「麒麟がくる」 光秀が見た夢①
大河ドラマ最終回に寄せて
放送開始直前に撮り直しがあり、途中コロナ騒動で撮影が大幅に遅れ、約2カ月遅れで終了した。
本能寺を襲い主君「信長殺し」の汚名を着た光秀の目的は何だったのだろう。
一般的に考えれば、天下取り或いは家名存続のための「裏切り」等が、その理由として考えられる。
しかし、ドラマでは光秀を「実直」、「清廉」で、
専横信長に率直にモノが言える家臣として描かれている。
戦国時代の終盤に、新しい時代のさきがけとして「麒麟」を連れてくる男として描かれている。
第1回放送から。
「戦は終わる。いつか戦のない世の中になる。そういう世を作れる人がきっと出てくる。 |
という台詞があり、ドラマの目指す方向が暗示されている。
「何かを変えなければ麒麟は来ない」と光秀は思う。
戦国乱世の国盗りに明け暮れる日常で、信長の斬新性に惹かれ、
家臣として力を発揮していく光秀。
戦国の世を平定し、「麒麟」が現れる戦のない世の中を実現できるのは、
主君・信長なのかもしれないと光秀は自分の活躍の場を信長に託したのだろう。
元亀2(1571)年 比叡山焼き討ちの際は、僧兵だけでなく、
女子供まで皆殺しにしろと光秀に命じる。
天正元(1573)年 室町幕府将軍・足利義昭を京都から追放。
天正2(1574)年 尾張長嶋の一向一揆。2万の男女を中江、屋長嶋の城の周りに柵をめぐらし
閉じ込めて、四方から火を放ち、焼き殺した。
天正4(1576)年 安土城築城の石垣に、
石塔や石仏を破壊し石垣の石組の中に組み込ませていく信長。
領土を広げていく過程で、信長が変容していき、狂気の片鱗をのぞかせる信長。
神も仏も信じず、情さえも持ち合わせないような信長。
信じる者はおのれの才覚と腕(ちから)一つ。
「天下布武」を掲げ、思いのままに時代を先取りしょうとする信長の姿勢。
徐々に光秀は信長との間に信頼関係の乖離が生まれたのではないか。
藤沢周平の「逆軍の旗」(光秀が本能寺に信長を討つ数日間の心の動きを描く短編小説)は
次のような描写がある。
「時は今あめが下しる五月哉」──明智光秀は、その日(本能寺へ攻め入る数日前)の直前こう発句した。坐して滅ぶかあるいは叛くか。天正十年六月一日、亀山城を出た光秀の軍列は本能寺へとむかう。戦国武将のなかでもひときわ異様な謎につつまれたこの人物を描き出す歴史小説 藤沢周平著 文春文庫 (ブックデーターより要約
あらゆる権力を否定し、破壊する過程の中で、信長という新しい権力が立ち現われて来るのを、光秀は眺めてきた。しかも土を洗い落としたあとに、白い根を見るように、権力者の中に次第に露出してくる狂気は不気味だった。(引用) |
決定的な乖離は、「将軍・足利義昭を殺れ!」という信長の姿勢である。
(古文書に記された歴史的事実ではないにしても、
ドラマを盛り上げるためには必要な台詞だったのだろう)
「麒麟」は、王が仁のある政治を行う時に必ず現れるという聖なる獣。
その聖獣といわれる平和の使いを夢見て、信長に仕えた光秀の夢は、
崩れ去った。
「主殺し」「謀反人」というイメージの光秀に、「実直」で「清廉」な人物像、
まさに、お茶の間のヒーローとして新たな光を当てたドラマ作りが視聴者に
支持された所以なのだろう。
時代の行く末に麒麟が現れる夢を見つづけた光秀
実際の歴史的事実と反するところはあるけれど、
決定的な誤りがなく、
視聴者を心豊かにしてくれるドラマならそれも良いと思います。
(つづく) (昨日の風 今日の風№117) (2021.2.15記)
次回は「麒麟がくる」 光秀が見た夢 ② 謎の多い本能寺の変
本能寺の変 謀反の黒幕はいたのか その後の光秀 についてアップします。