雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

江戸の感染症 ② 感染症対策

2021-04-03 06:30:00 | つれづれに……

江戸の感染症 ② 感染症対策
  前回でも触れたが、鎖国政策をとっていた江戸幕府。
 長崎・出島を通じて当時の先進国・ポルトガル、オランダ、イギリス、中国の船が、文明とともに
 インフルエンザやコレラが侵入してきた。
 当時の医療技術はウイルスによる感染症に成す術を持たなかった。
 感染症の特効薬やワクチンもなかった時代の不安と恐れは、
   前回に紹介した絵が如実に語っている。
 感染を防ぐ唯一の方法は江戸時代も現代も「人との接触を避ける」ことだった。
 既にこの時代には、
 感染者の隔離や接触の制限などの対応は存在したようである。
 人が集まる銭湯、髪結い床、芝居小屋、遊郭などでは、
 人が来なくなり商売が成り立たなくなる。
    現代のような「時短」「営業自粛」などの要請はなかったが、
 景気は悪化し、経済活動は停滞し、
 その日暮らしの多い人たちはたちまち生活困窮に陥ってしまう。

 コロナ禍と同じ状況が、江戸の街を不安と焦燥が襲っていた。

       

(図1)                                                                 (図2)
   
 図1
  【麻疹流行年数・一松斎芳宗 1862(文久2)年】(国会図書館デジタルコレクション蔵) 
  右上に麻疹流行の年が列挙してある。(平均20~30年に一回の流行)
    1650(慶安3)年
    1690(元禄3)年
    1730(享保15)年
    1753(宝暦3)年
    1776(安永5)年
    1803(享和3)年
            1824(文政7)年
               1862(文久2)年
  ワクチンもなく医療技術も低く、成す術もなく神に祈る人たちが描かれている。
 
 図2 歌川芳員画 幕末の浮世絵【諸神の加護によりて良薬、悪病を退治す】都立中央図書館蔵
    画面左下 やっつけられて悲鳴を上げているのは、疫病たち。退治している武装集団は
    海外から輸入された西洋医学による薬たち。瑞雲に乗った集団はお稲荷さんや神田大明
    神など庶民たちの神々が疫病退治を応援している。幕末に書かれた絵ですが、ここでは
    怪しげな民間療法の記述は姿を消し、薬が登場しているところに時代の息吹を感じま
              す。
    
   『御救金の支給』
 生活の基盤を失い、生活苦に陥った江戸庶民を対象に『御救金』を支給した。
 これは、感染の有無にかかわらず困窮者を対象に一律に支給された。
 無差別で一律10万円というばらまき人気取り支給ではない。
 
 現代の制度の『持続化給付金』が最も近いが、
 その財源は政府の補正予算と予備費でまかなわれた。
 一方『御救金』の財源は江戸の町会所(まちかいじょ)という一種の共同蓄積制度だった。
 寛政年間(1789年以降)にはこの町会所という一種の自治制度に近いものが制度化された。
 
 町人たちの積立金ををもって運営された自治組織で、
 現代に例えると自助でも公助でもない「共助」のシステムだった。
 町人からの積立金を預かるとともに、感染症流行時には給付金支給
 の窓口になったのが町会所だった。また積立金の一部を貸し付けに
 回すことで利殖をはかり、積立金の増資にも寄与している。
 積立金を資本に大量の米を買い入れて備蓄米とし、飢饉、火災、水
 害時には、御救米(おすくいまい)として町人に支給した。町会所は江戸
 災害時の食糧危機を未然に防ぐ役割も果たしていいた。
(歴史家・安藤優一郎氏) 

 『御
救金』の実践

   1802(享和2)年、町会所が感染症(インフルエンザ)流行を理由に御救金をした最初の年である。
   この年の3月、長崎から感染が始まり、感染の拡大は江戸へ。
   感染の流行に伴って生活困窮に陥る者が増加し、社会不安が波紋のように広がる。
   町奉行所は感染の有無に関係なく「御救金」を支給する。
   町人人口約50万人の内半数越えの28万8441人を対象に、
        独身者 …… …… ……  銭300文
        二人暮らし以上の家庭 …… 一人当たり銭250文と
   対象は「その日稼ぎの者」で、棒手振(ぼてふり)など、その日暮らしの日銭を稼ぐ、
   貧しい物売りや職人などが対象となる。稼ぎの少ない人々にとって感染症の流行はすぐに
   生活困窮に繋がる。
   八百八町と称された江戸の町には260程の役場があり、
   各町に置かれた名主によって自治運営されていた。
   各町の行政事務は町奉行所から名主に委託されたため、町役人とも呼ばれた。
   名主は小さな自治体の首長のような役割を持ち、名主の家が役場のような役割を担っていた。
   対象者のリストアップは、
   町奉行所の依頼を受けた町会所を治める町役人の行政事務となる。
   250文~300文の「御救金」は、現在の3000円~5000円ぐらいになるそうです。
   生活困窮者一人に対する給付金ですから、そこそこの給付だったのでしょう。
   狙いは感染症対策というよりも、
   社会の安定を計り、人心の不安を和らげるカンフル剤としての役割であったようです。

