遠ざかる昭和(2) 少年の心に裕次郎の映画が焼き付いた
北海道小樽市の石原裕次郎記念館が8月31日を持って閉館になった。
幼少期に過ごした同市に1991年にオープン。
26年間の来館者は約2千万人だが、26年も経過するとスクリーンの裕次郎に心ときめかされた
当時の若い世代も高齢になり、小樽まで足を延ばすのもしんどい年になって来たから、閉館と
なっても仕方のないことなのでしょう。
みんなが輝いていた1957年代、ゴム草履に短パン姿の裕次郎が現れた。
物おじしない、ある意味で傍若無人の不良青年だったようです。
それでも、目に優しさが漂い、何よりも人を惹きつける魅力とリーダーシップで
撮影所内で注目された。そして、当時日活に在籍したプロデューサーのターキーこと
水の江滝子の目に留まったのがスターの階段を登るきっかけになったようです。
芥川賞新進作家の兄慎太郎の「太陽の季節」がヒットし、「太陽族」「慎太郎刈り」など
社会風俗の波に乗ったことも大きな要因だった。
社会が豊かになり、「湘南の海」「ヨット」など、一般の人には憧れの情景がスクリーンに
映し出され、僕らは見果てぬ夢を見るように、ポケットに両手を突っ込み、短い脚を引きずって
歩いたものだ。
「……ぜ」という言い方が不良ぽっくて、ぼくらは真似をした。
「ドラム合戦」に魅了され、裕次郎の映画に踊り子役で出ている
白木マリの踊りに心ときめいた。
風は気ままに 吹いている
鳥は気ままに鳴いている
どうせ男に生まれたからにゃ
胸の炎は気ままに燃やそ
意地と度胸の人生だ
「明日は明日の風が吹く」のフレーズを呟いて、粋がっていた。
「ジャックナイフ」が流行りました。「飛び出しナイフ」という
のもあってボタンを押すとパチンと飛び出すものと、前に突き出すものがあり、ジャックナ
イフはぼくらの憧れで、ポケットに忍ばせ、友だちに見せびらかし自慢したものだが、学校
で所持禁止品になってしまった。
三国連太郎と共演の「鷲と鷹」、「紅の翼」など少年の僕には心躍る作品だった。
しかし、ぼくの心を捉えたのは、慎太郎原作を映画化した「狂った果実」だった。
この映画を見て、大人の世界をのぞいたような妙な興奮をしたのを今でも覚えているが、
この映画の良さがわかるのは、もっと後になってからだった。
ぼくが、中学2~3年生ぐらいの「夢多き少年時代」の映画でした。
裕次郎が逝って26年、昭和が遠くなっていきます。
(2017.9.10記) (つれづれに……心もよう№68)