今日のことば(2) 電車の中で
電車で、一人の乗客が鼻水を手で拭いては、座席になすり付けていた。
わたしはいややなと思った。
周りの人も、いかにも迷惑やなという顔で見ていた。
でも、同じ言葉を繰り返し呟いていて、話が通じなそうなその人に、どうしようもなかった。
だれもなにも言わず、ただ、いやそうな顔をしながら見ていただけだった。
そのとき、おばあちゃんが、その人にティッシュを渡して、よかったらこれを使ってくださいと言った。
その人は受け取って洟をかんだ。
わたしはびっくりして、恥ずかしくなった。
迷惑だと思うだけで、その人の気持ちを考えてなかった。
困っていたのはわたしじゃなくて、その人だったのだと初めて気づいた。
(中脇初枝著 小説『伝言』から)
自分の視点から、視点を変えて相手の立場になってみると全く別のものが浮かんでくる。
発想の転換である。
自分を主体にしてものを考えることを習慣化してしまうと、
ものの見方がや考え方が偏ってしまう。
習慣は惰性になり、いつの間にか他人を傷つけていることに無頓着になってしまう。
そういう過ちを私たちは、日常生活の中で何度も繰り返し経験しているのかもしれない。
小説『伝言』について。
満洲・新京で暮らす女学生、ひろみの視点で語られていく。
「尽忠報国」。女学生でありながら、お国のために勉強もせずに、
精を出し、お国のために辛い労働に従事する。でもどこか変だ。
「五族協和」と言いながら、中国の人が築いた土地に「満州国」を無理
やり築く。「長春」という素敵な街があるのに、「新京」という名前
に勝手に取り換えてしまう。やっぱり何かが変だ。
永遠に失われた、もう、どこにもない国、満州国。
欺瞞だらけの戦争。
あの場所で見たこと、聞いたこと、
そして、わたしに託されたことを、わたしは忘れない。
『伝言』とは、作者が小説に託した中脇初枝氏の思いである。
講談社 2023.8 初版
当たり前なこと、正しいことを言うには結構勇気が要るものですね。ひろみが少女時代に満州国で感じた変だと思うこと、変だ、おかしいと言わなければ、あったことがなかったことになってしまう。黙って見過ごしてしまうと、自分の存在そのものがなくなってしまうとひろみは大人になっていきます。
ここに登場する「おばあさん」は、40年後のひろみの姿で、ひろみの孫との会話の中に出てくる話なのです。
物語の終わりにひろみおばあちゃんは述懐する。
「…わたしは忘れない。これまで聞いたことも、みてきたことも、みんな。人は、びっくりするくらいにあっという間に、あらゆることを忘れる。だから、わたしに託されたことを、わたしはわすれない」。沈黙は銀という言葉があるが、それは嘘だ。
言わなければ、なかったことと同じで、自分の存在さえなくなってしまうと、ひろみは言いたいのだろう。