   十数年前の天明の飢饉で餓死者など多くの犠牲を出し、生活困窮に陥った人々が米屋や
   商家を襲い、数日間江戸の町は無政府状態に陥ったといわれています。
   当時の老中・田沼意次はその責任を問われ失脚を余儀なくされました。
   同じ轍(わだち)を踏まないように「御救金」で、生活困窮者へのカンフル剤としたようです。

 
 迅速な対応は小さな政府(自治組織)ゆえの対応か
   現代の場合は行政の執行は、閣議を経て国会の承認を得て決定し
   執行というのが一般の段取りで、
   政府の暴走を避けるためには仕方のないシステムなのでしょう。

   さて、上記の享和2年の『御救金』の場合はどうであったか。
   名主が奉行所から該当者の調査を命じられたのが三月十七日、
   早くも翌日の十八日には、「その日稼ぎの者」のリストアップは終了し、
   町会所は対象者に『御救金』の給付を始めている。
   十二日後の二十九日には給付が完了する。
   一日当たり二万人以上に給付した計算になる。

   次の事例は、約20年後の文政4年(1821)のインフルエンザの流行の時である。
   やはり、経済が低迷し困窮者が続出し、社会不安が増大した。
   一人当たりの給付金は前回と同じで、対応の早さが際立っている。
   「その日稼ぎの者」は29万6987人で前回より8千人多かったが、この時は
   わずか7日間で給付が完了している。
   一日平均42,
426人になる。
   これを260の名主の役場で担当するとなると、
   一人の名主で1日約163人に支給することになる。
   対応可能な人数です。
   このような迅速な対応は、
   細分化された自治組織が有効に機能したことを物語っている。
   組織は次のような仕組みになっている。
   町奉行所→町会所・名主(首長)→役場
   役場には町代(ちょうだい)・書役(かきやく)という現代の行政官のような者がいて、
   煩雑な行政事務を担当していた。
   人別改めといった戸籍事務も含まれ、
   町人たちの生活実態はよく把握されていたようだ。

   『御救金』、『御救米』という迅速な対応が江戸の町の人々を、
   社会の混乱から救ったことは間違いない。

   緊急一時宣言が解除されたとはいえ、コロナ感染が沈静化したわけではなく、
   むしろ増加の傾向も窺われ、第四波到来と警鐘さえ鳴らされている。
   政府が頑張り、医療従事者が瀬戸際で頑張ってもコロナ禍は収束しない。
   生まれ育った故郷を大切にする気持ちがなければ、コロナ感染を他人事と考えずに
   自分のこととして捉えなければ感染は収束しない。
   緊急一時宣言が解除されても、全てのタガがはずされたわけではない。
   段階的緩和期間を経て、感染者の統計上の数字が減少し、
   安全が確認されなければ、再拡大の危険性を増大させることを、
   一人ひとりが自覚しなければならない。
   
   政府分科会の指標は「必要な対策は、ステージ2以下」だと、その目安を示しているが、
   感染拡大は、増加傾向にある。
   
   桜の花が満開を迎えた。花見の自粛を政府や自治体が求めても、
   上野の山は花見客で混雑。聖火のリレー会場も人の群れが三密の要請を
   絵空事にしてしまう。

   友人が言った。
   「大都市は故郷を捨てたよそ者の集まりだから、こういう処をコロナ族のウイルスは好んで
   潜むのだよ。竹馬の友が存在しない集まりだから、意志の決定がなかなか取れないのだ。
   俺一人ぐらいは……と思う人の集団がいる街なんだな」と。
   当たらずとも遠からずの言葉に、なんだかうすら寒い風が吹いたような気がして
   マスクを掛け直した。

