ウイルス感染を題材にした小説(1) ペスト
(新潮文庫 昭和44年発刊 令和2年3月87刷 著者カミュ )
70年以上も前に書かれたカミュの『異邦人』と並ぶ代表作である。
194〇年、アルジェリアの海岸に位置する小さな町オランで事件(ペスト)は発生した。
なんの取り得もないない小さな港町オラン。
四月十六日の朝、医師ベルナール・リウーは、診療室から出かけようとして、
階段口の真ん中で一匹の死んだネズミにつまずいた。……同じ日の夕方、ベル
ナール・リウーは、アパートの玄関に立って、自分のところへ上がっていく前
に部屋の鍵を捜していたが、そのとき、廊下の暗い奥から、足もとのよろよろ
して、毛のぬれた、大きな鼠が現れるのを見た。鼠は立ち止まり、ちょっと体
の平均をとろうとする様子だったが、急に医師のほうへ駆け出し、また立ち止
まり、小さな泣き声をたてながらきりきり舞いをし、最後に半ば開いた唇から
血を吐いて倒れた。
宿主の鼠に憑りついたペスト菌が人間の前に現れた最初の一日はこうして始まる。
前兆はあった。鼠の死は、医師に不快感を与えた者のこれがペストの流行の前兆であり、
まさか小さなオランの街が封鎖され、人々が不安と恐怖の渦に巻き込まれようとは、
誰にも予測できない。
この小説はある種の群像劇です。
ペストと闘う強靭な意志と自己犠牲を持った医師がいるわけでもない。
閉塞感に囚われた町の人の多種多様な考え方は、
当然ペストに関しても深刻に対処する人、不安におののき疑心暗鬼に囚われる人、
楽観視する人等々、様々な登場人物の言行が静かに綴られています。
最近、新聞やネット等でこの小説「ペスト」が話題になっているようです。
しかし、この小説はパンデミックス(感染症が世界的規模で同時に流行する)
パニック小説とは異なり、
小さな港町・オランで起きたペストの流行を淡々と語る。
小説の根底に流れる、「不条理(人間存在の)絶望的状況」をカミュは淡々と描いている。
得体のしれないペストという不条理の現象の中で、
教条主義(ペストという感染症の蔓延する状況や現実の不安や恐怖をある特定の原理や原則に当てはめようとする融通の利かない教えや態度)的な経験主義に陥ってしまうある種の人々を登場させている。
「誰でもでもめいめい自分のうちにペストをもっているんだ」
小説の終盤、謎のような言葉を登場人物のひとりがつぶやきます。
ペストとという疫病が持っている、「おぞましい、悪意に満ちた病原菌」を心の奥に
人間は持っているのだ。ということなのだろうか。
解説の中で訳者の宮崎嶺雄は次のように表現しています。
ペストの害毒はあらゆる種類の人生の悪の象徴として感じとることができる。
死や病や苦痛など、人生の根源的な不条理をそれに置き換えてみることもできれ
ば、人間内部の悪徳や弱さや、あるいは貧苦、戦争、全体主義などの政治悪の象
徴をそこに見いだすこともできよう……
なんだか、自分で記事を書きながら、いったい何を書いているのか理論の混迷が見られ、
カミュの「ペスト」を取り上げたのは失敗だったのではないかと後悔しています。
小説の最後は以下のように結ばれている。
ペストとの闘いに勝利し街には再び平安とやすらぎぎ訪れようとしている。
しかし、最初に登場した医師リウーは、彼自身の心の不安を次のように述懐して幕を閉じる。
ペスト菌は死ぬことも消滅することもないものであり、数十年の間、家具や下
着類の中に眠りつつ生存することができ、部屋や穴倉やトランクやハンカチや
反故(ほご)のなかに、辛抱強く待ち続けていて、そしておそらくはいつか、人
間に不幸と教訓をもたらすために、ペストが再びその鼠どもを呼びさまし、ど
こかの幸福な都市に彼らを死なせに差し向ける日が来るであろうことを。(宮崎嶺雄 訳)
そして現在、カミュが「ペスト」の中で70数年前に予言
したように新型コロナウイルスは世界を席巻し、パンデ
ミックスの恐怖や不安を現実のものにしている。
安部首相にも、小池都知事の顔にも日に日に疲労の色が濃く表れています。
政治が国民を助けるのではない、政治の力を借りて私たちがこの病原菌と
決然と戦う強い意志が今望まれているのだ。
(読書案内№148) (2020.4.10記)