読書案内「憂いなき街」 佐々木 譲著
ジャズが流れる札幌の街に、犯罪を追う刑事たちの人間模様。 (ハルキ文庫 2015.8刊 単行本は2014.4刊行)
この本はタイトルと著者に惹かれた。
「憂いなき街」。タイトルからイメージしたのは、「哀愁」という言葉だった。
警察小説のイメージにはそぐわないタイトルに興味をひかれた。
ブックデーターによると、北海道在住の筆者による「北海道警察シリーズの第七弾」で、
いままでのシリーズとは趣が異なるらしい。ちょっと変わった警察ミステリー
サッポロ・シティ・ジャズについて 初夏の札幌にジャズが流れる。7月初めから8月までの約1カ月間。サッポロ・シティ・ジャズで にぎわう北海道・札幌の街。実際に札幌で開催される人気イベントだ。2007年にスタートし、 大通り公園、札幌芸術の森・野外ステージをはじめとして、札幌市内各地で開催される。 シーズン中はプロ・アマ約300組のアーティストたちがあっまり、 累計16万人近くのジャズ愛好家が訪れる。 |
札幌市内のホテル地下のピアノ・ラウンジ。
ピアノの音が聞こえてくる。
生で演奏中だ。
ジャズっぽいアレンジだが、古い恋愛映画のテーマ曲だ。
間接照明だけの、薄暗い空間。
正面奥に黒いグランドピアノがある。弾いているのは、女性ピアニストだ。七分袖の黒いシャツにロングスカートだった。30歳くらいだろうか。短めに切った髪を振り分けている。目は大きく、南国的な顔立ちだった。(引用) |
津久井巡査部長はドアを押し部下と二人、地下のピアノ・ラウンジに降りていく。
閉店間際の宝石商が襲われ、犯人の一人が盗品の品を故買屋に売るために選ばれた場所だ。
間もなく入ってきた男に「職質」をかける。
姓名を確認し、任意同行を求める。
緊張した雰囲気に、周りの客たちの会話も途絶える。
ジャズが流れる。
津久井は会場の雰囲気を壊さない様に細心の注意を払って、
「事情聴取に協力していただけますね?」声は低いが、威圧的だ。
観念した容疑者を挟み込むようにして津久井と部下の滝本は、
ラウンジの通路脇のピアノの前を通り過ぎる。
何事もなかったように演奏は続いている。
ピアニストと目が合う。津久井は軽く会釈をし、
地上へ続くステップを容疑者を連れて上っていく。
安西奈津美・ジャズピアニストと津久井の初めての出会いである。
二回目の出会いは、ジャズバー「ブラックバード」。
安田というオーナーは70過ぎの元警察官で、
四十代半ばくらいの時に小さな不始末を起こし退職している。
いわく在りそうな元刑事の蝶ネクタイの似合うオーナ安田は、
高校時代にトロンボーンを吹いていた。
同じように津久井はその時期ピアノを弾いていたようだ。
一度だけ、囮捜査の現場でピアニストとして演奏した経緯があるらしいが、
この巻では、津久井や安田の過去は説明されない。
ジャズバー「ブラックバード」は、
たびたび登場し、この小説での大切な舞台になっている。
また、全編に流れるジャズも、登場する人物や情景に雰囲気と深みを与えている。
ブラックバードはけっしてあか抜けた内装ではない。全体にこげ茶色の暗めの
インテリアで、昭和の時代の名残りのような古さを感じさせる。壁の腰板は塗
装もはげかけているし、何度も塗り直した漆喰の壁は、ところどころに剥離が
ある。タバコの煙が、天井を変色させている。丸テーブルも椅子も、そのまま
アンティークショップが喜んで引き取っていきそうな年代物だった。
こんな雰囲気のあるバーで、刑事・津久井とジャズピアニスト安西奈津美の恋は芽生え、
進行していく。
同時に窃盗事件と殺人。それとは別にジャズフェスティバルに関わる殺人事件が発生し、
恋の進行と事件の進行が錯綜していく。
出会いはやがて恋のはじまりに進んで行く。
恋の始まりは次のように始まる。
ブラックバードでの二度目の出会い。
津久井はスツールに腰を下ろす奈津美をみつめていった。
「今日もまた会えるとは思っていなかった」 |
男と女。
刑事とジャズピアニスト。
何度かの出会いがあり、恋に落ちたふたり。
いい長めの部屋。
黒目がちの目が、いまはいたずらっぽい光をたたえて津久井を見上げている。
奈津美の背中に手をまわし、引き寄せた。首を傾けると、奈津美は目を閉じ、顎をあげて口を小さく開いた。唇を離すと、奈津美はうるんだ瞳で言った。 |
刑事35歳、奈津美30少し過ぎ。
恋の成就は、恋の終わりでもあり、苦悩の始まりでもあった。
宝石商の強盗・殺人事件。ジャズフェスティバルに関わる殺人事件。
二つの事件を追いながら刑事・津久井の苦悩は深まる。
薬物使用者、薬物密売、ジャズ界のプレーボーイ。
いくつかの要素があぶり出した容疑者は……………。
刑事の矜恃をかけて、奔走する津久井。
「憂いなき街」は、とてもいい雰囲気の内にジャズフェスティバルで臨場感盛り上がる
札幌の舞台で繰り広げられた、刑事の恋物語りとして読み進めました。
興味のある方は、津久井と奈津美の行く末を小説で読んでほしい。
あえて、事件の内容については説明を省いてあります。
火曜日に事件が発生し、その日の土曜日には事件も収束し、二人の関係は終わる。
最後の場面は、安田の「ブラックバード」だ。
店の奥のピアノが見える。津久井が前髪をたらして、
自分の胸のうちを探るかのように、慎重に音を選び、確かめつつ引いていた。
ごく小さな音量で、音が漏れ聞こえてくる。少し聞いて、それがジャズのスタンダードナンバーのひとつではないかと気づいた。メロディは聞き取りにくかったが、自分は愚か者であるという意味のタイトルがついている曲。……… |
最後の一行に登場するのは、蝶ネクタイの良く似合うブラックバードの経営者・安田だ。
こうなったら、今夜はとことんやつのブルーにつきあう。一緒に飲む。一緒にすさむ。
いい話だ。刑事たちの友情物語でもある。
なぜ津久井は失意のどん底に突き落とされてしまったのか。
愛しい女を喪った喪失感と、
彼女を守り切れなかった刑事としての不甲斐なさの二つが
津久井の胸のうちをかけめぐっているのかもしれない。
小説は、津久井の心境には触れず、情景描写で終わっている。
「憂いなき街」というタイトルについて。
いろいろな意味を持つ言葉ですが、これを「憂い」という言葉でまとめてしまう
日本語っていいな。
① 「切なく悩ましい」
気持ちのやり場がなく悲しみも加わりどうしていいかわからない心境
② 「つれない うそさむい」
不安な気持ちの心境
③ 「辛くて、苦しい」
思い通りに行かない心境。
ジャズ・フェスティバルで札幌の街に高揚感が漂う。
事件解決に尽力した津久井だが、気分は沈んで、「憂いなき街」という心境ではない。
最後の行に描かれる津久井の気持ちは、安田の台詞に込められている。
「こうなったら、今夜はとことんやつのブルーにつきあう」ということなのだ。
「憂いの街」から立ち上がっていく津久井刑事の活躍を見たい。
粋な小説で、文章では表現しきれない、情景描写が随所にちりばめられ、
読者を飽きさせません。
(読書案内№167) (2012.1.13記)