最後のお別れ・ご冥福を祈る ことの葉散歩道(14)
死後の硬直が消えて筋肉がゆるみ、おだやかな顔になってかすかに笑っているようだとさえ言うが、それはあくまでも意志のない死顔で、死のやすらぎの中に静かに置かせてやるべきではないのか。 「死顔」吉村昭著 短編集所収「二人」より |
高齢の兄の葬儀に参列し、読経が終わると最後のお別れである。
棺のふたが開けられ、嗚咽や忍び泣きの中、親族たちが次々に棺の中の死者に花を添える。
旅たちに備え、遺体を花で覆いつくす。
遺族にとっては新たな悲しみが湧いてくる時でもある。
「お別れを……」葬儀社の若い男が近寄ってきて、私たちをうながした。私は、無言でうなずいたままその場を動かず、妻も私のかたわらに立っていた。
そうしながら、作中の私は冒頭のようなことを密かに思い、斎場に妻と二人立ちつくすのである。
葬儀場で式を行うようになってから久しいが、
いつごろからこんな習慣ができたのか。
出棺に際し棺のふたを取り、遺体に花を添える。
遺族にとっては、新たに悲しみがこみあげ、辛いひとときである。
しかも、参列者が大勢いるなかでの儀式である。
できれば人前で涙を見せたくない場面だ。
遺族にとって悲しみがこみあげて来る場面が三度ある。
通夜に臨み湯かんをし、故人を棺に納める「納棺」のとき、
出棺前に故人に「花を添える」とき、
最後に窯のふたが開き棺が暗くあいた穴の中に入っていく瞬間。
死のやすらぎの中に静かに置かせてやるべきではないのか。
最近の葬儀では、「皆さんもお花をどうぞ」と一般参列者にも呼びかけることが一般的だ。
声がかかれば席を立ち、ぞろぞろと棺に向かい、故人に花を手向ける。
私は物言わぬ個人の顔を拝むのが嫌で、
親族の葬儀以外で花を手向けたことはない。
故人と遺族との最後のお別れを一般席から静かに見守り、ご冥福を祈りたい。
(2015.11.03記)