ』
血縁を断ち切り、故郷を捨て、人によっては、過去や名前さえ喪って生きるホームレスの孤独。
だが作者はこれだけで物語を終わりにしない。
東日本大震災、津波が人を押し流し、原発事故は故郷を汚染し男から帰る場所と過去を奪ってしまう。
最愛の孫・麻里はどうしたか。今日もホームから聞こえてくる。いつもと変わらないアナウンス。無常の声。
「まもなく2番線に池袋・新宿方面行きの電車が参ります、危ないですから黄色い線までお下がりください」
(2014.5.31)