  ----------------------------------------

   3月30日 コロナ再拡大鮮明。新規感染者 全国で増加。
          まん延防止措置 大阪府(政府に)要請へ。
                   夜の人出 3割増し 週末 大阪・名古屋・福岡も増加傾向。
                      (朝日新聞・一面トップ記事)
     3月31日 昨日と打って変わってコロナニュースの記事が少なく、
         関連記事でお茶を濁している。(まん延防止措置の政府対応を待っているのか)
         〇 厚労省23人 深夜まで会食 時短営業要請中 課長更迭へ。
           (野党は待ってましたとばかりに菅総理を責めるが、総理が謝罪してどうなるの。
          国政を預かる議員や官僚の皆さんに緊張感が欠如しているんだよ)
         〇 長野・聖火リレー一部無観客
           到着式典、善光寺近くの沿道を無観客に。(到着式典の無観客は初めて)
         〇 宅急便が急増 20年度 3社最多見込む。
              (「風が吹けば、桶屋が儲かる」コロナ禍のもと営業活動のままならない業種が
          悲鳴を上げている。「巣ごもり需要」で思わぬ好成績を更新する企業もある)
           〇 パルスキオシメーター(血液中の酸素飽和度を測る機器) 生産力20倍に。
           コロナで品薄、他のメーカーも増産体制に入った。当面、医療機関や自治体への
          供給を優先。
                                        (朝日新聞)
    4月1日 〇 まん延防止 大阪に適用へ。政府今日にも決定。(一面トップ)
            「まん防」は2月に施行された改正特別措置法で新設され、適用は初めて。
            緊急事態宣言を防ぐため、私権制限を可能とし、感染を抑えるための仕組み。
            「ステージ3(感染急増)」相当であることが要件。
         〇 関西解除1カ月で 急拡大「第4波」に危機感。官邸、慎重姿勢を一転
         〇 厚労省集計 異変株感染者1200人に 専門家「今後も拡大予想」
         〇 厚労省の大会食 誰も止めず
              午後9時以降も注文■マスクはずしたまま
           〇 鳥取県職員8人 送別会で感染
           ほとんどマスクをせず、カラオケで大声を発していた。
           (厚労省も鳥取県職員も、自分たちを何ものだと思っているんだ。
           私の友人がボソリと言った。「あいつ等、成り上がり者の馬鹿殿が、
           自分たちは天上人だと思っているんだよ。だから、何をしてもいいんだとうぬ
                                     ぼれているんだ。公僕という自覚がないんだな
」。
           相変わらず歯に衣着せぬ発言だが、
           異を唱える理由もなく私は黙ってうなずいた。 
    4月2日 〇 大阪・兵庫・宮城 まん延防止 5日からの31日間 (一面トップ) 
            「まん防」の初適用で、4月5日から大型連休の終わる5月5日までの31日間。
                                     諮問分科会の尾身茂会長は、高齢者へのワクチン接種が順調に進むことを
           前提に「この6月までが正念場」と訴える。
             施行者や関係者の思いがなかなか正確に伝わらずに、望むような結果が出せず
          に野党との間にギクシャクした関係が続く。言葉が足りない、不適切な言葉を
          使用しひんしゅくを買う場合もしばしばあり、コロナ禍で疲れ切った流れが
          政府や民衆の間に流れている。湿った火薬が徐々に燃えてきて、場揮発寸前にあ
          るような危険な状態を感じる。
        〇 大阪市聖火リレー中止へ調整(一面)
          苦渋の発言・大阪吉村知事。「大阪市内に不要不急の外出自粛をお願いすること
          になる。大阪市内の聖火リレーは中止すべきだ」。
          府内18市町村を走る聖火リレーの中止は、施政のリーダーとしては当然の判断
          だ。
             〇 「まん延防止」手探り。(2面
)
          中心となる対策は、飲食店などへの罰則付きの営業時間の短縮命令。だが、
          すでに時短営業なっている地域も多く、これで感染拡大を抑え込めるのか
          不安の声も聞こえる。     
                                      
(朝日新聞)                                   

        30日からのコロナの報道を、追いかけてみました。
       見えてきたのは、打つ手の無くなった政府と混迷する社会不安。
       勇気と決断をもって対処しなければ、コロナに負けてしまう。
       一般民衆もまた感染拡大を甘く見すぎていたのではないか。
       感染拡大の責任を政府に押し付けるのは虫が良すぎる。
       政府と社会の構成員の責任はヒフティヒフティなのだ。

                                       (おわり)
       (つれづれに…心もよう№113)        (2021.4.2記)


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 江戸の感染症 ① 感染症に魑... | トップ | 逝きて還らぬ人を詠う ⑤ こ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

つれづれに……」カテゴリの最新記事