人生の流れ ことの葉散歩道(27)
山あり谷ありそして喜怒哀楽
人生はいったい、何なんだろうなあ、と時々思う。人はついその時その時のできごとで、喜んだりガッカリしたりしてしまうけれど、おそらく、人それぞれの流れがあるんじゃないかと思うんだよ。 |
天台宗大阿闍梨・酒井雄哉は、
約7年かけて4万キロを歩く荒行「千日回峰行」を80年、87年の2度満行を成し遂げた。
大阿闍梨と言われる所以である。
酒井雄哉は言う。「人生は一日一生だ」と。
つまり、一つひとつの完結した輪が繋ぎ合わさって1本の鎖となるように、
人生も一日一日が完結し、次の(明日の)人生へと繋がっていく。
一本の輪が切れてしまえば、鎖は切れてしまう。
人生も連続したつながりで、続いていく。
簡単に言ってしまえば、
「一日一日を悔いの無いように生きる」ということなのだろう。
凡人にはなかなかそういった覚悟ができないから、
どうしてもその日暮らしになってしまう。
悔いを残し、後悔し、悲しみ、苦しみ、煩悩から逃れることはできない。
人生には、年齢にあったステージがあり、
そのステージに立って精いっぱい生きていければいいのではないかと思う。
これが酒井雄哉氏の言う「人それぞれの流れ」ということになるのでしょう。
「勉学に励む時期」、「結婚」、「家庭の維持」、「仕事」、「退職」、「年金暮らし」。
それぞれにふさわしいライフ・ステージを誠実に生きること。
これが「一日一生」という生き方に繋がる生き方なのでしょう。
「論語」では「朝(あした)に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」と説いている。
朝に人がどう生きるかを悟ることができれば、夕方には死んでしまっても悔いはない。
生きる覚悟と潔さを説いて有名である。
一生幸せな人もいないし、一生不幸せの人もいない。
人生の流れ(ステージ)に立って、自分にどれだけ誠実に生きられるかが、
幸不幸の分かれ道なのかもしれない。
(2016.5.12記)