雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

読書案内「JR上野駅公園口」  柳 美里著 ③妻や子を失い、故郷を捨てた

2021-02-06 06:30:00 | 読書案内

読書案内「JR上野駅公園口」  柳 美里著    
                 ③妻や子を失い、故郷を捨てた……

②を書いて(202011.29)からだいぶ時間が立ってしまったので、
ここで、②を再掲して③を進めたい。

②再掲
 カズ
が故郷に戻った7年後、カズは妻・節子を亡くした。
    雨の激しく降る夜だった。隣の布団に寝ていたカズが気づいたとき節子は
    すでに冷たい体になって、死後硬直が始まっていた。
    節子・享年65歳、カズ67歳。
    雨の夜だった。

    カズはわが身に降りかかる不幸に声をあげて泣いたに違いない、と思う反面
    働いて働いて、これから、というときに訪れたわが身の不幸に、泣くことさえ
    忘れてしまったのかもしれない。と、わたしは感情移入を膨らまし、
    この悲しい物語の先を読み進んだ。


    著者はカズの気持ちを次のように描写している。
「なんでこんな目にばっかり遭うんだべ」、と悲憤の怒りが胸底に沈められ、
 もう泣くことはできなかった。

「おめえはつくづく運がねぇどなあ」、浩一が死んだときお袋が言った言葉をかみしめ、
独りぼっちになってしまった男に、孫の麻里は優しく、足しげく訪ねてくれた。
しかし、年老いた自分のために
この可愛い21歳になったばかりの孫を縛り付けるわけにはいかない。
いつ終わるかわからない人生を生きていることが、男には怖かった。

それは、浩一と妻が、
何の予告もなく眠ったまま死んでしまったための投影からくる不安でもあった。

 またしても、雨の朝、
 カズは小さなボストンバックに身の回りのものを詰め込み、家を出た。

〈突然いなくなって、すみません。おじいさんは東京へ行きます。
この家にはもう戻りません。探さないでください。……〉

あまりにも悲しい書置きを残して。
70近くなったカズは再び東京へと旅立つ。
家族のためにその生涯のほとんどを出稼ぎに費やし、
それでも一握りの小さな幸せさえ掴むことのできなかったカズ。

今度は、誰のために働くのでもなく、
カズが自分のために最後に選んだ人生の辿る道は、
JR上野駅公園口で下車することだった。

公園口を出て少し歩けば、都会の喧騒を逃れた上野の森が現れてくる。
ある人にとっては憩いの場であり、リフレッシュの場でもある。
しかし、男にとっては、上野の森に散開するホームレスへの人生最後の転落への
哀しく辛い旅となる希望のない出発点だ。

 

家族のためにひたすら働き続け、
不器用にしか生きられなかった男の最後の選択がホームレスだなんてあまりに切なく悲しい。

『成りたくてホームレスになったものなんかいない。この公園で暮らしている大半は、もう誰かのために稼ぐ必要のない者だ』 
血縁を断ち切り、故郷を捨て、人によっては、過去や名前さえ喪って生きるホームレスの孤独。
だが作者はこれだけで物語を終わりにしない。

 東日本大震災、津波が人を押し流し、
   原発事故は故郷を汚染し男から帰る場所と過去を奪ってしまう。

 最愛の孫・麻里はどうしたか。
 今日もホームから聞こえてくる。いつもと変わらないアナウンス。
 無常の声。

 「まもなく2番線に池袋・新宿方面行きの電車が参ります、
  危ないですから黄色い線までお下がりください」


  カズのように、ただひたすら働き、
 それでも底辺から這い上がることができない人。
 表現を変えれば、社会の構造がもたらす競争社会の中から必然的に生み出される格差という
 奈落に落ちてしまって浮かび上がることができない人は、少なくない。
 具体的な社会問題として浮かび上がってくるのは、
 孤独死、ひきこもり、適応障害、貧困、教育格差等々数え上げるときりがない。
 祝福されるべき誕生の時から、
 もっと遡れば、母の胎内に命の芽が宿り始めた時から
 容易ならざる環境を背負わざるを得ない苦しみや、不幸せな芽を宿してしまう場合もある。

  カズは福島から常磐線で上京し、帰郷し再び常磐線で「JR上野駅公園口」にたどり着いた。
  人生逆戻りの辛く、孤独の旅だ。
  高台になっている上野駅公園口から改札口前の道路を一本渡れば、美術館があり、
  博物館があり動物園があり、木々の森の緑の中に噴水のある憩いの水場もある。

  行き交う人々からひっそりと隠れるように「ホームレス」の段ボールハウスが、
  樹々のあいだに存在する。
  目を凝らせば、もう一人のカズがいつものベンチに座り、誰かが捨てていった
  三日前の新聞を読んでいる姿に出会うかもしれない。


 ③ 妻や子を失い故郷を捨てた

   息子を失い、妻を失ったカズのところに、孫娘が訪れ身の回りの世話をしてくれるようになった。
    カズは自分がいることで、孫娘に迷惑をかけることを怖れ、故郷フクシマを離れ、JR
上野駅公園口
         に戻って来たのだ。この駅は、カズが出稼ぎのために上京し、最初の出発点となった駅だ。
    70歳を過ぎたカズが再び降りた駅には、未来に続く線路はなかった。
    カズに残された最後に残った選択肢は、ホームレスだった。

   耳かきいっぱいの幸せすらつかめなかったカズの人生。

   孫娘はどうしたか。

   という記述(緑の文字)で、その後の孫娘のことを紹介しなかった。
   ネタバレになるとは言え小説の最期の部分を紹介しないで、
   ブログを終わりにしてしまったことは、
   作者に失礼なことではないかと、後悔し再び③として記述することにしました。

   小説の最終章は、2011.3.11。 東日本大震災の起こった日である。

   「津波来っど!
」「逃げろ!」

   孫娘の麻里は愛犬を車に乗せ、国道6号線に向かった。
   津波の黒い波が麻里の車を呑み込んだ。
   さらに、引き波に持って行かれ、孫娘と二匹の犬を載せた車は海中に沈んだ。
   水の重さを背負った闇のなかから、あの音が聞こえてきた。

   プォォォン、ゴォー、ゴトゴト、ゴトゴトゴト、ゴト、ゴト……
   …(略)…ゆらゆらとプラットホーム浮かび上がった。

   「まもなく2番線に池袋・新宿方面行きの電車が参ります、危ないですから黄色い線までお下がり
    ください」
   
   小説はここで唐突に終わってしまう。作者は何故にここまでカズの人生に、
   不幸で救われない非情の鞭(むち)を振るったのだろうか。
   家族のために、妻のために、子どもたちのために、JR上野駅公園口に下り立ち、
   2番線の山手線に乗り換えたカズにとって、
   この駅のこのホームは希望の出発点になるべき駅であったはずだ。

   だが70歳を過ぎて、舞い戻って来たこの駅は夢のない終着駅なってしまった。
   にもかかわらず、プラットホームから流れてくるアナウンスは、
   カズが行こうとして果たせなかった、麻里が叶えられなかった幸せへの切符を
   手に入れる窓口として今日もたくさんの人々を運んでいるのかもしれない。

   無常感の漂う物語ではあるが、好きな小説のひとつである。
   人生は深い濃霧の中を進んで行くようなもので、
   希望の光を見つけられるのか、霧の底に沈んで方向を見失ってしまうのか、
   歩んで行かなければ誰にもわからない。
            (2021.2.5記)            (読書案内№166)


   

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする