雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

「夫のうれしい涙」

2024-05-10 06:30:00 | つれづれに……

「夫のうれしい涙」

   うれしい時も、悲しい時も、涙は流れてくる。


   「人前では泣くな」
   「男は泣くな

   私の子ども時代には、そういわれて育った。
   「泣くな」、「泣くな」。
   どんな悲しいことがあっても、辛いことがあっても
   涙をこらえて泣かなかった。
   もっと正確に言えば、人前で泣かなかった。
   こらえた。

   小学低学年のころ、いじめにあった。
   不快感は残ったが、それだけのこと。
   しかし、同じようないじめが続けば、我慢ができなくなる。
   反撃に出る。
   相手を力でねじ伏せる。暴力によって相手を委縮させる。
   喧嘩は負けては意味がない。勝つために手段は選ばない。
   相手が泣いて悲鳴を上げるまで徹底的に痛める。
   それでいじめはなくなった。

   決して泣かない少年だった。

   それが崩れたのは、嫁いだ姉が亡くなった時だった。
   物言わぬ姉の顔を見て、こらえていた涙がとめどなく流れた。
   声は出さなかったが、こらえようにも感情の制御がつかず、
   大好きだった優しい姉の枕もとで涙を流し続けた。
   涙が枯れてその場を離れ、トイレにこもった。
   悲しみの緊張が狭いトイレの中で一気に崩れた。
   大きな声で泣き続けた。

   以来、人前で泣くことを忌避することはなくなった。
   母が亡くなり、長兄が亡くなり、長姉が亡くなったときも泣いた。

   悲しい時には泣いた。
   うれしい時には……
   泣くほどうれしいことに出会ったことがない。
   でも、「ありがとう」という言葉は、なんども言った。

   朝日新聞に「ひととき」という読者の投稿欄がある。
   65歳になる主婦が「夫のうれしい涙」というタイトルで投稿している。(4月1日記事)

   彼女の夫は、定年まで会社で勤め上げ、定年を迎えた後、小学校の用務員として7年を務めた。
   体もきつくなってきたため、今年の3月に退職の意向を学校へ伝えた。
   ところが年が明けた1月末、仕事中に倒れ、病に伏してしまった。
   退職を2か月後に控えた時期の予期せぬ出来事だった。
   夫が入院して2週間がたったころ、一通の宛名の書いてない茶色の封筒が届いた。
   「飼育委員」と小さな字が書かれていた。
   夫が務めていた小学校の飼育員の子どもたちからの手紙だった。
   夫の喜ぶ顔が見たいと、妻は自転車を走らせた。
   子どもたちが飼育しているモルモットの小屋を夫が倒れる前に、作ったことを妻は知っていた。
   以下、全文を掲載します。

   その小屋やモルモットの絵、それに飼育委員全員からの感謝の手紙が封筒に入っていた。
   結婚して36年。夫が私の前で涙を流したのは長男が亡くなったときと今回の2回。
   2度目はうれしい涙で本当に良かった。

  

   在職中の夫が退職間際に作ったモルモットの小屋が、
   飼育委員たちの心を動かし、感謝の手紙となった。

   第二の職場に選んだ小学校の用務員の仕事。7年勤めあげ、体もしんどくなってきて、
   職を辞したあと、妻との穏やかな第三の老後の人生をスタートさせる予定だった。
   それを、子どもたちの感謝の手紙は、
   病との戦いでスタートせざるを得なくなった男への
   何よりの励ましとなるプレゼントであった。
   飼育員たちの感謝の手紙を、入院先のベッドの上で何度も読み返しながら、
   泣いている夫を見つめる優しい妻の姿が浮かんでくる。
 
 (つれづれに…№115)       (2024.5.9記)

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